「本光寺(油小路の変跡)」-京都市
新選組関係史跡(伊東甲子太郎外数名殉難の地)
2006年10月26日
慶応3年(1867)11月18日夜、御陵衛士となった伊東甲子太郎は招かれた近藤勇の妾宅からの帰途を待ち伏せた新選組隊士に襲撃され、本光寺の門前まで逃れ、当時は山門の外に位置していた「南無妙法蓮華経」を刻まれた門派石に腰掛け絶命したといわれています。
その後、伊東の遺体は油小路の辻に引きずられ囮として晒され、駆けつけた同志のうち藤堂平助、服部武雄、毛内有之助も斬殺されました。新選組士らは試衛館で同門の藤堂を逃がそうと試みましたが、意図を知らない新入隊士により殺害されたそうです。4人の遺体は置き去りにされ、凍結したともいいます。
この通りは当時の住所ですが拡張されていて、厳密には現在地とは微妙に異なるようです。
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画像左上:現・油小路の辻。
画像右上:本光寺門前にある碑。
画像左下:伊東甲子太郎
画像右下:本光寺前の説明文。
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