
千葉県は養老渓谷に程近い位置にある向山トンネル、共榮トンネルにドライブがてら行ってきた。
このトンネルは、
トンネル大国千葉でも屈指の奇洞として、その道で知らない人はいないと言われるほどの有名な物件(笑)
画像を見てもらえれば一目瞭然なのだが、なんとトンネルの中に意味不明な「天窓」がついているのだ。
御託はとりあえず置いておき、まずは動画でトンネルの様子を見ていただこう。
相変わらずピンボケのブレブレで申し訳ありませんww
でも何となく異常なトンネルの形状が分かるかと思う。
こんなトンネルになってしまった理由は、元々は東口から西に向かって上り坂のトンネルだったのに、西側の出口を
下の方に掘り直してしまったからだ。
そのため、
天井が異常に高く、なおかつ元々の出口が意味不明な「
天窓」に変わってしまった。
しかしよく見るとこのトンネル、二つの別々のトンネルが一つに合体されたものだ。
「天窓」直下の部分は元々土被りが無く(掘り抜いてしまったから当たり前か)明かり区間だったのを、後になって鉄板で覆ってしまったのだ。
元々あったトンネルは「向山トンネル」と名が付けられているが、新たに掘り直したトンネルは「共榮トンネル」と名付けられた。
そのため、
入口と出口で扁額に書いてある名称が異なる。
結果、こんな奇天烈なトンネルが生まれてしまったわけだが、何よりこんな妙ちきりんで適当な形のトンネルを許す千葉の堅牢な地盤こそ特筆すべき点なのかもしれない。
その証拠に、このすぐ隣は養老渓谷の独特な景観が観光客を賑わしている。
もちろん私は、
養老渓谷の観光はせずにこのトンネルだけを見て帰ったのだったw

東側坑口。入口の佇まいはごく普通な感じ。

扁額には「向山トンネル」とある。昭和45年竣工。さほど古くないわりには歴史を感じさせる中身なのだが……。

ローアングルで。向こう側に出口が見える……が、あそこに見える出口はフェイクだ(笑)
でもこの角度でみると、元の出口は上側だったことが良く分かる。

中に踏み込めば、何か様子がおかしいことに気づく。
ちなみに、
中は素掘りというのは千葉のトンネルでは当たり前なので特筆する事ではない(笑)

途中から突然下り坂になり、下に新しい出口が!w
壁に見える横穴はちょっと理由が分らない。防空壕跡によく似た形状だけど、竣工は昭和45年だし……。
もしかしたら「新たに掘り下げて作り直した年が昭和45年」で、元々の穴は戦前からあったのかもしれない。
穴の位置は明らかに掘り下げる前の高さに一致している。
覗きこもうと思ったけど、
ものすごく気持ち悪い雰囲気が漂ってたので断念。マジコワイヨ。
写真も撮ったけど、何か気持ち悪いので非公開にw

2階建て坑口を間近で。
この「天窓」のおかげでトンネル内は暗くない。
上側の抗口がいびつな形をしている。トンネルの断面は真円に近いほど強度が強いので、こういう形のトンネルは通常ではあまり長くはもたない。
しかしここは千葉県。たとえこんな適当に開けた穴でも、100年くらい普通に保つほど地盤が強固だ。
照明がやたらと緑色に映ってるけど、実際は白色をしてる。
他サイトで紹介されてる画像も一様に緑色をしてるので、何かあるんだろうか。
1階部分が鉄板で巻きたてられているが、土被りがない事がわかる。
そしてここにも怪しい妖しい横穴が。
実は、このトンネルには4つほどこのような横穴が開いている。
仮に「天窓」が無く、わずかな照明だけの薄暗いトンネルの中でこの横穴を見つけたら、
私は怖くてちびるかもしれないw

巻きたて部分。ここは元は明かり区間だったのを、多分崖の崩落による事故などの防止のために二つのトンネルを繋げてしまったのだ。
厳密にいえばこの部分は「トンネル」ではなく
「洞門」とか「ロックシェッド」とか呼ばれる物である。
その奥に下半分がコンクリで固めてある区間があるが、この部分が「共榮トンネル」だ。

西側抗口。
酷道好きにはそそる入口w そうでない人には怖い、気持ち悪い、古い、狭い、と感じるはずだ。
中で道が
うねっているw

こちらの扁額は「共榮トンネル」。
竣工年は向山トンネルと同じなので、やはり掘り直した年が昭和45年で、実際はもっと古い穴なのだろう。
肝心の2階部分の近景は、なにやら営業中のお店の敷地内っぽいところにあったので入るのは自重。

トンネルのすぐそばはこんな遊歩道。もちろんこんな場所には興味が無く……はないのだが、事情により散歩はできなかった(´・ω・`)ションボリ
ブログ一覧 |
ドライブ | 日記
Posted at
2013/08/11 23:06:53