2011年10月29日
激動の半年が過ぎ
大阪に住む事になった。
車は3月の避難の時から
家内の実家に。
たまに家内が避難している群馬に戻った時に
乗る程度。
たまに乗ると、その良さを実感する。
しかし、ここ大阪北摂は丘陵地帯。
アップダウンが多い。
ここ最近は、MTBでお出かけ。
足腰鍛えられるね。。。
健康の為、自転車ライフを楽しもう。
来春は家族合流予定の為、車で出掛ける事が
多くなるだろうから。
今有る環境を楽しもう♪
Posted at 2011/10/29 21:30:53 | |
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2011年05月21日
東日本大震災から、2ヶ月以上が過ぎた。
その間、自分としては激動な2ヶ月間だった。
3月11日。仙台にて被災。
月曜日まで家族の待つ、郡山まで帰れず。
長距離を走って頂けるタクシーがつかまり、一路郡山まで。
36,000円強かかった。(←もちろん領収書。会社へ請求しましたヨ)
それから一週間。郡山市内で過ごす。
この時、郡山に戻って初めてと言って良い位にテレビを見た。
福島県。大変な事に!
原発問題。
ここで大きな過ちを犯す。
もっと勉強すべきだった。
郡山での一週間、3回程子供と買い物に外に出てしまった。
守ってやる筈の子供を被爆させてしまった。
後悔している。
テレビでアメリカ他諸外国が、原発80Km圏内脱出の報道。
即座に荷物をまとめ、車で下道8時間かけ、家内の実家、群馬県高崎市へ避難。
2週間ちょっと程、高崎に居ました。
その間、郡山市での在宅勤務は会社として仙台へ集約するとの通知。
4月頭の週に、群馬から仙台へ高速バスを使い住居探索。
被災の傷跡が大きく残る中、また、余震が続く中の住居探索。
路が、スーパーが建物が壊れている中の探索。
そして、仙台で大きな余震。
ホテル8階。ベットが動いた。
もうダメかと思う。
住居も決まり、再び郡山の家へ帰宅。
4月は郡山から福島県内を仕事で廻る。
会社も取引先も混乱の中、少しづつ動き始める。
そして、福島で大きな余震が2日続けて来る。
4月12日の余震時には震源地に居た!
そして、一人で引っ越しの準備。
4月中旬に、会社の決起大会で名古屋へ。
そして引っ越し。
4月末に仙台へ。
ゴールデンウィークに、高崎へ戻る。
この頃は、新幹線も仙台まで開通。
そして今は、仙台で3人で暮らす筈だったマンションで一人暮らし。
会社へ放射能のリスクと、その対策を訴えて来た。
それが認められ、一定の基準が出来る。
仙台市は福島に比べ、放射線量は少ない。
が、子供に取っては小さくない数値。
今度、6月に水道橋で「電離放射線診断」を受ける事に。
恐らくこの先、仙台へは子供を呼ぶ事は無いだろう。
子供に、無知が故に被爆をさせてしまった。
関東エリアでも放射性物質の検出が相次いでいる。
群馬とて安全ではない。
しかし、仙台へ来るよりリスクは低い。
今まで、子供が生まれてから
ずっと一緒だった。
成長の過程を見る事が出来た。
在宅勤務、と言うメリットを生かして。
しかし、今は我が子を護る為、仙台では一人で住む事を決めた。
行政、自治体は住民を護る事を放棄している。
自己防衛しか無い。
福島県に居たお陰で、自分の危機意識が大きく変わった。
現在
7歳。
小学校2年。
女の子。
この子を何があっても護ると、生まれて来た時に誓った。
本当に護りきれているか解らない。
親として、今出来る事をしていこうと決めた。
これから先はどうなるか、解らない。
しかし、
この先、笑って過ごせている事を望んで。
Posted at 2011/05/21 10:30:40 | |
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親バカ | 日記
2011年04月15日
今日、娘の小学校へ娘の荷物を取りに行きました。
今、娘と妻は妻の実家である群馬にいます。
娘は群馬の小学校へ一学期だけ通って
夏休みに仙台に来る予定。
今回の大震災で仙台に引っ越す事になった。
私は震災後、群馬に避難し、
妻と子供を残し、郡山に戻ってきています。
娘のクラスの担当の先生は「理科」が得意な先生です。
学校の校庭での放射能測定結果。
高さ1mの所で 3.3マイクロシーベルト/時
高さ1cmの所で 4.6マイクロシーベルト/時
この数値がどれだけ危険か、恐らく彼は解っているはず。
先生から
「また、機会があったら寄って下さい」と言われました。
彼らはこの地から離れられない。
そして、地元の子供たちも。
地元福島と共に。
そんな静かな覚悟が、先生の顔から見て取れました。
「ありがとうございました」と言うのが精一杯でした。
自宅に戻り、涙が出ました。
彼らの静かな覚悟は、ぶつける事の出来ない怒り。
そしてあきらめ。
今の福島に
「がんばれ」という言葉は言えません。
Posted at 2011/04/15 20:00:04 | |
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徒然なるままに・・・ | 日記
2011年04月06日
昨日、一時避難していた群馬から、営業所のある仙台に入りました。
高速バスを使い、4時間ほどかかって仙台へ。
郡山の在宅は締める事になります。
そこで、管轄営業所である仙台に住む事になります。
その為、住居探索も兼ねての仙台入りです。
仙台に住居を構える事は、厭いません。
が、・・・・
どうして「家族も一緒に」なんだろう??
仙台は被災地です。
昨日、物件を見て回りましたが、
とても家族を連れてくる気になる様な状況ではありません。
郡山は原発の状況が芳しくない為、引き揚げる事は理解できます。
が、
家族含め、被災地に家族で住居移動する事は、正直
「何故?」
ガスは、今月中には何とかなると思うから。
子供が小さいから一緒の方が良い。
仙台はどこに行っても、道路は波打っている。
これから補修が入るから大丈夫。
仙台は原発の北にあるから大丈夫。
放射能は国が基準。
etc
普通にリスクを最小限に、と考えるのであれば、
家族は実家の群馬。
私は単身赴任。
がリスクマネージメントだと思うのですが・・・
別途、
仕事の問題も考慮した住居設定も提案しましたが・・・
(個人的にベストの選択)
原発の問題についても、
本社や上司との温度差を感じます。
「震災復興。」
理解してます。
すべき事だと理解してます。
営業所が一丸となる事も理解してます。
だから
仙台に来てます。
しかし、
家族の安全を守る事とは別。
だから単身赴任を提案してます。
震災時、「復興」のスローガンの元、一丸となって取り組む。
そうすべき事だと思います。
しかし、被災地現場の人間はそのスローガンの元、
周りが見えなくなります。
「震災復興」の名の元に。
現状、私は異端児扱いの雰囲気が。
子を守る事は、親の役目。
であるのあるならば、
子(営業所員、会社従業員)を守る事は、
親(営業所長、会社トップ)の役目では??
こんなに悩むとは。
なぜ、こんな事で。。。
原発問題さえなければ・・・
組織としての難しさや
有り方を考えさせられる、そんな仙台です。
Posted at 2011/04/06 07:15:46 | |
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徒然なるままに・・・ | 日記
2011年03月28日

昨日。
又一つ、年を取りました。
今は、家内の実家である群馬県高崎市へ避難中。
そんな中。
娘から折り紙のプレゼントとクラッカーでのお祝い。
色んな意味で忘れられない1年になりそうです。
郡山へはもう、戻れないかもしれません。
家族とも離れる可能性も。
原発問題さえなければ・・・
眠れない日々が続きます。
Posted at 2011/03/28 19:26:56 | |
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