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garagekazuのブログ一覧

2019年02月28日 イイね!

今晩、明日朝、明日昼 メシ

今晩、明日朝、明日昼 メシ自動車業界が殺気立つ「3月」
が、明日から始まります…
わしゃ、既に先々週からシンドイw
で明日、自分が楽する為に。
今晩(わしゃ用の)「ピリ辛チゲ鍋風」
明日朝 「クリームシチュー」
 と、小松菜&油揚げの炊いたん。
明日昼 シチュー残りにパスタ
 &溶けるチーズをトッピング。

ってなシナリオを描きつつ、それぞれの食材をちょっとずつパクって、
自分弁当も仕掛けて置いてっと。
同居人?怪獣達?が普段喰ってる?カップ麺の空き箱を弁当箱に(笑)



自動車税の始期だけでも、何とかならないのかなぁ…


毎年、毎年、激混みの 「3月陸運局」ですけどね。
これ、何だかんだ言って
その月中に全数処理している(出来てる)?

それならばね。
それ以外の月も、倍の台数出来るんじゃないの?
3月以外の、他の月は「サボり気味に」しているのん?

ま~ったく、税金原資で飯食っているヤツラって、
頭の中は、どうなってんだか。
Posted at 2019/03/01 01:57:23 | コメント(6) | トラックバック(0) | 料理は目分量やし。 | 日記
2019年02月24日 イイね!

もう溜息はつかぬ

もう溜息はつかぬ昨日やった作業の内の、ひとつ。

純正の配線カプラーから電源を頂戴しました。
ホンの少しでも、材料費、工賃を安くする為に
ジャンクハーネスの箱から、拾った配線を使用。
一個のターミナルから、2つのホーンへ行く為に
ギボシ端子からは、収縮チューブを使って養生。
純正カプラーへの配線を済ませたら…
設置した時の端子位置が‘上を’向くの。

バンパー内だから、直接雨、水は掛からないトコロではあるけれども。
ここまでしなくっても、きっとこの車に乗っている間に
ホーンを交換した事による不具合は出ないだろう。
しかも、依頼主には「見えない」トコロだし。
作業における完成度の‘質、高さ’は、対価には反映しない。
ホーンなんて、鳴れば良いのだから。


でも。
わしゃが‘触る車’には。
常にその時の「最善」を施していたい。
わしゃが、自分に嘘を付かないように。


ペフシート(スポンジの防音防水シート)を、カプラーサイズに切って貼り付け。
万が一の事故時に、前がつぶれてもショートしたりしないように。
勿論、防水、湿気対策も兼ねて。
配線時に使った熱収縮チューブの端っこが、ペフシートからちょっと出るように貼る。
どーでも良い自分の主観がそうしようっと。


ここまでやっておけば、‘純正以外の後付け品’でもリスクは減らせる。
こんな事をしていると、わしゃはヤリタイ事をする時間は無くなるけれども。



わしゃの愚痴の様な、こんな駄ブログを見て、みん友さんが「コメント」「イイね」をくださる。
御自分の車の整備や、メンテナンスについて、わしゃに相談や質問をしてくれる方も。
当てにして貰えるって事は、ホント素直に嬉しいです。
現車作業の依頼主には伝わっていなくても、やった甲斐があります。救われます。



天気エエから、洗濯物が早く乾いて助かる。
あぁ~報われているわ、わしゃ。


Posted at 2019/02/24 09:25:41 | コメント(5) | トラックバック(0) | 今日の作業。 | 日記
2019年02月21日 イイね!

神様ありがと♪



酔っ払い、時系列がメチャクチャでした…(汗)



先々週週末の、3連休は…
9日土曜日が、併願私立高校の受験日で。
次の10日日曜日は、わしゃの京都市内の用事ごと。
で、最終日の11日に「北野天満宮」へと行って来ました。


うちの問題児、怪獣1号の第一志望は本命の
「公立高校 機械科」の受検日なのでした。
↑は、先週末16日…デス。

ーーー --- ---


本人以外の、わしゃ達に出来る事と言えば~‘神頼み♪’




学問の神様 ‘ 菅原道真’ 様に、すがってみます。




牛に触ると、御利益が有るんだって♪




(わしゃんち以外の方々は、ほとんどが買われていた) 御守。




神社の様なトコ





腰が痛い人の様に(笑)




朱塗りの下で、左からー 怪獣1,2,3,号 。




何だか、祈っています。







先々週の、梅の花。今週は、満開かなぁ?




合ーーー格ーーー!だってよ~♪ 「梅の花咲く」




皆が眠った後に、一人でじっくり飲もう…っと  <嬉泣
Posted at 2019/02/22 01:23:29 | コメント(16) | トラックバック(0) | 独り言、なと。 | 日記
2019年02月17日 イイね!

「こんな父親」ってか、人になりたい。




休日の午後、普段あんまり見ないネットで読んだ記事。

Marjorie Clark Brimley 様?が、著者らしい。

自分の心が折れそうになったら、その時に読めるようにコピーしておこうっと。

ーーー --- ---


父のスクランブルエッグが教えてくれた「育児哲学」
夫を亡くした私を絶望から救う“無言の朝食”



幼い頃に母を亡くした筆者は、父が作るスクランブルエッグを毎朝食べて育った。
不愛想に「食べなさい」と出されて、会話もなく食べる朝食だったけど、その平穏が心地よかった。

約20年後、今度は筆者が若くして夫を亡くし、シングルマザーに。
残された子供たちを一人でどう育てていいかわからず、
途方に暮れていた彼女を救ったのは──。

朝食は1日のなかで最も大切な食事だと言う人がいる。
でも私にとって、朝食は人生のなかで最も大切な食事だ。

私が子供の頃、母は精神病を患っていたため、早朝に起きてくることはなかった。
つまり、母は家にいたけれど、朝食を作ってくれることは一度もなかったのだ。

幸いなことに、父はスクランブルエッグとバタートーストを作る“技術”を早い段階で習得した。
ティーンエイジャーだった私が毎日食卓につくには、それで充分だった。

スクランブルエッグとトーストを乗せた皿をテーブルに置きながら、
父は「食べなさい」と私に言った。たいていの場合、それは私たち親子が
その時間に交わす唯一の会話だった。私たちは黙って新聞か小説を静かに読みながら、
朝食の時間を過ごすのが常だった。

父の料理は特に美味しいというわけではなかったけれど、
私はそうした朝の規則正しさが大好きだった。規則正しい朝のおかげで、
自分の生活が平穏で普通に思えることがとてもありがたかった。

父は町医者で、評判の良い医師だった。また、母への献身的な愛もよく知られていた。
母は入退院を繰り返し、何日も床に伏せることがよくあった。そうした母の看病を
辛抱強く続ける父の姿は、多くの人にとってかなり不可解なものだったと思う。

でも当時の私はまだ子供で、そうした不公平や、父の徹底的な献身ぶりに気づいていなかった。
私にわかっていたのは、父は毎朝キッチンにいて、
文句も言わず料理を作ってくれるということだけだった。

しかし、そんな生活は長くは続かなかった。母が自ら命を断ったのだ。
父はティーンエイジャーの娘2人と残され、深い悲しみに包まれた。
それでも、父が泣いている姿を見たのは、母の葬式のとき、一度きりだった。

あまりに若かった私は、大切な人を失うことについて、まったくわかっていなかった。
だから、父がどんなに憔悴しているかにも気づいていなかった。
私が覚えているのは、その後、父がしばらく朝食を作ってくれなかったということだけだ。



夫は末期ガンだった。40歳だった。


母が亡くなってから20年が経とうとしていたある秋の日の午後、私は父に電話をかけ、
自分が新たに直面している現実を理解しようとした。
電話をかける前に送ったスキャンデータを見た父には、長年の医師としての経験から、
夫のどこが悪いのかがわかったはずだ。

私たちは夫婦で父の意見を訪ねた。すると父は、慎重に見立てを述べた。

電話を切った後、夫のショーンは言った。「もしかしたらガンじゃないのかもしれない」。

「その可能性は充分にあるわね」と、私は答えた。

でも、私は父のことを知っていた。
その夜遅く、ショーンが眠りについた後、私は再び父に電話をかけた。

「パパ」と私は切り出した。「どのくらい悪いのか、教えてちょうだい」。

「良くはない」と父は答えた。

「だから準備が必要だよ。ショーンの生命保険は大丈夫なのかい? 
フルタイムの仕事に戻れるか? 子供たちをお前の健康保険に入れられるかい?」

父の問いかけに、私の体は震えた。「何を言っているの、パパ?」と父に詰め寄った。
「何が言いたいの? なんてことを聞くの」。私は怒りに燃えていた。

でも、父は正しかった。夫は末期ガンだった。40歳だった。

その年のクリスマスは、何とか乗り切った。でも、ショーンの病状は確実に悪化していった。
そして父は突然、西海岸からワシントンの私たちの家に引っ越してきた。
父は私の子育てを手伝ってくれるようになり、不安に包まれていた我が家を
精神的にも支えてくれた。
.


「僕が死んでも、きっと大丈夫だよ」


しばらくの間、私は仕事に復帰した。夫と父は、私が家にいない間、家のまわりを散歩して、
音楽や人生、ガンのことについて話をした。二人が私の母について話すことはなかったけど、
ショーンは心の中で母のことを気にかけていた。

「僕が死んでも、きっと大丈夫だよ」

ある日、ショーンはそう言った。

「君にはお父さんがいる。他の誰よりも、お父さんは君を支える用意ができているよ」

夫はいつだって現実主義者だった。父と同じだ。思うに、夫はあらゆる場面で、
悲劇的な母の死を耐えた父の秘められた強さを見たのだろう。
もしかしたら夫は、私たちの想像よりも早く、私がその強さを必要とすることになると
わかっていたのかもしれない。

私が夫の最期を看取ったのは、それからわずか数週間後だった。父はずっとそばにいてくれた。

夫がついに逝ってしまった現実を受け入れたとき、私は悲しみでうめき声をあげた。
父も、おそらく母の死を受け入れた瞬間、同じことをしたのだろうが、私にはわからない。
当時の私は幼すぎたし、そのことについて父に聞いたことは一度もない。

夫の死後しばらく、目まぐるしい日々が続き、私には初めてのことの繰り返しだった。
葬儀に集まった何百人もの前で、弔辞を読んだ。これから子供たちをどう育てていくか
という問題に正面から向き合った。

でも、そうしたことをすべてやっても、私は悲しみの霧に包まれたままだった。
私はよく父に問いかけた。「どうしたらいいの?」。

「きっと乗り越えられるよ」と父は言った。「私にはわかる。一年目は地獄だ。
その後はつらいだけだ。でも、私たちは乗り越えられる」。

それは励ましの言葉というわけではなかった。正直な言葉だった。



父の悲しみを知らなかった


それまでの私は、父にとって母を失ったことの意味を考えたこともなかった。
母の死は、私の心のなかで常に自分にとっての損失だった。
ウェディングドレスを選ぶのを手伝ってくれたり、孫ができたときに
泣いてくれたりする母親がいなかったのだ。

でも、夫の死後、時が経つにつれて、私は父と、父の悲しみについて以前よりも
考えるようになっていった。父は再婚しなかった。一度、父がこう言ったのを覚えている。

「マージョリー、たった一つの本当の愛をつかむんだよ。私のようにね」

母と夫の死は違う。でも、どちらも若い伴侶を残して逝ってしまった。
周囲の人はみんな励ましてくれたが、父は何一つ甘いことを言わなかった。

「自分でやるんだ」。私が落ち込んでいると、父はそう言った。「自分でできるんだから」。

夜、私がキッチンで泣いていると、父は何も言わず一緒に座っていてくれた。
私は父の無言をありがたく思った。何を言うことができただろう? 
私が泣きやむと、父は立ち上がって食洗機に入った食器を片付けはじめるのだった。

「おじいちゃん、いつまで一緒にいてくれるの?」

ある日、9歳の娘が朝食の席で聞いた。夫が死んでから数ヵ月が経っていた。

「君が高校を卒業するまでだよ」。躊躇することなく父は答えた。
「あるいはもっと長くいるかもしれないな」。

「よかった」と娘は言って、父が用意してくれたベーグルを食べた。

父が私に向き直った。「食べなさい」。

そう言いながら、父はスクランブルエッグが乗った皿を私のほうに突き出した。


父はここにいてくれる。その週の初めに父は、
私が望むならずっと一緒に住むつもりだと言ってくれていた。

父の視線を感じた。
もしかすると、父は私のような状態がどんなものか思い出しているのかもしれない。

「冷めてしまうよ」。私が黙って窓の外を眺めていると、父はそう言った。

私はとても疲れていた。39歳で夫を亡くし、幼い子供が3人残され、
目の前には一生続くかのように見える悲しみが広がっている。
私はため息をつき、あの日のことを考えていた。

「食べなさい」と父は繰り返し、皿を私のほうに押し出した。

私はフォークを突き刺し、顔を上げた。父はまだ私を見ていた。
父は私の皿の隣にコーヒーの入ったカップを置くと、席について自分の朝食を食べはじめた。

私はスクランブルエッグを食べた。父が私のために作ってくれたから。
それが、いまの自分にできることだったから。



ーーー --- ---




わしゃ、「相手が」自分の子供では無くっても。
自分に関わってくれる方々には、常に‘最善’を尽くしたい。
 

Posted at 2019/02/17 16:14:14 | コメント(5) | トラックバック(0) | 独り言、なと。 | 日記
2019年02月16日 イイね!

SNSに顔を晒してみるw

SNSに顔を晒してみるwキター――!

こないだの遠征時の、土産物。

バレンタインデーに合わせた?
かの様なタイミングで着弾♪

田中むねよし先生、
どうもありがとうございます!
Posted at 2019/02/16 22:23:38 | コメント(7) | トラックバック(0) | 独り言、なと。 | 日記

プロフィール

「ディーラー 昨今。 http://cvw.jp/b/159644/46222327/
何シテル?   07/03 16:06
「アマチュア」整備士。 他人様は気になさらない様な事に、 異常なまでの「こだわり」を 持ってたりします。 が、反面肝心な事には 「無頓着」だったりする...
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