
私が過去に行ったマニアな
“おすすめスポット”から特選したものをご紹介します。主に趣味と実益から歴史的場所ばかりですがあしからず。。。
今日紹介するのは
国指定史跡「福岡城址」です!
この城は慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦後に豊臣秀吉の名参謀(軍師)として歴史に名を残す黒田官兵衛(如水)の子、
長政が筑前52万石に加増され築いた城郭です。
築城前の当初は中津名島城に入封したのですが、大国の領主には手狭ということで古代からの交通の要衝であり流通の拠点であった博多に居城を構えることになったわけです。
着工は翌慶長6年から7年間の歳月を費やして完成しました。そして国内には筑前六端城(大隈城・左右良城・黒崎城・若松城・鷹取城・小石原城)と呼ばれる支城網を築き、途中歴史に残る大きな御家騒動を乗り越えながら黒田家は明治まで12代270年間を太守として君臨しました。
そんな現在の大都市・博多の元となった城への私の行き方は地下鉄空港線を大濠公園駅で下車して内堀沿いに西→東に向かいました。すぐに右手に大きな内堀があり、その向こうに伝・潮見櫓が見えます。実はこの櫓は昭和31年に黒田家別邸から移築されたそうで別に市内の崇福寺にあるのが本物らしいです?! 櫓の西隣には北口を守る下の橋大手門の枡形虎口が当然に構えられていました。ただ私が行った際は大手門の復興工事中で近寄ることができず残念でした。
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潮見櫓東横は現在、道路が通り城郭を真っ二つに分断してしまっています。そしてその広大な三の丸の東側一帯には陸上競技場があります。大きなマラソン大会などで使用されているのでしょうか? 道路を挟んでその西に移築された母里太兵衛邸長屋門、名島城大手門を移築したという名島門が見え、そこから南に向かうと三の丸御殿跡→花見櫓跡があります。
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そして三の丸を追廻門跡、鉄物櫓跡を通り、桐木坂門跡→南橋にある南二の丸へ。
南の丸の構成は西平多聞櫓とそれに続く
現存・西隅櫓と復元・北隅櫓、南に南三階櫓でした。
南の丸から北に向かうと本丸裏門跡があり、その上が本丸です。
本丸の周囲は伊之助櫓、時櫓、祈念櫓、小天守がありました。
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天守台は本丸の南西隅に位置します。
※画像の階段右側の石垣が中天守台。左端が小天主台。
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現在・天守台の上には残念ながら天守閣という建築物は建っていません!
そもそも福岡城の
天守閣が存在したか否かの検証・論争はまだまだこれからですが全国的にも引けを取らないスケールの天守台は残っています。
これらの他に南側にも多くの遺構が残っているのでしょうが、この時はこれで帰路につく時間となり断念しました。しかしこれだけでも大藩の居城として十分なものが見れたと思います。この規模なのに総石垣で往時には47もの櫓群を備えていた姿は荘厳だったに違いありません!!
次回行くときは十分時間を取って測量も行いたいものです。
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ちなみに私の城郭に対する興味は天守閣ではありません!
縄張といわれる立地・区割です!
Posted at 2007/09/22 14:13:38 | |
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