
今日は、記念すべき私のマイカー第一号について書いてみようかと思います。「ろくむし号」の称号を持つ私の愛車は現在まで3台。初代はユーノス・ロードスター(NA6CE)で、二代目はホンダ・ストリームiL。そして三代目が現在のインプレッサですね。でも、ロードスター以前にも実は二台の愛車があったんです。愛車第一号は、奇遇にもSUBARUだったんですよ。それも過給器付き。レックス・スーパーチャージャーECVTだったんです。
購入の動機はいたってシンプル。今となっては信じられないんですけどもね(苦笑)
TVCFがカッコよかった
こんな理由だったりします(ちゅど~んっ!)当時20歳の私が初めてのマイカーを購入しようというとき、お金のない私は父親に援助をしてもらいました(^^;) そして、パトロンである父親の意見も入れつつ最初の愛車選びをしていたのですが、当時は初めてのクルマなんだし、小さいのでいいだろうということで、必然的に維持費も安い軽自動車に、ということは決まっていました。
では、軽自動車の中で何を選ぶのか? ということになったとき、テレビで流れていたコマーシャルにレックス・スーパーチャージャーがあったんですね。このTVCF、なんと当時は大流行していたジョージ・マイケルの「FAITH」という曲のビデオクリップを多用したクールなもので、アップテンポの洋楽に乗ってレックスが右に左にとワインディングを走行する、というものでした。
そのCMに登場するグレーメタリックのレックスがやたらとかっこ良くてねぇ~(*^_^*) 特に、すっとーんと落ちたスクエアなフロントデザイン、そして当時としては特大サイズのリアルーフスポイラーがシブかったですね~。
そして、記念すべき国産第一号のCVTミッションである「ECVT」を搭載していたのもエポックメイキングでした。
私としては軽乗用車(50ナンバー)の5ドアがいいなぁ~って思ったのですが、5ドアだとなんと!このルーフスポイラーが装備されない! 今思ったらこんなスポイラーぐらい、あとからでも部品引いたら取り付けられるのに、当時はそんなことは思いもよらず(爆)、素直に3ドアの軽貨物車(40ナンバー)を購入。なので、正確には私の購入したレックスは「レックス・コンビ」という名前のクルマだったのでした(^_^;)
けっこう安直に、レックスに決まった私の最初のマイカー(*^_^*) 当時は京都で大学生だったのですが、母親の経営していた化粧品店の「配達用社有車」という名目での購入でしたので、必然的に徳島ナンバーとなり、納車も徳島の実家だったため、京都から納車のときには帰省してきました。
今は航路廃止となってしまった南海フェリーで小松島港につくと、真新しいグレーメタリックのボクシーな軽自動車がとまっていました。そらもうワクワクしたのを今でも覚えています(^^) フェリー乗り場まで乗ってきた父親を助手席に追いやり、さっそく港からドライブに出かけたのですが・・・最新のECVTミッション
、信号待ちで止まるたびにエンジンがストールしてしまいます(核爆)なんじゃこりゃ? ということで、納車直後にもかかわらず早速購入した知り合いの自動車修理工場へ(汗)
チェックしてもらったところ、なんと!
スピードメーターのケーブルを繋ぎ忘れてる
という信じられないトラブルが発覚したのでした(どっか~んっ!)これ、スバルから出荷された時点でそうだったのか、それとも販売店で納車整備していたときにそんなことになったのかは不明ですが、なんともお粗末な納車第一日目だったのです(苦笑)ECVTっていうのは無断変速のギアと電子制御クラッチを組み合わせたATなのですが、このクラッチはスピードメーターに連動していて、たしか速度が8キロ以下になるとクラッチが切れる仕組みなのです。
なので、スピードメーターが動いていないといつまでもクラッチが切れずにエンストしていた、というわけです(核爆)
こうして始まったレックスとの生活。それこそうれしくていろんなところに出かけましたよ(*^_^*) 一番遠くは千葉まで一人で行ったこと。高速道路でも、これがずーっとぬぬわキロ巡航でも全然へこたれないんですよ。このレックスは今の軽自動車の規格よりも2サイズ小さい大きさと、550ccのエンジンだったのですが、それでも普通に高速巡航してくれました。それまで、親戚のおばちゃんに借りて乗っていた古いミラでは信じられないぐらいの高性能だ! と嬉しかったものです。
そうそう、エンジンといえばこのレックス、スーパーチャージャーで武装した55馬力のエンジンを搭載していたのですが、このエンジンがなんと! SOHCの2気筒エンジンだったのですよ(どっか~んっ!)
こういうことは買った後から雑誌などで知ったわけですけども(^^;) さすがに二気筒エンジンだと、アイドリングで振動が結構あって、エンジンかけたまま旅先で車内での仮眠というのは辛かった思い出がありますね。
そして、レックスを買って2ヶ月もしないうちに、あの名車
アルト・ワークス(丸目/64馬力)
が発売になるわけですよ(T_T) これは心底悔しかったですね~(苦笑) そして、その後のマイナーチェンジでレックス・スーパーチャージャーは4気筒モデルに一気に格上げとなったのでした(号泣) なんてこったい。。。
まだレックスに乗っていた頃には、走りに目覚めていたわけでも何でもなくて、クルマはドライブしたり移動するための便利な持ち物、という感覚でしたね。いつもきれいに洗車してましたよ、この写真のようにね(^_-)
このクルマでけっこうあちこちとデートにも出かけましたね~ いやはや淡い思い出やら切ない思い出やら、
甘酸っぱい青春を乗せて走り抜けたのがこのちっこいスバル車だったのです(^^)
55馬力というと、非力なイメージですけども、なんせ当時の軽自動車は600キロぐらいしかありませんから、加速はかなりのものでして、大学の友人(先日、京都からアルファ156に乗って遊びに来た彼です)の乗っていたBMW320i(スポーツバージョン)と、和歌山の埠頭でゼロヨン対決をしたことがあったのですが、440万円のBMWと105万円のレックス、ゼロスタートの加速はまるっきりの互角でした(^^)
ただ、やはり難点もあるというかなんというか。。なんせ小さなエンジンルームに無理矢理に過給器まで突っ込んだ旧式の2気筒エンジン、熱的にはかなり厳しかったようで、夏場にはエアコンをかけてもほとんど冷えず、かなり暑い思いをしましたね(苦笑)
そして決定打となったのはオーバーヒート。真夏の名神高速天王山トンネル(当時はまだ拡幅工事前で渋滞のメッカでした)でオーバーヒートし、危うく就職活動で大阪に向かっていたのに、訪問先にチコクしそうになったこと(滝汗)
早速帰宅してから京都のスバルディーラーに持ち込んだのですが、
サーモスタット関連の電装品が溶けてしまってる
とのこと。なんで? と聞いたときのディーラーマンからの一言で、私は売却を決意したのでした。その一言というのは。。。
軽自動車ですからね~
京都の夏は暑いですから、
耐えられなかったんでしょう。
おいおい、するってーとなにかい? スバルって会社は京都を夏に走ると壊れるような車を作って売ってるんかい!?(-_-)
ほんと、ちょっとした一言っていうのは怖いですね~(滝汗) 即座に私は2年間、5万3000キロを走った愛車を売却することになってしまったのでした(^^;)
今思えば、まぁ普通に軽自動車っぽい軽自動車だったな、と思うのですが、
それでも当時の軽自動車パワー競争に旧式の二気筒エンジンで果敢にも参戦し、ノーマルのレックスをエアロで武装、最新型のATを搭載してきた、っていうところにスバルのスピリットを感じますよね。実際、このフロントフェイスは今でもカッコいいな、って思います。
そういやこのレックス、ヘッドライトもフォグライトも全部イエローでした(^^) これも当時は流行ってましたもんね~ 欧州車っぽい、イエローヘッドライトがスポーティの証、みたいな感じで、ダイハツ・ミラやスズキのアルト・ワークス、そしてシャレード・デトマソターボなど、こぞってイエローバルブのヘッドライトを装備していたものです(^^) いやはや懐かしい。。。。
結局、この最初の愛車はほとんどカスタマイズすることもなく(というかあんまりよく知らなかったんですね)、ノーマルからいじっていた点というと、ワイパーにフィンを追加していたことと、フロントバンパーのウインカー部にスモークのシートを貼っていたことぐらい。あとはステッカーをチマチマと何枚か貼った程度だったと思います。マフラーも当然純正(といっても、元からデュアルパイプだったんですが)で、アルミも純正のまま、タイヤも一度もう交換せず、純正装着のミシュランMXL155/70R12のままでした(^_^;)
当時は毎月のように「K-carスペシャル」っていう雑誌を購入して、いろいろとチューニングのこととかも情報は仕入れていたんですけども、あんまりパワーアップとかサスチューンとかには興味がなかったんですよね(苦笑)なんせ、走り自体にそれほど興味があったわけではなかったですしね(^_^;)
そしてこのレックス、売却したわけですけども、気が付くと
同じ町内のおばさんがお買い物車として購入していたのでした(ちゅど~んっ!)
最初にかつての愛車を見かけたときには嬉しくなったものでしたが、なんせおばちゃんのお買い物グルマ。。。見るたびに傷が増えていってるし、いつ見てもうす汚れてて、なんだかとってもかわいそうでした(T_T)
さすがに今となっては町で走っているのを見かけることもほとんどなくなった二気筒のレックスですが、今でもごくまれに見かけることがありますね。そんなときにはドライブデートに誘い出してはみたものの、見事にフラれた幾人かの女性のことを懐かしく思い出す、そんなわんぱくオヤジ、38歳なのでした(笑)