2年半の闘病生活
病名・・・
「肝ガン」
母は今もこいつと闘ってる
仕事一筋
子供のために生きた母
思いおこせば
俺が小学校5年の頃
母と
ある約束をした
「大人になったら大きな家を建ててあげる! それと外車に乗るんや!!」
母は
「あんたがホンマにそうなってくれたら お母さんは嬉しいけどな〜」と笑った
ヤンチャだった俺は町内でも有名な「悪ガキ」
いつも校長室に呼び出されお説教
いつしか朝一はまず校長室が日課になった
なにかトラブルがあると
叱られるのは俺
先生に母を呼び出されるのも
珍しくなかった
そんなある日
理科の実験で生徒全員に磁石が貸し出された
そして
授業が終わると磁石を先生が回収した
数が足りない・・・
先生は真っ先に俺を教室の外へ連れ出しこう言った
「お前が盗ったのはわかってるんだ 今なら怒らないから正直に出せ!」
俺は身に覚えのない詰問に
「僕じゃありません!」というのが精一杯だった
すると
いきなりホッペを抓られ
太ももを抓られ
拷問が始まった
学校では一切泣かない俺は
黙って先生のされるがままに耐えた
そして
夕方 学校に母が呼び出された
先生はその経緯を話し
母をも
責めた
そのとき母がこう言った
「この子は確かにいたずらっ子でヤンチャです。でも他人様のモノを盗むような子じゃありません!!
この子は弱きを助け強い者に立ち向かう子ですから!」
絶対に人前では泣かぬ
俺は今でもそう決めている
でも
このときばかりは
先生と母の前で
泣いた
後日
磁石がクラスの級長の机の裏側にくっついていたのを先生が発見
偶然くっついてたそうな・・・
先生からは謝罪の一言も
なかった・・・
何があっても俺を信じてくれた母
新築した時も
外車を初めて買った時も
「あんたはちゃんとあの約束を果たしたな〜 あんたは私の誇りやで」
そう褒めてくれた
そんな母が7月に「肝性昏睡」で意識不明になった
先生からは
「3日経って意識が戻らなければ、もう・・・だめでしょう 覚悟・・・してください」
妹と一緒に
泣いた
呼びかけても呼びかけても
ゆすっても ゆすっても
反応がない
そして病院に泊まり込み
毎日毎日
母に話しかけた
すると4日目の午後
母は突然
目を覚ました!
奇跡だ・・・
医者もそう言った
しかし・・・
痩せ細った母は今も病院のベッド
もう
「頑張れ!」っていう言葉も
かけれない・・・
おそらく
もっても秋まで
そんな母に
もう届かないかもしれない想いを
伝えたいんだ
「お母さん、いや、お袋・・・
俺を産んでくれてありがとうな
心配ばっかりかけて
親孝行らしいことも出来なかったけど
ごめんな
でもな
こないだ約束したように
先に天国へ行っても
俺を
待っといてな
よく頑張ったな・・・お袋
あなたから
生きる強さを教えて貰ったよ
あの崖っぷちから
奇跡的に生き返っただけで
・・・
十分や
頑張れ!って言葉は
もう
かけんから
今度もし俺がこの世に産まれることがあっても
俺は
あなたの
息子で産まれるけん
俺がお袋との約束を守ったように
今度はお袋が俺との約束を
守ってくれよな
疲れただろう?
もう俺は
いいと
思う
ゆっくり休んでください
長い間
ありがとう
ございました・・・」
最後に・・・
キンモクセイの香りを
もう一度だけ・・・
・・・
・・・
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Posted at
2013/09/26 10:46:42