
オイラも書いてみる
いま乗る理由、、、、降りられないんだよね。
この期に及んでただ乗るだけでワクワクするのってすごいと思う
車歴から書こう。
当時信州に住んでいたボクは12月に免許を取った。
免許公布日に買った車はAE70のセダン
値段は1万円だったと思う。
車屋のオヤジは「車検が切れるまで乗りな」と言った。
自転車をかっこよく屋根に乗せて走れたらいいなと思った
しかし2週間後大雪が降る。
滑る、カウンター、手が遅れる、スピン、・・・・楽しい!!
その年まだスパイクタイヤがOKだった。解体屋に行けば幾らでも手に入り1セット/月以上を履きつぶす勢いで雪道を走り回った
リアバンパーを壁にこするギリギリでドリフトするのが面白くてサルのように走り回りました。
自然な流れで競技に出るようになり、TE71セダンを友達3人と共同で買ってダートトライアルにでた。
ラリータイヤが買えなくてピン抜きスパイクタイヤで出場した。
足回りは買ったまま、デフはとても買えなかった。
パドックで他のエントラントにノンスリを自慢されて、うらやましかったけど、自分もノンスリがあればいつまでもドリフトできる、と、かなり間違った認識をしていた。
71で出場したときは80台中30位くらいだったと思う。
小さく降り返すコーナーうまくいかずいつも怖い思いをした。
1600ccクラスは8割がハチロクだったとおもう。
かっこよくてものすごく憧れましたね。
ところが翌シーズン話を聞きつけた先輩が譲ってくれてホンキでシリーズを追うようになった。
71でできなかったことが面白いように決まって86が大好きでたまらなくなった。
そこからはサル度合いが増して夜中の林道を走りまくったのだけど、峠には行かなかった。
ガラが悪いつーか、怖い感じで嫌だったのと、たむろって、缶コーヒー片手にたばこ吸って喋ってるだけで、ぜんぜん走らないヤツとかいてウザかった。
練習すればしただけできるようになるのが自分でも分かってどっぷりはまった。でも表彰台に乗れなかった。
その冬はとにかく異常なくらい走りまくった。
春にスタートラインに着いたときは他のどのエントラントよりも練習した自信があった。
その年は出る大会ごとに表彰台に乗れるようになった。
後半戦ではショップサポートもついた。
が、最終戦前に3速全開から進入するコーナーでムーンサルトを決めてしまった(爆)
すべて終了!
わずかな学生のバイト代全力投入だけでは足りずにヒモのような生活をしながら上を目指してた、なんて夢を見てみたけど、屑鉄になった車ではない塊を見て現実に戻った。
全部を犠牲にしてやってきた時間も、何にも残らなかったな、、と思って足を洗いました。
何年か経って再びハチロクを買ってみた。
誘われるままに初めてのサーキットにいってみたらあらら、、、楽しい!!!
何にも残らなかったと思ってたのだけど、ボクの中に何かが残ってたんだなー
あの時マジで走ってて良かったって思えてマジで嬉しかったです。
ボクが走りに一生懸命だった頃の思いとか、ワクワク感だとがが未だにハチロクの中にはあるので、まだ降りられません
未練たっぷりです。
あー、長すぎてすいません
Posted at 2005/11/05 22:22:43 | |
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ハチロク | 日記