これはFIAT126の撮影日と同じお話し。
FIAT126を撮影し、店舗に返却すると社長が出てきて
超にこやかに「ほな昼食いにいきましょかー、うまい店予約したんで」
ディレクター&ジャーナリスト (今日中に記事作りたいんだけど....(困惑)
そんな事情もお構いなく延々とまくしたててくる。
バリバリの関西人がここにいた。
僕も今でこそ神奈川に住んでるけど27年間という月日を関西で過ごしてきた。
僕自身は関西っていうノリじゃないと思うんだけど関東に出てきてバリバリの関西弁を聞くと
「うわー、どうこの人と付き合えばいいんだろう」と、困惑すると共に何故だろう、すごく安心する。
結局、やたらいい料亭でご飯を頂くことになったのだ。
そこで社長が出してきた車が
「CITROEN 2CV6 ”チャールストン”」

残念なことに、店舗にカメラを忘れたり大雨が降ってたりでこの車はこの後ろ姿のみ。
この車もFIAT126同様、かわいそうな車なのだ。
ただ、後々報われるが。
この車の開発時は第二次世界大戦の最中。
パリでせっせと試作車を作っていたらフランスはドイツに敗退、占領地に。
当時のシトロエン副社長が「ナチに試作車をくれてやるなら破壊してやる!」
↓
250台の試作車は1台を残し、工場の壁に塗り込んだり地中に埋められた。
(2000年、ミシュラン工場改築時、レンガの壁を壊したところ3台の試作車が発見される。ホラーですね)
なんだかんだで戦争も終わり、1948年のモーターショーにて公に「CITROEN 2CV」が発表された。
ところが「なにあの車、ウケルwwww」「きんもー」と馬鹿にされてしまう。
だがシトロエン副社長は「いや、この車はきっと成功するんだ」と確信していた。
そんな背景もあって発売時こそ売れなかったのだが「維持費も車両価格も安く、高い信頼性と実用性」が
徐々に理解され、徐々に販売数を伸ばしていき、フランスを代表する車にまで上り詰めた。
残念なことに、その販売数が伸び始めた頃にシトロエンの副社長は事故死、帰らぬ人に。
2CVの開発に全力で取り組んだが、遂に成功の報せは彼に届くことはなかった。
おわり。
余談:宮崎駿は2CVの愛用者で自らの工房とその著作の名前に2CVの訳、「2馬力」と記している。
Posted at 2014/11/07 23:54:43 | |
トラックバック(0) |
店舗取材 | クルマ