近江孤篷庵は、臨済宗大徳寺派に属する寺院です。
京都孤篷庵と同じく円恵霊通禅師(江雲和尚)を開山とし、小堀遠州(政一)の子の小室藩主2代政之によって、父遠州の菩提を弔うとともに、家臣の参禅道場の場として承応2(1653)年に建立されたました。
当初は今の墓地の北西の奥の平地に建てられていましたが、3代藩主政房の宝永6(1709)年の時、性宗紹宙和尚が現在の場所に移築しました。
江戸時代中期までは規模の大きな寺院でしたが、江戸時代後期の天明8(1788)年、藩主の小堀政方が改易となり、寺のも無壇無禄となり、衰微の一途を辿り、江戸時代末期の佐渓和尚の時には、寺領として少々の山林と畑を有するのみで、庫裏や禅堂などの建物も失われ、やがて明治の声を聞いた後には無住の寺となり荒れ果てました。
昭和13(1937)年、定泰和尚が住持となり寺の再興を図り徐々に整備を進めましたが、昭和34(1959)年にこの地を襲った伊勢湾台風により最後まで残っていた本堂までもが倒壊し、跡に残るは礎石のみとなってしまいました。
今の本堂は、多くの縁者や地元からの篤志を募り、昭和40(1965)年に再建されたものです。
庭園は昭和34(1959)年、石組み等が江戸時代当初の遠州流庭園の基本的な条件を遺しているということで、滋賀県史蹟名勝に指定されました。本堂の南西面は五老峰、海、舟石等を配した枯山水庭園、その北東面は錦渓池を中心に瀟湘八景を模した池泉回遊式庭園からなっています。
参道の土堤のドウダンツツジは、多年の風雪に堪えて枝振りが面白く、情趣があります。
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三島池は、灌漑用に造られたため池です。
周囲約780m、面積3万9000平方メートルあります。今から700年ほど前に、農業用水池として造られた楕円形の池です。三島神社との関係が深く、昔から鳥獣や魚貝類が保護されてきました。
日常の水位は50cm前後で、水質は清冷で多くの生物が生息し、さまざまな水鳥や野鳥が飛来します。昭和32(1957)年マガモの自然繁殖を確認しています。近くの大東中学の生徒による 2年間の観察の結果、昭和34年(1959)に「マガモ自然繁殖の南限地」として、県の天然記念物に指定されました。
また、このあたりは昭和39(1964)年から鳥獣保護区(面積350ha、池の周辺60haは特別保護地区)に指定されています。
桜の名所でもあり、4月になれば、水面に影を落とす伊吹山と桜の美しい調和が見られます。
平成22(2010)年3月25日には農林水産省のため池百選に選定されています。
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大瀧神社は、高龗神(たかおかみのかみ)、闇龗神(くらおかみのかみ)を祭神とする神社です。
俗称「瀧の宮」として知られ、眼下の犬上川が奇岩怪石の中を清々と流れ下っていく「大蛇の淵」と呼ばれる景勝地です。
古来多賀大社の末社、あるいは奥宮と崇められてきました。祭神の高龗神、闇龗神は、湿雨を司り水脈を主宰し、農作物の生茂繁殖の道を補助する神です。
社殿の創立年代は大同2(807)年坂上田村麻呂の願いで建立されたものといわれています。
寛永15(1638)年、徳川家光により造営され現在に至り、昭和48(1973)年滋賀県有形文化財に指定されています。
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Posted at 2016/12/13 21:26:33 | |
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