タイトルの写真を見ると、なんだか大きな川の土手の写真のようにしか見えないのがアレなんですけど、烏山頭ダム(台南市)です。
日本領だった時代に作られた、当時、東洋一と言われたダムでした。
形式がアースダムなので、川の土手みたいに見えますね。
大正時代に物価の急騰があり、米の買い占め騒動をキッカケとして、日本全国に米騒動が広がった、と日本史の時間に習いましたが(……という内容をすっかり忘れていて、wikipediaで確認したのは秘密ですが)、その時、食料増産の機運が高まったのを好機として日本の八田與一技師が設計したのが烏山頭ダムです。
こちらは越流部の写真。
アースダムで多くの川をまとめてせき止めているので、大雨が降れば溢れます。
その溢れる水をきちんとコントロールして、コンクリートで頑丈に施工された越流部から流出させなければ、アースダムは一気に崩壊してしまいます。(ラオスで昨年、韓国企業がやらかしてしまった、あの大惨事を未然に防ぐためです)
ふだんは空っぽの越流部。
コンクリートで固められた広大な谷間をまたぐ吊り橋の上から撮影した写真です。
で、こちらが水門ですね。
建物の下に、巨大な丸いものが並んでいますが、そこから水がドバドバ出る仕組みです。
現在でも、当時の施設がそのまま残され、そのまま使われています。
今の季節は、米の収穫も終わった秋なので、ほとんど水は出ていません。
ところで、これだけ巨大な吐水口を絞ると、急激に水圧が変動します(水撃)。
自宅で水道を急激に閉じると、壁の裏側で「ドン」という音がすることがありますが、あれの巨大な現象が起きるわけです。
これだけ、でっかいダムなので、下手すりゃ配管が壊れます。
そこであらかじめ作ってあるのが、この噴水みたいなタワーです。
見た感じだと高さ10mぐらいはあるんじゃないかと思いますが、縮尺の関係で、それほど大きくは見えません。
詳しい説明がないので、普通の人は、単なる公園の噴水オブジェかと思うかも知れませんが、水撃を逃がす意味を持つ、単純な造りながら重要な施設です。
実際、周囲は現在は公園のように整備されています。
吐水口を絞った瞬間には、水撃のために、何十メートルもの高さに噴水が吹き上がるだろうとは思いますが、残念ながらその瞬間に行き当たることはありませんでした。
この写真の背景にあるのが烏山頭ダムの堰堤です。
そして、それらを見下ろす丘にあるのが、八田與一技師の銅像。
八田與一氏は、生前、相当な変人だと思われていたようですが、強烈な構想力によって烏山頭ダムを現実のものとし、お蔭で台湾南部の荒れ地一帯が穀倉地帯に生まれ変わったわけで、台湾人なら誰でも知っている日本の偉人です。
八田氏は弱冠32歳の時に現地調査をし、構想を立案し、国会(大日本帝国議会)で予算承認を取りつけ、34歳から44歳までの間、総責任者として東洋最大のダムの設計・施工を指揮したわけで、今では考えられない若手の大抜擢ですが、これができたのが当時の日本の強さだったのかも知れません。
銅像の後ろにあるのは、八田家の墓です。
というのは、八田氏は第二次大戦中に、フィリピンの灌漑計画のために渡海中、潜水艦に撃沈されて死去。
奥様も、敗戦後、日本への帰国を拒絶し、このダムの吐水口の下に身を投げて亡くなられたからでした。
自動車関係のブログなので、自動車に関するネタをひとつ。
台湾国鉄の隆田駅からタクシーをチャーターして、ひとまわり観て回るのに800圓でした(協定料金みたい)。
日本円で3000円ぐらいかな。
車はトヨタWISH。乗り心地は快適でしたが、走行計を覗き込んだら、約90万kmも走っていました。
なんという頑丈な車なのか、あるいは本来、日本車というのは100万kmぐらい走れる造りなのか。
かなり感心しました。
ついでに、台湾国有鉄道の正確さに対する執念にも驚きました。
たとえば、「時間通りの運行です」とか、たまに「1分遅れている」とかまで電光掲示板が常時表示しているあたり、日本の鉄道マンのDNAが隔世遺伝しているのでは、としか思えませんでした。
この電光掲示が、たとえば地下鉄とか都市鉄道であれば理解できるのですが、いわば東海道本線みたいに長大で、列車本数も多い路線で実施されているのが驚きだったわけです。
(1分の遅れなんてものまで、日本の鉄道で電光掲示板に表示しているのは、見たことがないのですが……)
Posted at 2019/10/17 01:44:58 | |
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