走り屋であるとき、オレは他のなにか役割を演じることなく真に自分でいられる。
それは自分がこうでありたいと思う自分。またはありのままの自分。
今26才、年齢を重ね、大学も卒業が近づき、また卒業後のキャリア、仕事のやりようも真剣に考えるようになって、今までのように"自由人"ではいられないようになると感じている。
っとゆーか、今でさえどんどん加速度的に勉強や実習は忙しくなっている💦💦
そうやって考えると、仕事や勉強は生きる上で演じなければならない人生の役だし、結婚したらもっと夫や父親を更に演じなければならなくなる。
でも、それはそれでオレ自身なんだけれど、そればっかりやってるとなんだか自分が自分でないように思えてくる。
だって、それを演じるのは別にオレでなければならないわけじゃあないんじゃないか?っと思うから。
たまたまオレがそれを演じているに過ぎないだけだから。
確かに自分で決めてやってきたけど、、
それがすべてじゃない。
やるべきとかやらなければならないっと思ってやってきたところもあるわけだから。
だからこそ、カネがかかっても、危険が伴っても、自分が自分でいられると認識できる時間は大事だ!
それが生きているっていうある種の実感だし、モチベーションだもの。
他人や家族のためだけに生きるなんてことはオレにはできない。
実際に走りに割ける時間は以前と比べるとすごく少なくなったけど、この時間はオレにとってとっても必要なもの。
これから先更に忙しくなっていくけど、こうした自分だけの時間を少なくてもいいから大事にしていきたい。
ブログ一覧 |
詩 | 日記
Posted at
2016/05/22 02:51:09