この週末を利用して、福島の叔父の家・宮城のスネークさんの家まで行ってきました。
東日本大震災が、どの程度の被害なのか?
自分の中で、「相当酷い被害」とわかりきった答えを、
「当たり前のように自分で出していた」ように思います。
ニュースやインターネットですごい数の報道がされているし、
人づての話やら聞いて、きっと自分は勝手に評価していたのでしょう。
橋げたの修復を応急的に終えている東北道を走り、
福島県の矢吹インターを降りたら、
今まで自分が見続けてきた光景とは違う「矢吹」を目の当たりにしました。
祖母の実家は全壊で既に更地と化し、道に沿った墓地は、その半分近くのお墓が倒れていました。
石川郡石川町まで通る農道は、道の半分が砂利で修復され、
所どころマンホールが50cmも突き出していました。
「こんな田舎になっちゃった・・・・」
叔父さんの家は、4年前に従兄弟が新しく建て直した所謂「新築」です。
この震災で全壊こそ免れましたが、家の中は階段室・和室・台所・外壁・・・など、
いたる所にヒビが入り、見るも無残な状況でした。
救いは、いや、もし建て直さなくてあの古屋敷のまま震災に遭遇していたら・・・
きっと家族の何人かは命を落としていたでしょう。
着いた時間がちょうどお昼時だったので、お嫁さんがお昼ご飯をしたくしてくれていました。
農作業から戻った叔父さん・叔母さんを交えて、お昼をご馳走になりました。
「ゆうじっくん、このレタスはハウス栽培だっから、安全だからね」
オレは何も気にしていないのに、そんな言葉を発した叔母さんをみて、
何か苦しくなりました・・・。
あの土地で、代々受け継がれた農地を、
ただその農地で美味しい作物を作りたいだけなのに。
「いや~出荷停止の報道とか風評被害で野菜が出なくてなぁ~。」
一日も早く菅政権が終わり、原発事故が収束に向かう事を切に願います。
叔父さんは言いました。
「うちの米は農薬をほとんど使わない農法で育てるのだけど、
その努力も水の泡になってしまうのかなぁ・・」
切ない・・・・。
次の日、朝ごはんを頂いてすぐ、石巻まで向かいました。
東北道は北上するほど道が悪くなります。
仙台南JCで降りて、三陸道方面へ走ります。
右に行くと仙台空港、左に行くと三陸道石巻方面、分岐点、ジャンクション。
そのジャンクションの向こう側に、TVで見たあの凄まじい津波の傷跡が見えたのです。
倒木が流され、ボルボはグチャグチャのまま放置され、田んぼは一面真っ黒の汚泥。
「う~・・・・すごい・・・・・」
そのあと、声を失いました。
目測で7~8km先に海があるであろう松並木が見えました。
あそこからこのバイパスまで、津波は押し寄せたのだな。
自然の力・脅威。
もし同じ事が神奈川の平塚で起きたら、我が家は間違いなく水没・崩壊するでしょう。
そう思うと怖くなりました。その恐怖心は今も消えません。
引っ越す事は多分しないと思います。出来ないといったら正解でしょう。
だからこそ「備え」が必要だと思いました。
スネちゃん・knさん・ノコノコさん・熊七さんたちと昼食を取り
石巻にあるスネちゃんのお宅に伺う事になりました。
「スマちゃん、せっかく来たのだから少し遠回りして、石巻の現状を見ていってください」
きっとあのジャンクションで見た田んぼの状況が、延々と続く光景なんだろうな・・・・
そんな事を思いながら石巻市の方へ車を走らせました。
インターを降りてしばらく走ると、その光景とは違った光景が飛び込んできました。
工業港に向かう道路にはダンプカーの行列、
右手の工業港の海には、船首が立ち、船尾が沈んだ修理中の船
左手の石巻港貨物駅には、転覆した赤い貨物車両、えぐれてグニャグニャの線路。
少し進むと、工業港に一時保管であろう瓦礫の山がいくつもそびえ立ち、
もの凄い埃を撒き散らしていました。
少し窓を開けて外の様子をうかがおうとしたら、
それはそれは想像を絶する悪臭が、辺り一体を包み込んでいました。。
「うっ・・・・すごいニオイ・・・・」
この劣悪な環境の中で、日本各地から駆けつけている自衛隊員や警察官の方たちは
休みも惜しまず働いているのかと思うと。
道路を石巻市の方へ左折すると
右手には、何食わぬ顔をした綺麗な海と水平線
左手は、まるで日本のどこかなんて想像もできない瓦礫と埃の「石巻」
涙なんて出るどころか、声なんて出るどころか、ショックが大きすぎて
それでも必死に捜索・撤収作業をしている迷彩服のオトコたちを見て、
何も出来ない自分。
この町は復興できるのだろうか?
この町に人と経済活動が戻ってくるのだろうか?
10種類の2000ピースパズルを、留守の間にぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、
それをいきなり目の前に出されて、
もし自分だったら・・・・自分だったらどうする?
諦めて全部捨てる?
20000ピースを地道に10種類に分類する?
それを1から組み立てる?
気の遠くなる作業、でも1から組み立てるために、今は10種類に分類するしかないんだ。
がんばろう!必ず分類できるから!
泣いて困っている顔をする時間があるのなら、
寝るのを惜しんで10種類に分類しようよ!
きっと今の石巻は、そんな状況なんだろうな。。。
スケールが違うけど、例えが良くないかもしれないけど、
きっと「1つ1つ」踏んで行くしかない。
そんな環境の中で、運命を噛み締めて生きている現地の人たち。
すごすぎて、言葉も涙も出ませんでした。
ここが同じ日本なのだな・・・と。
生き延びてくれたスネちゃん、そしてご家族。
娘さんがコーヒー受けにケーキを出してくれました。
こんなに胸の詰まるお茶菓子は経験したことがありませんでした。
気丈に振舞う奥様も、とぼけた笑顔で交わす娘さんも、
その仕草・言葉、全てに胸が詰まりました。
石巻に向かう時、福島の叔父さんが、朝摂れのレタスとほうれん草を持たせてくれました。
「福島の野菜って言うと、みんなイヤがっかな?」
なんて切ない・・・ことばなんだろう。
自分のところも大変なのに、甥っ子の友人を心配し野菜を持たせる叔父さん。
その先の友人まで気を使うおじさんたちの置かれた現状。。。
東北の人たちの温もり・思いやり。
切なさ、やるせなさ。。
原発収束が見えない今、何年先になるかまったくわからない今、
それでもおじさんたちは作付けをしています。
それしか生き延びる方法がないのです。
「福島」と言う名詞で一括りにされ、風評被害があっても。
今回、私はあの凄まじい現状を目の当たりにして、
改めて「自分にできること」を考えています。
東北地方は、現在も地震が頻繁に起きています。
私も叔父の家で「福島の地震」を体験しました。
私の住む神奈川の地震とはかなり揺れ方が違います。
小刻みに鋭く。
時計で言うと、6ビートと8ビートのような感じです。
同じ震度3でも「こわっ!」って感じる揺れでした。
もちろん地域差や家の構造などでも違うのでしょうけど。
言葉や文字で「頑張ろう!」って伝える事も
言葉や文字で「大丈夫?」って心配する事も
それも大切なアクションだと思います。
でも今は、もう一歩踏み込んだ「何か」を見つけなければいけない。
その「何か」にむかって動くことが、私たちの絶対値だと思っています。
仙台も福島も、岩手も茨城も千葉も、
復興までまだまだ時間がかかるでしょう。
でも「1つ1つ」踏んでいけば、必ず開けてくるでしょう。
そのために「自分で出来ること・自分にできること」実践していきたいと思います。
一緒に頑張ろうぜ!!東北!!