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ゼフ14のブログ一覧

2021年08月04日 イイね!

お前に会えて良かったよ



みんからの皆様には親友と呼べる方はいらっしゃると思いますが…


私も看護学生から、同じ勤務先でありライバルでもあり、親友の同僚がいました。

彼は私のことを親友とは思っていたかは分かりませんが…




彼をH君とします、プライバシーの観点がありますので、おおよそで




私は20歳過ぎに看護の道を志しました(諸般の事情により遅くなりましたが)


その時、H君と看護学校、勤務先も一緒になるとは思いもしません。

2人の出会いはお互いに最悪(笑笑)でした。





H君は私のことを
『こんな青瓢箪みたいなのに看護の仕事できるのか、すぐ倒れちまうな』

私はH君のことを
『髪の色茶髪にして、タバコ吸って、ヤンキーに看護の仕事できるのか』

と後日談ですが…かなり第一印象、お互いに悪かった~





ですが…打ち解けるのに1~2週間くらいの短い期間でした。
年齢が少し離れていて
性格が正反対でしたから仲良くなれたのかも




看護学校授業終わってからの『食べ放題』

オールで学生同士のカラオケ

夜間のいろは坂ツーリング
H君はMiraでライトウエイトでコーナーを流していました


夜間の大洗海岸

吐きながら飲酒したり

遠出の温泉旅行

大人のお店にいったりと

学生から20代を共に謳歌していました



勤務先では初めての点滴やバルーン交換、急変事対応等

『今は大変かもしれないが乗りきろうぜ』
H君が言ってくれた言葉が今も心に響きます

多分、誰よりH君と過ごした時間が長かったです





勤務先は2人共2階病棟

H君は3階病棟、人工透析室へと部署が次ぎ次ぎと変わり
私は2階病棟のままでしたが、ずっ~と交流していました






30代になり、お互いに家庭をもち、
もちろんH君の結婚式では余興もしました



H君のご婦人は同僚であり共に切磋琢磨していました






会える時間も少なくなり(配属部署も違い)ましたが…

半年に一度は日帰り温泉や飲みにいったりとしていました











H君と看護学生の頃からの約束
『俺たち、社会貢献しようぜ』
『どっちが献血100回先に行くか競争だ~』

私は現在、99回、もうすぐ100回
私の方がはやく達成しそうです

























ですが…H君は私との約束を守ることはできず
脳疾患で40歳すぎに天に召されました

H君がいなくなり何年すぎたかな…
私は50歳をすぎました


H君の命のバトンは受けついてるよ
きっと献血で繋がれた命があります

もうすぐ、お盆、H君に会いにいきます
何を話すかな!




もし、H君に会えてなかったら看護の仕事も続けることもなかったかもしれません

H君がいたから乗り越えることができたし、やれました


親友であり同僚でありライバルでもあったH君

『お前に会えて良かったよ』
Posted at 2021/08/04 19:30:38 | コメント(4) | トラックバック(0) | 真面目な話 | 日記
2014年09月25日 イイね!

外来生物 アカボシゴマダラ(日本にはいないのですが…関東地方に生息)

私が、いつも昆虫撮影している栃木県の某公園に…



見たことがない蝶が飛翔していましたのですぐに撮影しました






ぱっとみると「アサギマダラ」さんのようですが…わからない?もはや新種発見か!!
と期待をし帰宅後図鑑にて調べるが掲載されていない…



PCで検索、アサギマダラで入力し画像を検索


ありました…

「アカボシゴマダラ」さん


























なんと、日本国内の生物ではない…
主に中国大陸に生息…

何故だ…拝読するうちに


「人為的に放蝶された…」とのこと


ここ数年であるが関東地方に生息を伸ばしていると…



















私は声を大にして言いたい


飼育できなければ飼うな



むやみに自然界に放すな


生態系に影響を及ぼしてしまうではないか…

動植物に罪はありません…人間の身勝手な行動で被害を被る動植物が多々あります


私は昆虫はもとより動植物は好きですが…好きだから自然界に放すのは間違いではないかと思います…そこにくらしている動植物の生活圏が侵されてしまいます


最後まで責任を持ち飼育してほしいと願います

動植物を飼うということは動植物の命を受け止めるということです
(※外来生物についてです)




私の願いは動植物と良識ある共存共栄(もちろん動植物からの食材は食べますが)できることです



この記事が重く感じた方々は申し訳ありません…
外来生物に反対してるわけではありません
飼ってもよいのです、最後まで責任をもつようお願い申し上げます







Posted at 2014/09/25 21:33:20 | コメント(8) | トラックバック(0) | 真面目な話 | 趣味
2013年10月28日 イイね!

運命のドラフト 日刊スポーツ10月24日の記事 清原和博 オレの魂

運命のドラフト 日刊スポーツ新聞10月24日の記事

※清原和博氏がコメントした記事を原文のまま掲載します
  ドラフトについてかなり考えさせられる記事でした


下記文章は清原和博氏


密約 裏切り キヨが泣いた1985…今語る「運命の1日」と28年

今日は、ドラフト会議か。候補選手は、どんな気持ちで朝を迎えるだろうか。
複数球団から指名されそうな注目選手は、くじ引きの行方がきになるだろう。
指名ギリギリの選手は、自分の名前が呼ばれる瞬間を心待ちにしているだろうな。

オレも28年前のドラフトは忘れられない。毎年11月20日が近づくと、何だか気持ちが落ち着かなくなる。心の痛みがよみがえる感じやね。今回は、そのドラフトについて語りたい。オレがドラフトを語るのは、これが最初で最後だろうな」。

PL学園3年だった85年。オレは巨人に行きたくて、それ以外でも阪神か中日…セ・リーグ球団へいくと信じていた。くじ引きだからパ・リーグの可能性もあったわけだが、想像もしていなかった。

3時間目の授業中だったと思う。校内放送でラジオが流れていて、6球団からオレの名前が呼ばれた。しかし、希望の巨人は桑田を指名した。頭の中が真っ白になったね。クラスメートが黙然とする中、確か桑田はスーッと教室から出て行ったんじゃないかな。

あの日のオレの写真、今でもよく見るだろう。学生服で涙ぐんでいる姿。あれ、よく見ると詰襟にカラーがないんだよ。実は、ドラフトの後で担任の先生から怒られている「清原君、カラーをつけなさい」って。PL学園はそういうところ厳しかったからね。

しかし、朝は確かにカラーをつけていた。たぶん「読売…桑田真澄」というパンチョ伊東さんの声を聞いて無意識にカラーを折って捨てたんだろう。あの時のオレができる、精一杯の抵抗だったように思う。

その後は、すごい騒ぎだった。桑田は巨人の指名を知っていたという話が出て、チームメイトが「許せん」と言って、金属バットを持って桑田を探し回ったり。学校に抗議や脅迫が殺到して、警察が教室を見張っていた時期もあった。オレはチームメイトの松山や黒木たちに「練習しようぜ」と誘ってもらい、泣きながらバッテイング練習をしたな。今となっては、懐かしいとも思えるな。




まあ、ドラフトは残酷な制度だよ。でもオレの生き様をみせる場所でもある。
オレは意中の球団でなくとも、プロに入るべきだと思う。回避は才能の無駄遣いだし、球界の為にもならない。プロに入れるなら少しでも早いほうがいい。遠回りして、プラスになった選手っているのかな。オレはいないと思うよ。

オレも西武に入ってよかったと思っている。初めてのサインで「西部」と書いてしまったぐらい、何も知らない球団だったけどな。希望の巨人だったら、すぐにダメになっていたかもしれない。ファースト中畑さん。サード原さんで固まっていて、1年目からは試合に出られなかっただろう。それに巨人のキャンプはいろんな評論家がきて、注目新人のフォームをいじる。あれはきついからな。

西武では何も言われなかった。後で聞いたら管理部の根本さんが「清原のフォームをいじるな」と指令を出していたらしい。打撃コーチの土井さんにも「本人が何か聞いてくるまで教えるな」とね。だから自分のペースでやれた。球団に守ってもらったんだと思う。巨人では、そうもいかなかっただろう。

マー君だって、弱いころの楽天にスパッと入った。高校時代をすごした北海道の日本ハムが希望だったと聞くけどね。だからファンに愛されているんだろう。その逆が巨人菅野かな。間違いなく好投手だし、新人として素晴らしい結果を残した。だけど、彼に対しては何かノドにつかえるようなものがある。それはドラフトが理由だと思う。

昨年に希望じゃない日本ハムへ入って今年のような成績をあげていたら、もっとファンに愛される選手になっていたと思うよ。プロ野球を見るサラリーマンだって、希望の部署で働ける人なんて少ないはず。我をとうした菅野より、与えられた環境で抜群の結果を残すマー君の方に共感するんじゃないかな。



桑田もそうだ。甲子園の大スターで、プロでも素晴らしい成績を収めた。だけど、どこか暗いイメージがつきまとってしまうのは、ドラフトの影響が大きいと思う。

ドラフト当時は、桑田に対して思うところはあった。正直、憎かった時期もある。何で言ってくれなかったのかねとね。マスコミには「早大進学」と表明しても戦友のオレにはだけは「実は巨人へいきたいんだ」と言ってほしかった。そうしたら、きっと「じゃあ、どちらが指名されても恨みっこなしだ」と言えたと思う。それで同じ結果になっても、何でもなかった。

巨人と桑田の間に密約があり、早大を隠れみのに使ったのか。今を持って1度もドラフトについて話したことがないから分からない。まあ、お互い引退した今となっては、どうでもいい。ただ、それでも桑田に対して言いたいことはある。

それはなぜ引退後に早大の大学院へ進んだのかということだ。桑田が早大を絶って巨人に入ったために、PLの後輩は早大進学のルートを絶たれた。いまだに1人も入っていない。一時は6大学すべてに入れない時代もあった。これは動かせない事実だ。

人気大学への進学に制約があれば、有望選手を集めるのに難しくなる。全国からPLへ選手が集まってきたのは、良い大学、いい企業へ進めるという大きな理由も大きかった。その後、暴力事件などいろいろあったが、PL野球部が衰退していく契機は、間違いなく、あのドラフトにあった。巨人入りした桑田の決断は非難できないが、その決断に伴う責任はあるはずだ。

桑田が巨人入りを決断したとき、中村順司監督は「(桑田と)会って話をする気になんて、とてもなれない」と言って涙を流した。その後、責任を感じて丸刈りにもなっている。桑田はチームメイトがうらやむほど中村監督から信頼されていた。何しろ練習メニューまで任されていたくらいだ。その信頼を裏切られ、監督はショックだったのだろう。いつも冷静な監督の姿に、オレたちもショックを受けた。桑田の決断は、いろんな人に影響を及ぼしているんだ。

だから桑田の進学が信じられなかった。勉強したいなら別の大学へ行けばよかった。早大に行きたくても行けなかった後輩がいる。桑田が早大の門をくぐったら、彼らの思いはどうなるんや。

実際、桑田が早大に入ったとき、多くのOBは驚き、怒った。彼が早大の思いを口にするほど、仲間の気持ちは冷めていった。「早大に入ることで、密約はなかったと言いたいのか」「逆に、事実と認めているように見えてしまう」
そんな声もオレの耳に届いた。あの件で、桑田のドラフトはよみがえってしまった。

オレは引退するとき、王さんに声をかけてもらった。 「生まれ変わったら同じチームでホームラン競争をしよう」と。 これはうれしかった。ドラフト以来、ずっと胸の中にあったモヤモヤ感が吹きとんで、ああ、オレのドラフトは終わったなと思えた。




桑田もそろそろドラフトを終わらせるべきではないか。そのため、彼にはすべきことがある。苦しんでいるPL学園の指導者だ。研修を受ければプロ出身者も高校生を指導できるようになる。そうなったら桑田はすぐ母校へ飛んでいき、名門復活への手助けをすべきだ。やらなければいけない。少なくとも東大野球部の指導をしてる場合じゃない。

桑田なら強いPLを取戻し、再び早大へ生徒を送りだすこともできる。それが彼の「けじめ」だと思う。再び甲子園でPLの校歌を聞けるようになったら…早大へ、6大学へ進めなかった後輩たちも浮かばれる。その時、オレ達のドラフトが完全に終わるような気がする。

Posted at 2013/10/28 21:57:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | 真面目な話 | スポーツ

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