
長文になりますので、時間のある方は呼んでいただけると嬉しいです。
5日前、両手の指が動かなくなりました。首の神経を痛めて麻痺を起こしてしまったようです。今もひどい痺れが残り自由に動かすことが困難です。お医者さんにはそれほど深刻に言われなかったのでそのうち治ってくれるとは思いますが…。
1人では何もできなくなったのですぐに静岡に帰って今は家族に面倒見てもらってます。本当に情けないです。
自分がこのような身になってみて思ったことはたくさんあります。周りを見るとみんな指を何の不自由もなく使ってます。クルマやバイクを運転したり掃除したりお箸を使ったりゲームをしたり……。それまで当たり前にできていたことが今の自分にはできません。当たり前ではなくなってしまったのです。それが本当に悔しいと感じています。ところが障害を持った人たちからすれば、それは今の自分と同じで当たり前ではないのです。逆に、手を使えない、あるいは足を使えないといった生活の方が当たり前と言えるでしょう。障害の話だけではありません。災害に遭われた人や戦火に巻き込まれた外国の人など、他にも苦しい思いをしてる人はいくらでもいます。そういった人たちと比べれば、日本のような平和な国に何不自由なく健康な身体で生まれてきた自分たちがどれだけ幸せであるか、初めて気づくわけです。
ところが、これを読んで下さっている方も、また書いている自分自身も時間が経てばそんなことは忘れてしまうでしょう。残念ですがそれが定めだと思います。やがて手が元通り動かせるようになって当たり前だった生活になれば自分の刹那に感じた思いも忘れ、当たり前と思い込んでしまうでしょう。けど、同じ立場になった時やふとした拍子にほんの一時でも思い出すことができたのなら何も感じないよりマシです。それだけでも違うんではないでしょうか。
こんなことを考えて思い出した写真があります。
去年の秋に富士トリコローレというイベントに参加した時に出会いました。フェラーリのステッカーが無数に貼られた車椅子に乗っていました。フェラーリが好きだという共通点があることに喜びを感じた僕はお話をさせていただきました。敢えて問うようなことはしませんでしたが、重い障害を抱えているでしょう。残念ながらフェラーリが好きでも自分で乗ることはできないと思います。努力してお金を貯めれば自分たちには叶う夢です。それがどんなに幸せなことか…。将来夢のスーパーカーを手に入れた時、また思い出さなくてはなりません。その時彼のためにしてあげられることはあるでしょうか…。どうか自分が当たり前ではないということだけは忘れないでいたい。趣味をここにいる皆さんと共に楽しんで、大好きなサッカーや登山ができる丈夫で健康な身体を親からもらって、自分の望んだ大学に合格して、何不自由ない生活をおくっている、そんな自分が本当に幸せです。
そういえば来週FSWで開催されるフェラーリレーシングデイズに参加します!
きっと彼も来るでしょう!!
また会えるかな(*^^*)
俺のこと覚えてるかな(*^^*)
それから、せっかく静岡にいるので明日のサンデーランは久々に行きます!!
…とは言っても手がこんな状態で自分で運転することはできないので電車と歩きで行くと思いますが(^^;)
お会いしましたらよろしくお願いします!!
残念ながら今月も京9へは行けません(T_T)
関西の皆さんは10月にお会いしましょう!!
それでは、最後まで読んで下さり本当にありがとうございました(^o^)
Posted at 2014/09/06 19:37:16 | |
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