佐久間象山先生・大村益次郎卿遭難之碑の案内碑-京都市
開国派の巨匠が逝った地の標柱
2006年06月15日
幕末の両傑物が暗殺された地をしるす石碑を案内する石碑です。この先1kmと書かれています。
その通り北上すると左手に川を挟んで両石碑が現れます。それはまた別に私の“おすすめスポット”に掲載中です。
佐久間象山は儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で殖産興国を推進しました。彼の塾からは、勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬らを輩出。先生の先生です。
元治元年(1864)に上洛しまだまだ尊皇攘夷の世情の中で開国論を唱えて公武合体に努めたため、同年7月11日に刺客に斬殺されてしまいました。
大村益次郎は長州藩出身で医学を梅田幽斎に学び、さらに緒方洪庵の適塾でも学んで兵学者となりました。
長州藩の軍事指導者として活躍。その功績から維新後、兵部大輔に任命され、近代兵制樹立に尽力しました。しかし、廃刀論で士族の反感を買い、明治2年に三条木屋町にて反対派士族に襲われ、同年肺血症で死去しました。
佐久間象山先生遭難の碑↓
http://minkara.carview.co.jp/userid/160707/spot/119184/
大村益次郎卿遭難之碑↓
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