2020年12月02日
我が家の歴史の中で、キャンプは大きなものです。 子供が高校生になると、一緒に行かなくなりましたが、15年ぐらいは、家族5人で毎年10日以上の夏キャンプ貧乏旅行に行っていました。幸いにも、夏休みが長く取れる環境だったので、日本中走り倒しました。一回の平均走行距離は、約3000Kmでした。一番遠くは、もちろん北海道です。
15年以上の中で、失敗、よかったことなど、たくさんの経験が出来ましたので、振り返ってみたいと思います。
最初の頃は、キャンプに行こうとプランを立てるのですが、何も考えず先入観で、キャンプはテントを張ってするものだと思い込んでおり、キャンピング場を、距離や行きたいところなど考えて、地図とにらめっこして、プランを立てていました。インターネットやスマホなど全くない時代の、基本ルールは:
1,高速は必要な時だけしか使わない。楽しくないし、危ないし、お金もいる。
2,テントで寝る。ホテルなどは、緊急時のみしか使わない。
3,自炊は大変なので、最小にして、現地のおいしいお店で食べるか、コンビニ・スーパーで調理済みのものを買う。
4,出来るだけ、温泉に入る。
5,行き当たりばったりで、プランは臨機応変に変える。
結婚後の最初のキャンプは、第一子が1才の時で、両親に預けて初めてのあこがれ北海道に盆休み前後に行きました。車は、パワステなしハンドル重い重い、ローレルセダンデイーゼルで、まだキャンプに適した車選びまで行っていませんでした。まず、舞鶴のフェリー乗り場まで、夜中の出発時刻に間に合うように、地道を走って、乗船手続きをして、小樽行のフェリーに乗りました。1日半かかり、3日めの朝6時ごろ、小樽に到着しました。
はじめは積丹半島目指していき、たくさんののぼりにつられて、つぶ貝などいただきながら、海沿いのドライブ楽しみました。何年かたって、トンネル大事故のあった道です。キャンプ地は確か、余市付近の海水浴場ちかくだったと思います。
その後、札幌、旭川、富良野、層雲峡、北見といき、1985年8月12日の夕方、キャンプ地の女満別空港近くの温泉に入っていた時、一緒に入っていた人が、何か飛行機落ちたみたいと教えてくれました。これが、日航機墜落大事故でした。
その後、網走、屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖、釧路、足寄(松山千春家通り過ぎ)、帯広、池田ワイン城、襟裳岬、苫小牧、室蘭、洞爺湖、定山渓、札幌、そして、小樽から帰りのフェリーに乗ったと思います。その後、4-5年して、2人の子供ともう一度北海道貧乏キャンプ旅行に行きましたので、記憶が混ざって、いるかもしれません。
このキャンプでは、広い北海道、雨の日が少なかった、2人のみだったのせいもあり、これ以降経験する大きなキャンプ困難問題は、記憶に残っていません。
そのうち 2 に続きます。
Posted at 2020/12/02 11:20:56 | |
トラックバック(0) |
キャンプ | 旅行/地域