
日記・・・・・
コレ、自分の事を記すのが当然と思い、ただひたすら「己の行状」だけを綴って365日、脳内活性の目的も兼ね楽しんでいるのだが、時には人にうとまわれ嫉妬、ねたみ発生となり「物議」となる事も度々で、しかし、コレ人生いろいろ人もいろいろ、人には人の生きざまありで意見の一致などはアリエヘンし論外。
60歳は人生の折り返し地点と唱えそれから10年、現在70歳を迎え江戸時代なら「古稀の祝い」とし誰もが祝福してくれたことであろうと思うが、この近世では平均寿命男性80歳を超え、人生70年これ稀なり!とは行かない。
なぜなら平均寿命50歳と言う江戸時代に生まれた格言であり確かに人生70年は「稀」であつただろうが、今の時代は「稀と言えない」健康元気時代、たかが70歳で祝盃とは恥ずかしくてと、恥ずかしくて、それほどに誰もが普通に年齢を重ね単なる人生の通過地点にすぎないだけである。
しかしその70年の生き方は人それぞれ、思考もそれぞれ、行動それぞれの中で我が経験、実践が毎日の日記をモチベーション低下させることなく綴り、次々と頭の中から湧き出て自然にキーボードを叩く導きを施している。
経験は私の師匠、経験無き事、語るべからず!己の経験が全てであり他人様に於いても、その「他人様の経験」素直に受け入れられ、今までの人生の歩みに計り知れない影響も受けたのである。
医療費のお世話にならない、医者のお世話にならない、この経験、実践で著名人な五木寛之さんの存在がある。
この方、1932年生まれ私よりも13歳年上で今年83歳になろうと言う方、病気一つする事なく病院と言う医療機関を訪れた事も無いと言う「猛者」こんな方の経験、生き方こそが教科書となり私自身を奮い立たせてくれる。
私の場合は病発症でその治療の為の医療機関を訪れるのは避ける努力を怠りないが、「病発症防止の為の検査」には医療機関への訪れ、皆無とは言い難く、最新の検査機器を積極的に活用で「医療費支出」は免れない。
しかし五木寛之さんはこの検査さえ一度も行った事が無いと言うその「堅強さ」には驚異感さえ覚える。
最新の雑誌でその真実の姿を述べているが、この様な方の生き様こそが何よりもの得難い「体の治癒」であり、その努力が栄養となり発奮する素でもある。
100歳を超えた健康長寿の方の生活習慣、食生活習慣、この方々の生きざまも五木寛之さん同様に敬服と目標の為の良き指導書であり、経験は私の師匠そのもので、より健全健康生活を推進するがためのモチベーションアップの源でもある。
医者のお世話にならない、医療機関に足を運ばない、五木寛之さん同様とは行かない、なぜなら彼は13歳も年上、その生き方と同列になるには13年先の事で、それには私なりの努力
1、400kgの重いバイクをコントロールする体力維持
2、掃除洗濯料理と言う家事、専業主夫役の徹底さ、長寿健康体構築に欠かせない
3、1時間7kmスピードウォーキングは365日の朝の日課
4、アナログ車のメンテ、ハーレーダビットソンのメンテは全てを自分で
5、365日の己の経験に基づく日記の綴り
6、中学生時代よりの1日4時間睡眠、これ1時間延長で5時間の効率よい絶対的睡眠時間
7、見てくれも中身も「18歳当時の体型」維持、身長178cm、体重66㎏、体脂肪9、筋肉量56~7kg
8、腹筋、背筋、足の筋力強化の軽度なストレッチ
と上げたら切りが無いほどの日常的習慣、ストレスない毎日の積み重ねこそが医療費のお世話にならない手段の一つとして捉え、その習慣をライフスタイルリズム、この継続する事が健全健康そして健康長寿我が人生。
ただ五木寛之さんの「一切、医者にかかった事が無い」の83歳の生きざまかを通してみたならばまだまだひよこと言わざるを得ない。
人生ARUKIだ!歩きは健康健全源泉、1時間7km歩行で医療費のお世話にならない生活、コレ我が体験より学んだ健康管理のキーワード。
Posted at 2015/04/25 11:14:56 | |
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