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ピズモのブログ一覧

2014年11月29日 イイね!

京丹波町の史跡と紅葉

須知城(しゅうちじょう)は、市森城ともいわれる山城です。
築城時期は不明ですが、南北朝時代に須知景光によって築かれたといわれます。
観応3年・正平7(1352)年、丹波守護代荻野朝忠に属した中津川小次郎秀家の軍勢によって須知城は落城しています。
延徳元(1489)年、須知氏は荻野氏・久下氏などの有力国人とともに一揆を起こし、丹波守護代上原元秀と戦いました。
天正3(1575)年、織田信長の命を受けた明智光秀の丹波攻めには、須知元秀は明智光秀に味方し、八木城攻めに加わりました。
しかし、詳細は不明ですが天正7(1579)年須知城は明智光秀によって攻撃されて落城しました。
主郭の東背後には高石垣が残っています。主郭の入口などにも石塁が用いられています。
須知城 - 01
須知城 - 01 posted by (C)pismo

須知城 - 02
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須知城 - 03
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須知城 - 04
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須知城 - 05
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須知城 - 06
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須知城 - 07
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須知城 - 08
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須知城 - 09
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須知城 - 10
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須知城 - 11
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須知城 - 12
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須知城 - 13
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須知城 - 14
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玉雲寺は山号は雲樹山、曹洞宗の寺院です。
応永23(1416)年、太容梵清禅師が須知城(市森城)主須知出羽守慶吉の懇請を受け、開山となり建立した寺院です。
梵清禅師は、薩摩の島津氏に出生され、了堂真覚禅師の法を継がれ、当寺開山住持の他、大和の補厳寺、加賀の仏陀寺、能登の曹洞宗大本山總持寺に住職されました。
以来、末山門派が京都府、岡山県や宮城県等に及び、古い記録によると160余寺を数えています。
しかし、天正7(1579)年の明智光秀の須知城(市森城)攻撃による兵火で、寺の建物宝物等がほとんど焼失してしまいました。
現在の境内・本堂・庫裏は光秀が禅師の遺徳を尊崇し、翌天正8(1580)年再興したものです。
近くの琴滝にちなんで、玉雲寺は滝見寺とも呼ばれます。紅葉もなかなか美しい寺院です。
玉雲寺 - 01
玉雲寺 - 01 posted by (C)pismo

玉雲寺 - 02
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玉雲寺 - 03
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玉雲寺 - 04
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玉雲寺 - 05
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琴滝は、高さ約40mの1枚岩の上部から流れ落ちる滝が、13弦の琴の糸のように見えることから、寛延年間に時の領主松平紀伊守信岑によって名づけられたといわれています。
春は桜、秋は紅葉も美しい滝です。
京都の自然200選に選ばれています。
琴滝 - 01
琴滝 - 01 posted by (C)pismo

琴滝 - 02
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琴滝 - 03
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琴滝 - 04
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琴滝 - 05
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琴滝 - 06
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琴滝 - 07
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新宮寺は、山号は馬眼山、曹洞宗の寺院です。子安権現の名で知られています。
一般には寛治4(1090)年、白河法皇が熊野参詣の中、紅の雲のたなびくところに分身を祀れとの夢のお告げを受けてここ紅の地に創建されたと伝えられています。
その時には伝教大師作といわれる多くの尊像が伽藍に祀られ、法華経も奉納され、以来安産を守護してきました。
しかし、南北朝時代の寺領押収などがあり社塔はすっかり壊れてしまいました。
室町時代に竹翁和尚が再興し、曹洞宗新宮寺を開いて権現社との神仏習合となりました。
境内の子安権現堂には、愛染明王坐像をはじめ熊野十二所権現本地仏像12体が祀られています。
現在の社殿は元禄5(1692)年、新宮道意が中心に再建されました。
最近では昭和45(1970)年に全尊像の奉修が、また平成5(1993)年には創建900年記念で、全建物の修復が完了しました。
(現地説明板などより)
新宮寺 - 01
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新宮寺 - 02
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新宮寺 - 03
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新宮寺 - 04
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新宮寺 - 05
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新宮寺 - 06
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九手神社は、大山咋神を祭神とする神社です。
長元2(1029)年9月21日、京都松尾大社より神霊を移して社殿が造営されました。
明応7(1498)年3月3日に再建され、天正10(1582)年8月17日、松尾大社の神輿を受納され、安政4(1857)年、御室御所から九手大明神の鳥居額と、菊御紋章付釣堤燈一対を賜りました。
大正10(1921)年4月30日に、特別保護建造物の資格が認められ、昭和25(1950)年8月29日には国の重要文化財に指定され、昭和61(1986)年1月22日には棟札が追加指定されました。
昭和10(1935)年4月、本殿の解体大修理が行われ、遷座祭及び奉祝祭を奉仕されました。
神社の南約4町に旧山陰街道があり、この街道筋に古昔の九手大明神一の鳥居跡があり、この辺を小字鳥居野といいます。毎年七社の神輿が集合したと伝えられますs。
中納言大江匡房の詠進歌に「たころにそ 色は見えけり朝日影 匂へる梅は 紅の里」とあります。
(現地説明板などより)
九手神社 - 01
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九手神社 - 02
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九手神社 - 03
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九手神社 - 05
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九手神社 - 06
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九手神社 - 07
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九手神社 - 09
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Posted at 2014/12/03 20:50:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年11月23日 イイね!

高槻市立しろあと歴史館とその周辺

この日は、高槻市立しろあと歴史館で秋季特別展「戦国 大阪の城ー動乱の時代と天下統一」が開催されていたので見に行きました。
秋の行楽シーズン、箕面の滝に見に行かれることで国道171号は大渋滞でした。
身近な大阪の城、山城などから発掘されたものや絵図などを展示していました。主に中世城郭の展示だったので、縄張り図などが興味深かったです。
周辺の野見神社や高山右近の史跡も少しだけ巡ってみました。


高槻市立しろあと歴史館は、高槻城三の丸跡に平成15(2003)年、オープンしました。
永井家3万6千石の城下町高槻は、京都・大坂間の交通の要衝であった西国街道の芥川宿、寺内町富田、酒造りなどの産業などを紹介しています。
常設展示では、「高槻城と人」「城下町のくらし」「西国街道と芥川宿」「淀川と舟運」「人々のなりわいといとなみ」の5つのコーナーを模型や映像などを使って、江戸時代の高槻についてわかりやすく紹介しています。
高槻市立しろあと歴史館 - 1
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野見神社は、高槻城内北大手(現在の野見町)に鎮座し、祭神は須佐之男命、野見宿禰命を祀っています。
社伝によれば、宇多天皇(887〜897年)の御代、当国に悪疫が流行し、多数の死者を出しました。
この時「社殿を造り、牛頭天王をお祭りすれば悪病が治まる」というお告げがあり、社殿を造ってお祭りしたところ、たちまち悪疫は終息しました。村人たちは喜び、これを牛頭天王社として祭ったとあります。
その後、高槻城内守護として歴代城主をはじめ多くの人々に信仰されました。しかし、キリシタン大名高山右近が城主となると社領を没収し、時の神職が石清水八幡宮へ御神体を避難させたと言い伝えがあります。
後の城主松平紀伊守家信が城内の安全を祈願し、牛頭天王社を新造、社領を寄進しました。
摂津高槻藩永井氏初代永井日向守直清は社殿の修築、社領の寄進をしました。また例祭日を10月14日に制定し、臣下国人とともに盛大な例祭を執り行うようになりました。
永井氏治世200年後明治維新を迎え、神仏分離令により牛頭天王は須佐之男命と名を変え、更に野見宿禰命を合祀し、野見神社と改称しました。現在境内には野見神社本殿、幣殿、拝殿、能舞台の他、摂社末社として永井神社、高槻戎神社、小島神社、護国神社、四社明神があります。
永井神社は、高槻城三の丸の一角に所在する野見神社の摂社で、江戸時代中期の寛政5(1793)年8月、9代藩主永井直進が、初代藩主の直清を祭神として勧請し創建しました。その後、嘉永元(1848)年に、11代永井直輝が直清の高槻城入城200年を記念して社殿を修復、新たに唐門と拝所を造立しました。
藩祖直清は、番田井路開削による新田開発のほか、伊勢姫・能因法師らの顕彰にみられる文化政策の強化などに努めました。以来、譜代大名としての永井家に対する幕府の信頼は揺らぐこと無く、明治時代に至るまでの13代220年間にわたって藩政を担いました。
永井神社は、高槻の江戸時代の藩政期における歴史遺産として極めて貴重であり、権現様式の社殿と唐門をあわせて平成17(2005)年6月に市の有形文化財に指定されています。
(現地説明板より)
野見神社 - 01
野見神社 - 01 posted by (C)pismo

野見神社 - 02
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野見神社・永井神社 - 03
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野見神社・永井神社 - 04
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野見神社・永井神社 - 05
野見神社・永井神社 - 05 posted by (C)pismo

野見神社・永井神社 - 06
野見神社・永井神社 - 06 posted by (C)pismo

高山右近と父飛騨守が建てた高槻天主教会堂跡です。戦国時代末期、高槻は近畿地方におけるキリスト教布教の中心地でした。宣教師ルイス・フロイスの記録によると、天正2(1574)年に高槻城主高山右近(ジェスト)と父親の飛騨守(ダリオ)は、古社の位置に池や庭園をともなった教会堂を建立し、この教会堂を拠点に布教に力を注ぎました。
高山右近の明石転封後、しばらくして古社は元の場所に復帰したと伝えられていることから、当地周辺に教会堂があったと推定されています。
高槻市教育委員会が平成10(1998)年に行った高槻城三の丸跡発掘調査では、蓋に十字架を墨書した木棺を含むキリシタンの墓が発見され、教会堂に付属した墓地の一端が明らかになりました。
高槻城跡の一角を占める当地は、日本におけるキリスト教布教の歴史を考える上で重要な位置にあることから、昭和24(1949)年5月9日に大阪府史跡に指定されました。
(現地説明板より)
野見神社向かいの高槻商工会議所に石碑と説明看板が立っています。
平成26(2014)年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の第11回「命がけの宴」の「官兵衛紀行」で紹介されました。
高山右近高槻天主教会堂跡 - 1
高山右近高槻天主教会堂跡 - 1 posted by (C)pismo

幕末の漢詩人・高槻藩士藤井竹外邸跡です。
幕末の漢詩人藤井竹外は、文化4(1807)年、高槻藩士藤井沢右衛門の長男として生まれました。
竹外は藩の教育機関である青莪堂(9代藩主永井直進により設立)で学び、鉄砲術をはじめ武芸にも励んだといわれます。
また 文武両道の素養を備え青年期から頼山陽を師と仰ぎ、詩作に傾倒しました。
旅を好み、酒をくんでは詩作に没頭し、七言絶句を得意としたため「絶句の竹外」とも呼ばれたといわれます。
嘉永7(1854)年刊行の「竹外28字詩」(前編)には 215首の詩が収められており中でも 「花朝下澱江」・「花井」・「芳野」などは彼の代表的な作品として知られています。
慶応2(1866)年、 60歳で世を去りましたが、門下の高階春帆や市村水香らが明治時代に「竹外吟社」を結成、竹外の作風の継承と発展に努めました。
竹外の墓は乾性寺(天神町二)にあり、旧城下の本行寺(大手町)にも自然石で刻まれた「竹外藤井先生之墓」があります。
この地は 北大手門内の藤井竹外邸跡であり、詩碑は、昭和52(1977)年10月に生誕170年を記念して建てられたものです。
(現地説明板などより)
藤井竹外邸跡 - 1
藤井竹外邸跡 - 1 posted by (C)pismo

藤井竹外邸跡 - 2
藤井竹外邸跡 - 2 posted by (C)pismo

藤井竹外邸跡 - 3
藤井竹外邸跡 - 3 posted by (C)pismo

カトリック高槻教会は、昭和21(1946)年、旧高槻城内に記念聖堂を建築することとなり、まず、昭和24(1949)年に高槻城内のセミナリオがあったとされる現在の商工会議所の場所に、「高山右近顕彰碑」がに建立され、3月6日にローマ法王ピオ12世特使オルテノス司教によって除幕式が行われました。後に顕彰碑は教会に移設されました。
昭和29(1954)年、クラレチアン宣教会の協力を得て現在地に仮聖堂が建てられ、カトリック高槻教会が創立されました。
昭和36(1961)年、「高山右近記念聖堂」が着工され、翌年3月に完成し、4月に献堂式が行われました。
高山右近記念聖堂の建物は、高山右近臨終の地であるマニラ市郊外アンティポロにある聖母大聖堂を模したものです。
聖堂の前庭には、教会に向かってひざまづいて祈りを捧げる右近の大理石像があります。
平成26(2014)年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の第11回「命がけの宴」の「官兵衛紀行」で紹介されました。
カトリック高槻教会 - 1
カトリック高槻教会 - 1 posted by (C)pismo

カトリック高槻教会 - 2
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カトリック高槻教会 - 3
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Posted at 2014/11/30 17:59:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年11月18日 イイね!

永源寺

永源寺は山号は瑞石山、臨済宗永源寺派の大本山です。
南北朝時代の興安元(1361)年に、時の近江守護職佐々木六角氏頼が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりです。
寂室禅師の元、当時2千人あまりの修行僧が集いました。
また、後光厳天皇や足利義満らに深く崇信され、寺領など多くを寄進。禅師の亡き後も4人の高弟により大いに隆昌しましたが、戦国時代、度重なる兵火によって寺院堂宇ことごとくを失いました。
江戸初期の寛永8(1631)年、妙心寺の別峰紹印禅師は、永源寺の衰退を嘆き、自ら石を曳き土を運んで方丈等の再建に尽くしました。
また、第79世空子和尚は名声高い一絲文守禅師(仏頂国師)に懇請し、寛永20(1643)年禅師は第80世として住山、後水尾天皇や彦根藩井伊家の帰依を得て伽藍が再興されました。
明治以来、臨済宗永源寺派として独立し、一派の本山となりました。
紅葉の名所としても知られています。
(パンフレットなどより)
永源寺 - 001
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Posted at 2014/11/24 21:23:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年11月18日 イイね!

湖東三山・百済寺

百済寺は山号は釈迦山、天台宗の寺院です。
推古天皇14(606)年、百済人のために創建と伝えられています。
創建当初の御本尊は、太子御自作の「植木の観音」で、御堂は百済国の梵閣「龍雲寺」を模して建てられ、開闢に当たっては高句麗の僧恵慈を咒願とし、その後の供養には百済の僧が任ぜられました。
平安時代になると比叡山に天台宗が開創されると、当山も天台宗となり「湖東の叡山」と称されたほど壮大な寺院となりました。
明応7(1498)年、自火により本堂付近の建物を焼失し、文亀3(1503)年には戦乱による災厄に遭い、古建築の多くを焼失しました。
元亀元(1570)年、佐々木六角義治等が織田信長に抗し、鯰江備前守貞景、定春(森備前守)が義治を奉じ、鯰江城に入ると当山衆徒は寺内にその妻子を預かり、兵糧を送り援護したため、天正元(1573)年織田信長に焼打されました。
御本尊等数体の主な仏像と、重要な経巻は奥ノ院西ケ峰に遷座守護し辛うじて難を免れました。
天正12(1584)年、堀秀政により仮本堂を建てられ、慶長7(1602)年、146石5斗の地を寺領として免除され、復興に向かいました。
その後、寛永年間には天海大僧正の高弟、亮算入寺し伽藍の再興を計り勅許を仰ぎ、寛永14(1637)年には明正天皇が綸旨を下し、改建を勅許されました。
井伊直孝の周旋により、土井利勝・酒井忠勝・栄勝院局・春日局の喜捨を得て、甲良豊後守宗広より金子500両が寄進され、慶安3(1650)年、本堂・仁王門・山門等が竣工しました。これが現在の建築物です。
喜見院の庭園は、天下遠望の名園といわれ、近江の歴史舞台を一望できます。喜見院は、元々千手坊と称していたものを、寛永11(1634)年、山門三院執行探題大僧正天海の高弟、亮算が千手坊仙重の後任として入寺すると、千手坊を喜見院と改めました。元文2(1737)年、仁王門の側に移転改築されました。
昭和15(1940)年、仁王門側より再度移転改築され、これに伴い庭園も拡大移築されました。
池泉廻遊式かつ観賞式で旧庭園と同様、山上眺望のパノラマ庭園です。
東方の山々を借景に、庭石は旧庭園のものを移し、山内の谷川から運んだ巨石を組み合わせて作庭されたもので、書院正面中央の池畔に置かれた平な石を「拝石」とし、その正面の渓流の源に見える巨石が「不動石」です。
湖東の平野、比叡山に連なる湖西の山々を眺望でき、さらに西方に渡来人の母国百済国を偲ぶことができます。
また、城砦寺院の遺構である石垣は安土城築城の際「石曳」されましたが、小石を積み上げた石垣の部分は破壊されず、戦国時代のまま残っています。
(パンフレットなどより)
百済寺 - 01
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Posted at 2014/11/24 21:10:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年11月18日 イイね!

湖東三山・金剛輪寺

金剛輪寺は山号は、松峰山、天台宗の寺院です。
湖東三山の一つで奈良時代の天平13(741)年、聖武天皇の勅願により行基が開山しました。
嘉祥年間(848〜851)には慈覚大師円仁が再興し、天台宗の大寺となりました。
寿永2(1182)年には、源義経が義仲を追討せんとして近江に来た際、当山に参篭十数日、武運必勝を祈願し、太刀を寄進しました。
寛元4(1246)年には、三重塔が創建されました。
元寇(文永・弘安の役)の時、北条時宗は近江守護佐々木頼綱に命じて近江国中の祈祷寺社に元軍降伏の祈願を修せしめました。弘安11(1288)年、元寇の役の戦勝記念として、本堂・大悲閣を再興しました。
戦国時代には、佐々木六角氏や京極氏が時々宿陣し、戦時には兵糧米、軍資金を強請される事度重なり、当山においても、弓矢を持ち、自衛しました。山中に城山という所のあるのは、当山衆徒の砦であります。天正元(1573)年、百済寺が鯰江城を後援したことで、信長は同寺を焼き払いましたが、金剛輪寺も同罪ということで焼き討ちされましたが、当山僧侶の奇智により、本堂、三重塔、二天門等はその火を免れました。
本堂は国宝、三重塔(鎌倉時代)および二天門(室町時代)も国指定重要文化財となっています。
ちょうど湖東三山の真ん中に位置します。
(パンフレットなどより)
金剛輪寺 - 001
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Posted at 2014/11/24 20:55:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「[パーツ] #レヴォーグ カップホルダー クワトロ X カーボン調 ブラックメッキ / DZ373 https://minkara.carview.co.jp/userid/157690/car/1902122/9090533/parts.aspx
何シテル?   03/25 21:35
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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