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晴の旅人のブログ一覧

2011年10月28日 イイね!

シムカデスクブレーキ点検&明日よりバイクツーリング!楽しいな。

シムカデスクブレーキ点検&明日よりバイクツーリング!楽しいな。昨日、以前より「e-bay]より取り寄せてきたシムカ1200Sのデスクブレーキを点検しました。ブレーキは命にかかわり、ベルギーの時にはどのような整備をされていたか、またブレーキデスクやパッドの厚みなどを知らねばならないと思い、タイヤを外し見てみました。

ブレーキダストなどをエアーで吹き飛ばし、ネジの緩み、ブレーキオイル漏れと殆ど問題なく、パッドも外して厚み確認です。

比較の写真でご覧の通り、2分の一ほどパッドは残り、まだま大丈夫と判断してそのブレーキパッド、元の位置に戻して終了!でした。

11月5日6日前夜祭も含めて群馬県桐生市のクラシッカーイベントに参加です。

また明日からは30年来のバイク仲間との1泊ツーリングです。66年経過しても仲間とのバイク旅、今から「ワクワク、ウキウキ」と宴会前の宴会の買い物準備、酒につまみに、女性4人参加で「スィーツとワインも」楽しい!買い物です。
Posted at 2011/10/28 07:17:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月26日 イイね!

細い道で「譲らない馬鹿」

細い道で「譲らない馬鹿」昨日、陶芸の町、栃木県益子町に行って来ました。北関東道の整備の恩恵を受け、花園インターから真岡インターま106キロ、1時間、真岡から一般道を利用し30分で、約1時間30分で益子に着いてしまうほどのアクセスの良さ、これには嬉しい時間短縮でした。

以前は自宅からでは大変時間がかかり、6時間くらいで過去に益子には1度ほど行っただけで、余り時間が掛かるのでそれ以来でした。しかし、昨日は1時間30分、軽井沢行くのとそれほどの差は無く、度々訪れたくなる場所でした。

過去とは町並みが大きく様変わり、メーン通りは電柱の地中化で、情緒感のある風情に変わっていました。そこで営む方々、その人々と10名くらいと談笑をしましたが、他の地域には無い牧歌的で優しさや温かさ、人情味溢れる感情を受け、すばらしさを実感!でした。

ただ残念な事は森の中のレストランやパン屋さん数件立ち並びそのパン屋さんに訪れた帰り道、その場所は途中から道幅狭く未舗装、我がピンク君、車高低く、底スリ回避しての走行でしたが、1台の大きな4輪駆動車が対向車線に現われ、その対向車線の車のスグ後ろには、バックすれば2台すれ違う広さの道幅、我がピンク君の後ろ、相当の先まで後退しないとすれ違いができない道幅。

4輪駆動車はライトを上向きにして、一向に動く気配なし。その車の後ろ数台が、4輪駆動車がバックしてすれ違うだろうと想定の上、その道幅の広い所を「空けて」停止。

何時まで経ってもバックしないものだから、見るに見かねて私が車から下り、相手の運転席へ行き話しかけるが、一瞬、見た目やばそう!と思ったが「お宅、ここで停止しては渋滞で他の車に迷惑でしょう。お宅は地元の方で私の後ろの道路はご存知のはず、どっちが後退したのが効率的?」とクエッション、そうすると何も言わずシブシブ後退し、すれ違いが出来ました。状況把握が出来ない馬鹿、こんな馬鹿、何処でもゴロゴロと思いつつ、何とか大きなトラブルにならずその場を回避!です。

そのすれ違いの様、かみさんが会釈すると、すれ違い様に「覚えとけ!」と大きな声で捨て台詞を吐いて、去って行きました。
何と情けない、私が車から降りて話をした時、正当性があるなら自分の主張をすれば良いのに、すれ違い様の捨て台詞、情けない馬鹿と軽蔑の感でした。その男、年のころは50歳代も後半、こんなのと遭遇したのも益子でした。最も、年齢は関係なく、こんな輩が多い昨今、、余りにも「古典的捨て台詞」かみさんと目を合わせ、笑っちゃいました。

しかし、よく判断してどちらが譲ったら効率的か、考えない馬鹿が多すぎる。馬鹿に付ける妙薬無し!譲る事が「損した気分や己が負けた気分」になると言う感情、そんな事を誰も思ってもいない。車を乗っていて嫌~な気分に陥る時が最近、大変多い。

人と人との触れ合いのギスギス感がある社会、我慢できない「馬鹿」自分勝手な「馬鹿」嫌な日本の社会、もう少しこころに余裕を持って欲しいと願うのです。

しかしすばらし人々に感動した益子、その反面、帰り際「馬鹿」との遭遇、世の中両極端な人の顔があるもんですが、感動された人々とのふれあいが救われた久しぶりの益子でした。

写真は薄暗くなった森の中のパン屋さんお駐車場
Posted at 2011/10/26 07:41:14 | コメント(9) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月23日 イイね!

ジジイの頭は手術痕だらけ

ジジイの頭は手術痕だらけ母のお腹の中で

ころは1945年3月、幼き2人の姉妹を連れて買い物に出かけた帰りの出来事、それは東京大空襲の夜でした。その空襲を受けた中心部より少し離れていた巡りに大きな腹を抱え、身重な母は7歳と9歳、2人の姉妹の手ををしっかりと握り締め逃げ惑う。

逃げ惑う最中、周りの人々の多くが風に乗って飛んでくる焼夷弾のかけらをまともに受け、衣服に火が付き地面を転げ回る人、そしてその近くの水場で、焼けてただれた体にそしてその火を消そうと水桶を必死に掛ける人と、そんな光景を後にしてその場から命からがら逃げ帰った話、その時に焼夷弾をまともに受けていてなら母共々、この世に存在していなかったと、その場の難を逃れた母の話を小さい時に何度も聞いた記憶が生々しく脳に焼き付いている。

身重であつた母は翌月に自宅が在った品川・立会い川駅付近で1945年4月に私をその防空壕で生んだのです。

当時、父は軍の物資を製造していた技術者で、身長180cm近くもありましたが、軍工場の重要な技術者と言う理由で出兵は免れました。しかし終戦と同時に足尾の山中に引きこもり、木炭製造業として生活を営む事になってしまいました。物語はこれから始まる。

(立会川駅周辺はかつて、旧・土佐高知藩 山内家の下屋敷があったことで知られる。土佐といえば、幕末の英雄・坂本龍馬抜きには語れない)

生まれて4ヶ月未満で死に直面

空を見上げると数機の攻撃機が低空で飛来し家の近くの工場らしき建物に突然、機銃照射を浴びせ襲い掛かってきた。それは夏の暑い日、終戦までアト僅か数週間足らずの出来事でした。

私は6歳年上の兄の背に、生まれて4ヶ月も満たない時であっただろうと兄は回想し語りました。

母から私の「子守」を頼まれた兄は家からそれほど遠くない立会い川駅付近に差し掛かった時、空襲警報のサイレンがけたたましく鳴り響き、兄が自分の身の置き所を考える暇もなく、攻撃機の轟音と共に「バリッバリッ」と言う機関銃の銃弾を発射する音を耳にするのです。

とっさに石垣と道路の四隅に身を潜め、背にしている私と兄はその銃弾から逃れるのに必死であったと、その様な死に物狂いの中に、一発の銃弾が私と兄の身体をかすめて、身を潜め、ジッとしているその道路上に「ビシッ」と言う不気味な音を発し叩きつけるのです。兄はこの時、まだ6歳そこそこの幼子でしたが春雄とここで一緒に死んでしまうのか!と覚悟を決めかけたと、私が60歳も過ぎた頃に話してくれました。

私を背負って子守をしながら遊んでいた場所は立会い川駅近くの兵器工場らしき建物で、その土台となっている石積み、高さが80~100㎝あったであろうか、石積みと道路の直角部分に身を潜め、ジッと身動きせず堪えていました。

その様に隠した身のつもりであったであろうか、低空で飛ぶ攻撃機からでは隠れる意味もなく、むしろ恰好の餌食で、空から見たら的の一つに過ぎなかったであろうと想像するのです。しかし、無防備で無抵抗な兄と私は、ただただ身動きせずジッとして時の過ぎるのを、機銃照射の雨を止むのを、待つ以外、手立てはありませんでした。

その時間はどれくらいであったであろうか、一瞬の時間ではあったと思いますが、しかし一歩間違えれば死に直結する瞬間で、死との紙一重でした。

兄曰く、随分と長く感じたと延べていましたが、幸いな事に運良くその攻撃機は、その場所に再飛来する事もなく、はるか遠くに飛び去り「ホッ」とするのです。

道路に叩きつけた飛来弾、兄と私の身体から僅か1cm程度の差で「体をかすめた」そして道路に着弾したと言うのです。その弾が私と兄の体に命中していたならば、恐らくこの世にはもう存在していなかったであろうと感慨深く、兄は語るのでした。



私にとっては、これから人生を歩む第一歩と言う、この世に生まれ4ヶ月そこそこの時、生死の境目に立たされていたとは知る由もありません。

記憶に残されている多くの物事は5~6歳以上になってのこと、頭部の毛が生える部分、半分以上が損傷し、火傷の後遺症として「ハゲ状態」を認識するのも5歳頃、この損傷は生まれつきと心得て、第三者が気遣うほど私は悩む事もなく深刻さは認識せず、天真爛漫にそして無邪気にその事については無頓着に時を過ごすのでした。

その火傷事件、終戦間も無く、都会から奥深い山村に住まいを移し、生活の営みを始めて、私が2歳未満の春先に生じた事件でした。

母の苦悩

1947年ごろ 火傷事件と母の苦しみ  

終戦間もないこと、小さな村でも戦争の影響は計り知れない心の傷跡を残し、そこで営む人々の生活は苦しいものがありました。

都会から疎開しそのままその地に居座り、9歳と8歳の姉妹、6歳とまだ生まれて2歳未満の兄弟、そしてその父と母、6人家族のある日の出来事です。

まだ冬の気配から抜けきらない3月のその日はとても寒い日でした。母、千代は2歳未満の春雄が久しぶりに生まれた子供であることで、久しい母性本能の目覚めがそうさせたのだろうか、その子がとてもいとおしく、その子の可愛い眼差しは、もう眩しいくらいでした。

上の男の子と6歳、離れて生まれ、特別な思いを寄せ愛情を注いでいたのです。

近所の美代子ちゃんがハィハィする可愛い盛りの春雄を見にやって来ていたので「美代子ちゃん、一寸だけ春雄を見ててね」と、

まだ5歳そこそこの子は「ハィハィ行動」の乳飲み子と言え、5歳の子にはハィハィするスピードに追いつかないのは母として承知していましたが、

表の母屋から少し離れた水場で、一寸した用事を済ませる為、その美代子ちゃんに春雄の面倒をお願いしたのです。

「春ちゃんウンコして臭い!」と当然オムツをしているが五歳の幼子は正直に母にその事を告げに、春雄から離れ、こちらにやって来るではないか、、母はそれを見るなり、

ウワァー!大変と大声を叫びながらその水場に母を呼びに来た美代子ちゃんを見て青ざめた。

それは一瞬の出来事です。慌てて表の水場から母屋に一目散でつっ走り、駆け戻ったさなかに、「ギャァー」と叫びとも悲鳴ともつかない声がしたのです。

囲炉裏にはまだ寒さが残り、暖を取るために炭と蒔がこうこうと火を放ち、火の勢いも強くその火の威勢の中にすっぽりと、顔は上に向け後頭部が火の中に埋っているではないか!

また囲炉裏に付き物の「自在鉤」には煮い立ったお湯をいっぱい入れた鉄瓶がその我が子の顔の上に掛かっているではないか!

その母の動転ぶりは想像を絶するものがあったに違いない。後頭部が火の中に落ちてる我が子、手と足をばたばたさせながら断末魔の悲鳴をあげ、もがき苦しんでいるその様子を目にし、母はパニック状態ですぐさまその火中から我が子を救い上げたが、時すでに遅しでした。



春雄のハイハイは予想をはるかに超えるスピードで畳の上を進み、美代子ちゃんが母親を呼びに行っている隙に、囲炉裏に落ちたのです。

畳の間と囲炉裏には段差があり、その段差から落下、後頭部だけがコウコウと放つ炭火の中に入っていた!と母の言葉でした。



目に入れても痛く無い、愛する我が子が、火で皮膚が焼ける独特の臭いを放ち、そして焼けただれたしまった後頭部は真っ赤に火となっている炭が付着し、それを手で払い退け、

必死でその後頭部を撫でるのでした。この撫でてしまった行為が後日、思いも寄らぬ事を引き起こすとは・・・・・

母は自分の不注意で、また5歳も満たない近所の美代子ちゃんに我が子を見てて欲しいと安易に頼んだのが、どれほど後々まで悔やむか、その時はまだ気が回りませんでした。

焼け爛れたしまった我が子の後頭部を見て、悲しみに暮れ、そして遊びから戻った2人の姉妹と兄は母の泣き姿と悲しみくれる容易ならぬ現状を見、「春ちゃんが死んじゃう」と一緒に泣け叫ぶのです。

母、2人の姉妹、そして6歳の兄、起きてしまった事はどうにもならず、しかし幼児期の中でも一番かわいらしく愛くるしい時期、母は3人の子供を育てた経験から「ハィハィのスピードが早く目が離せない」と知り尽くしていたはずが、自分の不注意でもたらした責任に苦しむのです。

後日、母の言葉は、余りにも春雄が可愛そうなのでいっそのこと一緒に死んでしまおと、何度も考えたと述べていました。

それは春雄が治癒する段階に於いて、後頭部の火傷が「やけど跡」として毛髪が生える見込みが無く、後遺症とし「ハゲ状態」は避けられないと医者に告げられていたからです。

火傷は本人に知る由もない、本来あるべきツムジを中心に後頭部2分の1は焼けただれ、親は何とか治そうとあらゆる手段を講じ、最後は祈祷師にと、その親の対処の努力にはすごく感謝するのみである。

しかしそれは組織が破壊され傷が治癒した時は、火傷独特の光を放ち、どう見ても「頭にお皿」が載った状態と、まるでカッパであった。

幼少期を知る多くの近所の方々は、その傷跡のお皿状態を見て、余りの気の毒さに同情し、母と一緒に泣いていたと聞かされました。

この傷は春雄に一生、付きまとい離れない!と思うと、我が子が成人しその時の悩みを察しそのつらい母の心、それは言葉では表せないほどの我が子に対して、申し訳なさと、自分の責任を感じるのです。

幸いな事に、その我が子は天真爛漫に育ち、そんな傷、何処吹く風かと、気にすることも無く、元気に健全に育ち、それが母にとってどれだけ救われたか、これは後日、母の談でした。



20歳頃からはこの傷に悩み、治そうとパワーを全開し、傷の修復に取り組むのだが、大変、お金のかかる事で、この治す裏にも秘めたドラマが・・・



現在までにその悩みでつぎ込んだ累積は3000万円以上ほど、数回の手術、その後の経過が気に入らないと、カツラだ!何だかんだ!と丁度、家一軒分に相当するくらいお金がかかってしまったが、今思うと「アホな事にお金を費やしたなぁ~」とその思いだけしか残っていません。

現在は超越の心境で、そんなハゲどうでもいいことで、何でそんな事に悩んでいたのだろうとその悩みもアホらしい、と思うのです。

昨年2010年11月、96歳で大往生を遂げた母に「俺を生んでくれてありがとう」とその死に顔に接吻をして、サラバ!と別れた。

更には、現在まで棺桶に足を突っ込み、何度も三途の川を渡り、あわてて途中で引き返し、難を逃れた事は続く・・・・後日へ綴る

読んで頂いた方へ!
長文、お付き合い頂きありがとうございました。コメントも記していただきますと嬉しいです。

手術痕の坊主頭、綺麗に修復されていますが、ツムジがありません。
Posted at 2011/10/23 08:02:24 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月22日 イイね!

軽井沢の秋

軽井沢の秋ここは軽井沢万平ホテル前、宿泊するほど家から遠くないので泊まることはありませんが、時々、このテラスでコーヒーを飲みたくてカフェに入ります。

旧軽井沢の諏訪神社近くの駐車場に車を止め、そこから歩いて来るには散歩がてら、程よいコースなのです。

軽井沢の雰囲気がそのまま味わえる歴史ある別荘地、そこにたたずむ唐松林、冬は寒いですが、それ以外の季節には、それはこころを癒す「散歩道」です。

この万平ホテルのカフェ、夏には洋ナシのシャーベットとコーヒーです。かみさんは何時も紅茶になにがしで、何時も決めていませんが私はコーヒーだけか、夏のメニュー「洋ナシシャーベット」です。

新しい施設、中軽井沢星野リゾート「ハルニレテラス」も良いですが、昔からの万平ホテルテラスでのコーヒータイム、景色を見ながら時間を過ごすのも、これまた良き事かなと・・・・・。
Posted at 2011/10/22 13:01:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月21日 イイね!

女性だけの美しさ、その真髄!

女性だけの美しさ、その真髄!世の中で一番美しい女性美、それはルノアールの「裸婦」と私の解釈です。

女性には男性とは比較にならない生命力の秘密があり、凡人には量りえないルノアールと言う芸術の歴史上、稀な芸術家の目を通しその美しさを表現したのが裸婦なのです。

女性しか持ち得ない「柔らかい曲線美」この曲線美こそが生命力の秘密で、彼はこの裸婦を仕上げるにあたり解剖学や女性の神秘までを掘り下げて作品を仕上げています。

女性の人生一大事業「出産」という男には耐え難い難局を乗り越えねばならない宿命を背負い、その為に、この世で最も美しい神様の贈り物、造形美とその一大事業・出産なのです。

当然、それに耐えられる皮下脂肪、BMI、METsなど男とは比較にならないほどの高い数値は「出産」するが為の必要不可欠要素、そのデータなのです。

これをルノアールは裸婦と言う美しい造形美を芸術と言う媒体で世の中に知ら示したと思っています。

私の健康健全な信条を綴る中では女性について、私のその主張は男性論中心で、「女性は論外」その点をあまり明確に示してこなかった関係、誤解されてしまいました。

ルノアールの「裸婦」を鑑賞した高校生時代、カルチャーショクを受けたのです。
何と美しい女性の造形美、そしてこの世で最も美しい「柔らかく、こころを癒す曲線美」その衝撃は今でも鮮明に覚えています。

最近は過剰なダイエットで不健康そうなガリガリ女性が増え、本来のルノアールの裸婦を彷彿させるルノアールの裸婦的「美しさを感じる女性」が少ないのは寂しいかなと。

ただダイエット過剰な母親が出産した子供は、その母親と同じく栄養失調出産で未熟児にて保育器のお世話となり、件数も多いと先日、印刷媒体に記されておりました。

本質を理解せず己の不健康不健全さが美しいと勘違いの本末転倒さ、ルノアールの裸婦、最も美しい女性像、本来女性だけの特権で、ふっくらとした中の優しさ、温かさ、癒しの美である事を、不健全母親の出産リポート記事結果を読んであらたに考えさせられました。

女性の方々、少しくらいの皮下脂肪、それは美しさの象徴である事に自信を持って「その美しさの主張」をぜひ!



私は「facebook、みんなから」などのSNSを数箇所に自分の思いを記してますが、その他のスレッドに女性の方からこんなコメントがありました。

≪モデルをしている女性があるパーティに来て、トイレで食べたものを吐いていました・・・。
仕事とは言え、健康な食欲、自然な欲求に反して生きている彼女。まだ未婚なので、幸せな結婚生活が送れるのかと心配でした。
誰かが仕組んだ「痩せている方がいい」という怪情報に、強迫観念を持っていた自分でしたが、好きになった男性から「全然太ってないよ。ほとんどの男は痩せた女は好きじゃないよ。」と聞かされたときに、
本当に嬉しかったです。もちろん、ダイエット食品、用具も捨てました。≫

Posted at 2011/10/21 05:55:24 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「[整備] #DS5 左ダミーの排気口を生かす! https://minkara.carview.co.jp/userid/157970/car/2734318/5202340/note.aspx
何シテル?   03/08 21:45
人生120歳!120歳! 2005年4月に還暦を過ぎ丁度人生の折り返し地点と思っている。人は120歳まで生きられる資質を持ち合わせて世に排出して来るが、1つ悪...
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