今日は?今日も?車にはまったく関係ないお話なので、興味ない方はがんがんスルーして下さいね。
9.11テロの時にNYのマンハッタンにいちゃったんですよ・・・って話です。おまけに長いです(笑)
12年前、2001年の9月10日に成田空港を出発して、ニューヨークに着きました。
その年の年末に行く予定にしていたテキサスの州立短期大学を見学する為に、取った飛行機の格安チケットがユナイテッド航空の何周年記念かの特別価格で、すべてNY経由だったんです。NYに寄ることになった理由はただそれだけです。
ニューヨークに行ったことなかったし、当時の市長ジュリアーニ氏がとても力を入れてマンハッタンを整備したので、前より危険じゃなくなっていると聞いてたのも、行ってみたい気になった理由の1つです。
9月10日にニューヨークに到着して、映画とかで見る黄色いタクシーに乗ってマンハッタン入り。夜は呑気に予約しておいたミュージカルなどを見てから就寝しました。
翌日、9月11日。
泊まっていたホテルはLower Manhattanまたはダウンタウンと呼ばれる南の地区。その日行く所を、メトロポリタン美術館とツインタワーで悩んだ挙句、美術館の方に決めてました。私が油絵で模写したことある、シスレーの絵が、メトロポリタン美術館にあって、とても行ってみたい所の1つだったんです。
もし、あの時、メトロポリタン美術館ではなく、ツインタワーを選んでいたら、ホテルの場所もツインタワーから凄く近くて、朝一で到着できていたので、完全に既に屋上に登っていて、ビルは壊れて、私は空に舞ってましたね。
そんな二択で、メトロポリタンに決め、地下鉄に乗り、アッパーマンハッタンに向かいました。ちょっと早く着きすぎたので、ホットドックスタンドで、朝からホットドック?なんて思いながら、ホットドックと飲み物を買い、メトロポリタン美術館の階段の所に座りながら、映画とかでもよく出てくるマンハッタンのホットドックや~ときゃきゃっ言いながらかじってました。
開館時間になっても、なかなか開かないので、あれ?待ってた他の人たちもなんで開かないのか?と騒ぎ出しました。しばらくして、美術館の人が出てきて、「今日は閉館します」とだけ言いました。朝の9時過ぎやったと思います。
みんな、なんで?なんで?って聞いてるんですが、美術館の守衛さんは、理由を答えてくれません。仕方がないので、じゃ、違う所に行く?とその場を離れ、とりあえず、5th アベニューでも行こうかな?と、セントラルパークを歩き始めました。
今思えばなんですが、救急車や、パトカーや、消防車の音がもう凄くうるさくあっちこっちでしてて・・・・。でも、まだ呑気やったので、やっぱりNYは都会やなぁ?うるさいね~などと話してました。呑気過ぎます。
そんな中、前から乳母車を押したお母さんが、乳母車に乗ってる3歳くらいの娘さんに、「テロって言うのはね・・・・」なんて説明をしてるんです。
ええええ?アメリカって3歳児にテロとは何かなんて定義を教えるの?衝撃的~?!なーんて思ってました。はい・・・・まだ、知らないので・・・。ひたすらまだ呑気です・・・・。
地下鉄に乗ろうにも、地下鉄が全部止まっていて、駅にも入れない状態だったので、仕方なく徒歩で、てくてく5th Avenueのティファニーや、Nike、Swatchなどの本店がずらりと並ぶ所まで。
でも、着いても、あっちこちお店が閉まってるんです。え?どうして?中にはクレジットカード使えませんって貼紙を出してるスタバもありました。意味不明です。まだ、知らないのでね・・・・。
そして、ずんずん歩いて行って、到着したのが、タイムズスクエア。11時くらいになってました。
いきなり、タイムズスクエアのあの有名な大きな画面に映し出されたのは、飛行機がビルに突っ込む画面。真面目に、新しい映画の宣伝だと思いました。
だって、人がこんな風にポロポロ落ちて行くのも、はっきり見えるものだから・・・・なんてディテールにこだわった映画なん?ってね・・・・。
残酷過ぎるというので、すぐに人がポロポロ落ちていく画面はカットされましたけど。初めはがんがん写してましたよね。本当に、何人もがポロポロ宙に舞ってました。飛行機が当たったインパクトで飛ばされた人。火事で熱過ぎて飛び降りるしかなかった人。いろいろだったようですが。
テロ行為で、ハイジャックされた飛行機がツインタワーに突っ込んだんやということを理解するのに、だいぶかかりました。それまでは、あり得ないこと、でしたからね。
把握した後は、これから世界はどうなっちゃうんやろ?恐ろしくて体中、鳥肌立ちまくりました。
佇んでて、そこにいる人たちとなんてこったい?!って騒いでいても、何も変わらないので、ひとまずホテルに戻ってテレビを見たりして情報を仕入れようと、帰ることにしました。
しかーし、メトロポリタン美術館って85th streetくらいにあるんですよね。タイムズスクエアが46th streetくらいかな?泊まってたホテルは2nd, 3rd street辺り。歩く距離じゃないです・・・・。でも、地下鉄は止まっている・・・・。ので、仕方なく歩きました。
向かいからは、こんな感じの灰をかぶった人が、何人も歩いてきて、皆、水いるか?ちょっとここで休め?と見ず知らずの人たちがお互いを労りあってました。
結局、タイムズスクエアからホテルまで2時間だか3時間歩いて戻りました。
マンハッタンの街の空気は、なんてこったい?!なんですけど、皆、その割に明るかったです。
ビジネスもほとんどストップしたし。銀行やクレジットカードなどもすべて止まったし。お店も開いてないし。
することないし、とりあえず食おうぜ~ってな感じで、みんな道端で何か食べてました。
アメリカ人って元気だな、タフだなぁ~って思いました。私はあまりのことに食欲なくしてたので。
それからアメリカ中の飛行機が全部キャンセルされて、マンハッタンにいる人は、マンハッタンから出てはいけないって、マンハッタンに閉じ込められてしまいまいた。9月12日、翌日には、テキサスに向かうはずだったんですが、もちろんそんなこと無理。
マンハッタンから出られないし、飛行機も飛んでないから、日本にも帰れない。
困った・・・・。
ま、困ってても仕方ないので、観光でも行くかー。アメリカンを見習って、なるようにしかならない!って思うことにしました。落ち込んでも仕方ないのでね。
アメリカ強いな~って思ったのは、もう翌日から、こんなことに負けてはいけないって、あっちこっちのお店も、ミュージカルも、開いたことです。
人通りはほとんどなかったですけど。おかげで、めっちゃ空いてる中で、普段は取れない、ラ・ミゼラブルのミュージカルをめっちゃ前の方の席なのに半額以下で見られたり、NikeやTiffanyでお買い物したり。すぐに離れるはずだったニューヨーク・マンハッタンを10日間程、堪能しました。
ニューヨークの宿泊費は尋常じゃなく高いし、ここにいなきゃいけないのいつまで続くんやろ?とドキドキではありましたが。
いつ帰れるかわからないので、毎日、チケットを予約し直さなきゃいけないのに、電話はなかなかつながらないし。毎日、チケットセンターや空港へ出向き、並んでチケットの振り替えをするのが主流の日々でした。
街は大変モノモノしかったです。戦艦が湾には停泊してるし。あっちこちの交差店に、マシンガン持った軍の人が配備されて、警戒してるし。もう見かけは、第三次世界大戦とか世紀末状態でした。
見かけだけじゃなくて、実際に、怖いこともいっぱい。パニックにならないように、報道は一切伏せられてたんですが、マンハッタンのあっちこちに、爆弾がしかけられて、それが発見されたり、爆発したり。
チケットセンターに行くのに、地下鉄に乗ってたら・・・・。
「爆弾をしかけたという予告電話があったので、直ちに地上に向かって走って逃げて下さい!」
ってアナウンスがあって、死にもの狂いで地上まで走って逃げました。でも、ここどこですか?って出た地上はまったく知らないとこやし・・・・とほほっ
飛行機の振り替えをする電話がなかなかつながらないので、飛行場のチケットセンターに向かっていた時も、向かいから、飛行場の職員の人たちが集団で大失踪で逃げて来ました。
「アラブ風の男が3人事務所に火をつけてからこっちに向かって来てるから、逃げろーーーー」って叫びながら何人もが走ってくるんですよ。
ええええええ?!
もう人生で一番速く走りましたね。ぐったりでした。
そんな自分の命も危ない時に、大失踪しながら、一緒に逃げてる、重たいスーツケースでよたよたしてるお年寄りのスーツケースを黙って男性が持って、走ってあげたりするんです。遅れそうになったら、手引っ張ってあげてるんです。まったく知らない人たちどうしです。
交差店の道端で、飛行機のチケットを振り替えする為に、飛行場が開くのを待ってたら、知らない人たちが、ご飯を配ってくれるんです。誰が買って配ってくれてるのか?まったくわかりませんでした。
テレビのテロップで、○○病院で、O型とAB型とB型とA型の血液がこれだけずつ足りませんって文字が流れると、5分後には、ご協力ありがとうございました!ってテロップが流れてました。
電話は直後からずっと無料で国外へでもかけ放題でした。
出来事は悲惨でしたけど、起こってることは、温かいことだらけでした。
よくあんなことあった後でアメリカに留学したねって言われたんですけど、むしろ、あれがあって、アメリカってアメリカ人って凄いなって思ったから、最後の本当に来ようって決心ができたのはあるかもしれません。
ちょっとでも遺骨を家族に戻してあげたい。まだ、埋もれてるのなら、助けてあげたい。消防士さんたちも、必死で頑張ってくれました。ヒーローがいっぱいでした。
こんなに人の為にしてくれた人たちが、10年後くらいから、どんどん亡くなりました。あの時、吸い込んだ有毒物質が体を破壊し、癌などで次々と亡くなったんです。今も続いてます。
ツインタワーの跡地の空気は有害ではない・・・・と嘘を行政が発表したんです、あの時。建物を建ててる物質には恐ろしい程の化学物質がたくさん入ってます。昔の建物だから余計に。それが、物凄い温度で燃え続けたわけですから、その煙が体に悪くないわけがない。
でも、2011年まで、あの時吸い込んだ煙のせいで、病気になったり死んでるってことを行政側は認めてませんでした。因果関係はないと言いはりました。今はオバマ大統領がサインして、彼らを助ける法律が整備されてます。
あの時、アルカイダに向かっていったブッシュ息子大統領をとやかく言う人たちはいっぱいいますけど、私はあの時に、「立ち上がろうアメリカ」ってあの方が言ってくれたので、凄く安心できました。
ちょっとやり過ぎ感はありましたけどね・・・・もし、向かって行かないで、アルカイダの財産すべて凍結しないでいたら、今頃、世界中であんなのと同じことが起こってたかもしれません。日本の東京タワーだって、霞ヶ関だって、都庁ビルだって、人がいっぱい詰まったまま、吹き飛んでたかもしれません。
実際に、そうならなかったので、彼がしたことは誰も評価してないですけどね。
それまで、私は究極の平和主義者だったんです。むしろガンジーが正しい。非暴力非武装でいるべきだと思ってました。でも、もしもし、目の前にいる愛する人が殺されそうになっていても、暴力はいけませんよーって見てるだけの人間でいたくないなと思うようになりました。
大切な人は守れる人でいたい。
誰も武装しない。誰も闘わない。もちろん、それが一番です。ガンジーは正しいです。そうあるべきです。暴力は何も変えないし。何も解決できないから。
でも、もし、向かってくる誰かがいたら・・・・。私は全力で闘います。見てるだけなんて絶対に嫌です。
平和ボケしてる日本にいた私が、この9.11に現地で遭遇して、他にも変わったことがいくつかありました。
その1つは、もしかしたら、5秒後に、この世にいないかもしれない。だから、ぼやぼやぼけぼけしてたら勿体ない。そのあとの5秒が今来てもいつも後悔しないようにしよ。そう思うようになったことです。
ついつい忘れるんですけどね。でも、思い出しては、忘れないようにしょうとは思ってます。
最近もまたまた忘れていて、教えて直してくれる人がいました。
だから、伝えたいことは伝えられるときにすぐ言う。
ごめんなさい、ありがとうは、明日に先延ばさない。
言いたい時に、自分も相手も、この世にいる確かな保証はないのでね。
そして、毎日を精一杯生きる。
後悔先に立たず・・・・は避けたいですね。
このアルカイダとアメリカみたいに、主義主張が違う人たちに、まったく接点がない場合。自分たちをそうさせるのはアメリカで、大量に人を殺すことを聖戦と信じてる人たちと、なんだそれ?って思ってる人たち。
これはどうしたものなのか?未だによくわかりません。
テロやそれに対する報復が辿り着くべき答えではないのだけは確かですけれども。
また今もアメリカはシリアに行こうとしてます。誰かがダメだって態度を示さないと、細菌兵器を平気で作って市民に対して使ってもいいという前例を作ってしまう、それではダメなんだ、誰かが止めなければならないんだってオバマ大統領は言うんです。それもわかるんですけどね。
やられたらやり返すとか、武力で何かをコントロールしょうとすることは、止めなくてはなりません。じゃないと、いつまでも続いてしまいます。そして、犠牲になるのは、いつも一般市民。
2977名の犠牲者のご冥福をお祈り致します。
ツインタワーの跡地には二つのビルをかたどった滝がある噴水が立てられ、犠牲者の名前がすべて刻まれています。
世界中から、こんな悲しい思いをする人が少しでもいなくなりますように。