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しゅん&もものパパのブログ一覧

2015年01月17日 イイね!

あれから20年

20年前の今日。

私は神戸で被災しました。

今でもあのときの恐怖はっきり覚えています。

確かあの日は出張が入っていて、いつもより早く目が覚めました。

丁度、地震が起こる数分前でした。

ベッドで座っていたら、何処からともなく地響きがしたかと思うと、あの揺れ。

ベッドで座ったまま起き上がれず、電気も停電。

うちの実家は11階でしたので揺れはかなり酷かったです。

その揺れの間、絶対建物が倒壊し絶対死ぬと覚悟しました。

暫くして揺れが収まり、家族に大声で声を掛けました。

反応したのは弟と親父。

声を聞いたときはホッとしました。

しかし、お袋の声がしない。

親父に

「お袋は?」

と心配になって聞いたら...

「寝とう」

えぇ~これほどの揺れだったのに寝てるって!

お袋の肝っ玉のでかさに驚かされました。(笑)

徐々に明るくなったので部屋にあった服を着込んで、部屋の様子を見ました。

隣の部屋にあった冷蔵庫は私の部屋に倒れていて中のものが散乱。

部屋のふすまを開けてダイニングキッチンを見ると食器棚が倒れ、割れた食器が散乱している。

これは危ないと思い、玄関に靴を探しにいくとそこで先ず驚かされる。

目を疑ったが、玄関の鉄の分厚いドアが曲がって開いている。

それが幸いだった。

内側に曲がっていたら出られない。

そう思いながら、靴を履いて部屋に戻って家族の安否確認。

幸い家族全員怪我も無く無事だった。

その次に気になったのが、電車で一駅離れたところに住む祖父母の様子。

弟と話をして様子を見に行くことにした。

エレベーターは当然止まっているので、非常階段で地上へ。

祖父母のところに向かう途中、更にこの地震の大きさを目の当たりにされる。

街が完全に壊れている。

道路にちぎられた様に崩れ落ちた建物があちこちに見られる。

信じられなかったが、これが現実。

それと同時に祖父母の様子が更に心配になり、弟と走って向かった。

祖父母の住んでいる商店街の店に着くと、祖父母は店の外に出ていて無事だった。

次に気になったのは車。

当時、乗っていたR32のスカイラインは祖父母の住む裏の駐車場に停めていた。

見に行くと、一見無事だった。

ホッとして近づくと、リヤガラスに瓦が落ちてガラスが粉々に...

最悪...

車両保険は未加入だったので、ショックはでかかった。

そして思い出したのが、車の鍵。

慌てて家を出てきたので、鍵は持たずに来た。

そして、また家に戻る。

弟と11階の自宅まで階段で上り、必要な物だけかき集めることに。

その間も余震が恐怖を思い出させる。

要領がよく普段から必要なものをひとまとめにしていたらしく、直ぐに終わる。

私は中々車の鍵が見つからず、ぐちゃぐちゃになった部屋を探してやっと見つけて家を出た。

それから再び、祖父母の居る店へ。

その間、全く情報が入ってこない。

どういう状況に置かれているのか全く把握できなかった。

店の前に祖父母と家族で石油ストーブで暖を取っていたけど、夜が近づき限界だ思い、近くの小学校に移動した。

そこは人でごった返していた。

気がついたのはその時、未だ1食も食事を取っていなかった事。

不思議と腹が減らなかった。

避難した小学校には夜になってから、救援物資の食料が運ばれ始めたが、人だかりであっという間に無くなる。

そして、一番怖かったのは火災。

水が無いので火が消せない。

そんな状況で年老いた祖父母も居るのでここに居てはいけないと思い、反対する両親説得して、

弟の車と2台で豊中の親戚の家に向かうことにした。

既に真夜中になっていたが、道路は大渋滞。

今まで経験したことの無い渋滞で、歩いた方が完全に早い。

道中の道路もあちらこちら傷んでいて、ある橋に差し掛かったときに私の車の車高低かったために

段差が超えられなかったこともあった。

しかし、そんな時嬉しかったのは周囲の人の優しさ。

段差が超えられないのを見た前後の人達が車を持ち上げて段差を越えさせてくれた。

本当に嬉しかった。

カーラジオからはどんどん増えていく犠牲者の数。

信じられない数だった。

結局、大渋滞から抜け出せたのは翌日の朝。

神戸から豊中の親戚の家にたどり着くまでに何と10時間以上の時間を要した。

後でガソリンを入れて燃費を計算したら確かリッター2km位だったことを覚えている。

その後、数日親戚の家で過ごさせてもらい、私は震災の二日後に会社に出社。

会社は私に高槻の独身寮を用意してくれた。

結局、私は結婚するまでの約4年そこで生活することに。

一方、家族は祖父母を親戚の家に残し、神戸に戻った。

戻ったとしても、自宅は半壊と判定され立ち入り禁止になり家族は避難所生活を強いられた。

私は山のような仕事が待っており、それまでと変らず出張で日本国中を駆け回った。

その時思ったのは神戸を出てからの温度差。

会社のあった梅田なんて殆ど震災の被害は無い。

人々も普段どおり生活している。

それが、何だか心の中で納得できなかった。

家族のことが気になり、週末は毎週大渋滞を覚悟で神戸に車で帰った。

今でも覚えているのは母親から言われた一言。

「あんたには私らの苦しみが分からへん」

その言葉に神戸を見捨てて仕事を取った自分に罪悪感を痛感させられた。

私自身の考えは自分ひとりでも稼がないとこのままでは家族全員駄目になると思ったから仕事を取った。

苦渋の選択だった。

それを分かってもらえないのが悲しかった。

それでも、毎週末神戸に帰った。

結局、家族が避難所を出れたのはその年の5月頃だったと思う。

プライベートも無い避難所での生活は本当に苦痛だっただろう。

あれから20年。

色々有って、大好きな神戸には未だに住めていない。

それについても罪悪感を感じている。
Posted at 2015/01/18 00:56:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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