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2017年03月31日 イイね!

別れは突然やって来た!「ミラ クオーレ」の思い出。 



 中一からの愛車  BSスパイダー 

もう随分とむかしのことですが、一番初めに所有した車は兄(長男)から譲り受けたダイハツ
「ミラ クオーレ」(初代 L55型)でした。

当時はモーターバイクにも飽きて再び自転車に戻った頃で、半年ほどかけて自転車で日本一周したばかりで気力・体力共にピークでまさに絶好調でした。普通の会社員の生活がとても生ぬるく感じられ、「何かしなければ!」という漠然とした想いが常にありました。


 45号 宮古付近 BS トラベゾーン キャンピング

そして日本一周で鍛えられた体力を本気で試したくなり、真剣に一度、自転車のロードレースに出てみることに。そのために、午前中は自転車のトレーニング、午後からはバイトという新たな生活も始めてみました。

3ヶ月程が経ったレース前日、レースに参加するために応援の友人二人を乗せて「ミラ クオーレ」で出かけるのですが、出発前から既にクラッチのすべりがありました。

心配した兄(長男)がクラウンを貸してくれると言ってくれましたが、「まあ大丈夫だろう」と安易な考えで出発してしまいました。本当は兄(次男)のミニクーパーを借りたかったのですが、古い車でクセがあるとかで、無理でした。

やはり考えが甘く、途中でクラッチのすべりが酷くなり、最期は時速30キロしかでないような悲惨な状況になりました。あと少しという所まではなんとかたどり着けたのですが、レース会場は山にあったのでこの先は無理と判断し、手前の集落で自動車屋を捜し、そこに駆け込むことに… 


代車 三菱「ミニカ」

時間的余裕も無く、明日のレースがなによりも大事だったので、まず代車を借りて会場に行くことを最優先させました。早速、これに大人三人+自転車を乗せてレース会場へ向かうのでした。

運転していた私は全然平気でしたが、当時の状況を振り返ってみると、そう思っていたのは自分と助手席の二人だけだったような気がします。リヤシートがかなり狭くて、友人Fが横になって足を折り曲げて乗っていたのを ふと思い出してしまったので。

今乗ったら きっとビックリするような「ミラ クオーレ」でしたが、間違いなくそれ以上に酷い代車でした。こんな機会もう二度と来ないでしょうから、現在となっては貴重な経験にも思えてきます。

この「ミラ クオーレ」ですが、結局修理代が高額な為 現地で廃車にすることになりました。本心では直して使いたかったのですが、地元ではないので融通も利かず、ゆっくりと考える時間もなく、あっけなく現地でお別れとなってしまいました。


  最後の別れの時

帰りは外せるものは全て取り外して持ち帰ったので荷物は相当たくさんになり、3人掛かりでもバスと電車の移動がとても大変だったのをよく覚えています。自転車、カースピーカー、バイクキャリア、キャンプ用品などなど… ほんと懐かしい光景です。

それでも機嫌良く帰路楽しめたのはレースで入賞でき書状と景品をもらえたからで、一つの目標に向かって何かをやり遂げた達成感で とにかくいっぱいでした。

毎日のように自転車を積んでトレーニングに出かけ、愛着も湧きかけていたので、現地で廃車という選択は少し寂しかったのを覚えています。兄から一方的に譲り受けた「ミラ クオーレ」でしたが、私にとっては初めて所有する車で、最初のオイル交換も、洗車も、パンクもこの車でしたから。

現在の軽自動車と比べると凄まじい性能差がありますが、二列目シート&荷室の実用性に関してだけは非常に高かったと思います。軽に限らずにワゴン車やハッチバック車はひと昔前の方が二列目シート&荷室のパッケージングは優れていますよね。マツダのデミオなんか特に顕著。


パナソニック POS PR-500 6400アルテ MA40+ミシュラン ハイライトプロ 19C (当時)

このときの自転車はまだ現役で、室内用として固定ローラー専用で雨天などの日に活躍しています。これに乗っていると たまに当時のことを思い出し、モチベーションも上がっていい感じです。


俺「クラッチが滑って30キロしか出ん やばい!」

友人F「… 」

友人A「もっとスピード出せんの ?」

俺「クラッチが滑ってこれ以上出ん!」

友人A「何で ?」

俺「クラッチが滑ってるから!」

友人A「えっ、どういうこと?」

友人F「… 」

当時、車内で、大体こんな状況でした。

ちなみに友人Aは、あの追突した「ムーヴ」のオーナーで、オイル交換をせずに4ストの「モンキーR」のエンジンを焼き付かせ、新車を数ヶ月で廃車にした経歴の持ち主です。2ストからの乗り換えだったので、4ストエンジンの特性とか全然知らずに乗っていたようです。

彼、洗車とかも絶対しませんから!
スニーカーを履き替えるように安い車をポンポン買い替えます。
私のライフスタイルとは真逆をいっています。


 写真は少し古いです

当時この場所に車を止めてよくトレーニングに出かけていました。
久しぶりに当時のトレーニングコースを走ってみましたが、意外と楽に走れるのは
間違いなく毎日の自転車通勤のおかげでしょう。

まだ、リア7段のWレバーが主流だった頃で、インナーローの組み合わせはなんと42×21を使用。
予備のスプロケもありませんでしたから、これ一つで山間部もレースも全て走っていました。
ちなみに現在は、リア10段のSTIレバー、インナーローは36×25Tのへなちょこギアを使用します。

最近は登りのケイデンスは70~80rpmが目安で、軽いギアでペダルをクルクル回す感じなので、登りのリズムは当時とは全然違います。昔は相対的にケイデンスが低く、ペダルをコジリ回す乗り方で、今で言う「SFR」のような感じで登っていました。どんな激坂でも42×21オンリーでしたから。

現在、乗鞍なんかは34×27がチョイス出来ますから、ほんと幸せです。
楽できるので、結局その分タイムは伸びませんけど。 

当時は「引き足」を意識したペダリングが主流だった記憶がありますが、現在は「引き足」という言葉自体ほとんど聞かなくなりました。今現在、もし42×21とか使ったら絶対どこか故障すると思います。

当時は普通にアベレージ30キロを超えていたり、フレームの剛性不足も感じていたりで、やはり若くて体力があったから可能だったのだと、現在はしみじみと感じます。


 デビューレースがこれ  

この後やはり車が必要になり、初めて買った車がガンメタのカリーナクーペ1800 GT-Tの中古車でした。カリーナといってもエンジン(3T-GTEU)もシャシーもセリカと同じで、FRのスポーツカー。

オモステでハンドルが重く、4気筒なのにプラグを8本使っていたのをなんとなく憶えています。
3ドアのハッチバックだったので自転車が積めて意外と重宝しました。

当時埠頭などでゼロヨンが流行っていましたが、既に「アルトワークス」には勝てない時代遅れのスポーツカーでした。そして、このゼロヨンで「アルトワークス」のような軽スポーツカーの実力を知り、後に乗ることになるのです。

現在までに、私が所有したなかで唯一のFF車が「ミラ クオーレ」。それ以外は全てFRか4WDなので、実質一年たらずしかFF車は運転していません。なので現在でもFF車は何となく苦手意識があります。やはり好きなのはFR車で、トラックでさえも運転の楽しさは感じられます。



昨年、5月のGWに小豆島に行きましたが、その途中で寄り道をしてこの思い出の自動車屋を探してみました。意外と現地の景色とか憶えているもので、シンプルな集落ということもあって探しやすくて簡単に見つかりました。

スタンドは廃業していましたが車屋は健在のようでした。
別れは突然やって来た!「ミラ クオーレ」。
懐かしい青春の思い出です。

当時の憧れだったパナソニックのフレームに現在乗っているルーツもここにあります。
車も自転車も「モノより思い出」なのです。

Posted at 2017/03/31 22:14:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 過去所有の車 | 日記

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