
先日の日中韓の3国首脳会談で安倍総理に上から目線で言い続けた中国李克強首相!「歴史を直視」せよ・・・・と
中国李克強首相は韓国企業400社(CCTV発表)との間でフォーラムを開き、歓迎レセプションにおける昼食会でスピーチをしている。
企業との歓談であるにもかかわらず、なんと抗日戦争勝利70周年記念に触れて、「外国からの侵略と植民地の歴史を中韓は共有している」
中国は自らの歴史をこそ直視せよ
日中戦争時に日本軍と戦ったのは現在の中国ではない。蒋介石が率いる「中華民国」の国民党軍だ。
このとき中国共産党軍は延安の山岳地帯にいて、日本軍との接触を避けていた。国民党軍に追われて延安に逃れ、武器どころか食べるものさえない状態だったのだが、1937年からは国共合作(国民党と共産党が協力して日本軍と戦う戦術)を実施し、国民党の禄(ろく)を食(は)み、武器や衣服まで与えられるようになっていた。
当時の中国共産党は兵力の10%しか抗日に使うな!――抗日戦争時、毛沢東はやがて国民党軍の蒋介石をやっつけて天下を取るために、兵力を温存していた。
最も有利だったのは、国共合作により、国民党軍の軍事情報をすべて知ることができるという立場にいたことだ。
毛沢東はスパイを派遣して、日本軍や日本の外務省の出先機関と秘密裏に接触させ、知り得た国民党軍の軍事情報を、日本側に高額で売っていたのである。
しかし、こうして誕生した共産党政権のどこに、日本に向かって「歴史を直視せよ」という資格があるのだろうか?
中華人民共和国は、1945年8月15日以降に、「中華民国」の国民党軍を打倒して、1949年10月1日に誕生した国家である。
毛沢東は、国民党軍を弱体化させてくれた日本軍に感謝していた。
現在の中国は抵抗するだろうし、一部の日本人は中国の怒りを恐れて自分を抑え込むかもしれない。知らないうちに、日本人も中国の主張に洗脳されてしまっているのである。
だから日本人自身も、この事実を直視する勇気を持たなければならない。なぜなら、これは事実だからだ。
この事実を認めてこそ、真の平和がやってくる。
ユネスコが「南京大虐殺」資料を世界記憶遺産に登録の南京事件問題でも事実は、毛沢東「南京大虐殺」に触れたくなかった!
毛沢東は生きている間、「南京大虐殺」に触れることを嫌がったし、教科書にも載せようとしなかった。
なぜなら、「南京大虐殺」が起きた1937年12月13日前後、毛沢東ら中国共産党軍は、国民党軍も日本軍も攻撃にこれらないほどの山奥に逃げていたからだ。
そこは陝西省延安の山岳地帯。南京の最前線で戦っていたのは蒋介石率いる国民党軍だった。
毛沢東らはそもそも、1937年7月7日に起きた盧溝橋事件(日中戦争が本格化した事件)の第一報を受けると「これで国民党軍の力が弱まる」と喜んだと、1938年年4月4日まで延安にいた(共産党軍の)紅第四方面軍の軍事委員会主席・張国トウ(トウ:壽の下に点4つ)が『我的回憶(我が回想)』で記録している。
中共中央文献研究室が編纂した『毛沢東年譜』を見ても、この日付の欄には、ただひとこと「南京失陥」(南京陥落)という4文字があるだけだ。
その前後は1ページを割いて1937年12月9日から12月14日まで開催していた中共中央政治局拡大会議のことが書いてあり、13日に4文字あったあと、14日からはまた雑務がたくさん書いてある。
「南京大虐殺」に関しては「ひとことも!」触れていない
遠藤誉氏のコラム転載、そして詳細は毛沢東 日本軍と共謀した男のそれぞれの著書より
今日は祝日、国旗掲揚を・・・・
70歳は健康元年!人生ARUKIだ!歩きは健康源泉、1時間7km歩行で医療費のお世話にならない生活、コレ我が体験より学んだ健康管理のキーワード。
Posted at 2015/11/03 07:23:44 | |
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