世界に冠たる自動車大国
NIPPON と、地球上のあらゆる大地を舞台に、戦い、鍛え、磨き上げてきた
MITSUBISHI MOTORS が世界に誇る
”PAJERO”
そのラリー仕様車である、
MPR=MITSUBISHI PAJERO RALLY
その歴史と魅力とを、2代目V25/V55、3代目V65をベースとした1997年~2004年をメインに、そして競技専用車両として進化を遂げた2003年~2007年をプラスして記していきたいと思います。
MPR10 MITSUBISHI PAJERO EVOLUTION 2003
MPR10=三菱パジェロ エボリューション スーパープロダクション仕様。
2003年パリダカ参戦車。
#200(200号車)は、増岡 浩 選手(チームENEOS三菱ラリーアート)がパリダカ2連覇を達成したマシンです。
2003年大会の三菱公式HPで初めて
「MPR=ミツビシ・パジェロ・ラリー」 の名称が使用されました。
MPR9 MITSUBISHI PAJERO 2003
MPR9...と思われる、V65W 3代目パジェロ ショートボディ 市販車をベースとした、三菱パジェロ スーパープロダクション仕様。
2003年パリダカ参戦車。
MPR9は、2003年、2004年の2大会でMPR10とともに参戦しました。
MPR9 MITSUBISHI PAJERO 2002
MPR9...と思われる、V65W 3代目パジェロ ショートボディ 市販車をベースとした、三菱パジェロ スーパープロダクション仕様。
2002年パリダカ参戦車。
2002年大会からレギュレーションが変更となり、T3(競技専用車)とT2(市販車改造)の2クラスを統合する形で、新たにスーパープロダクション・クラスが新設されました。
#201(201号車)は、2002年大会で増岡 浩 選手(チーム日石三菱ラリーアート)がパリダカ初優勝を果たした記念すべきマシンです。
また、篠塚 建次郎 選手(チーム日石三菱ラリーアート)は、同大会でマシントラブルに見舞われながらも、#210(210号車)で総合3位(T2部門3位)と健闘しました。
MPR8 MITSUBISHI PAJERO 2000/2001
MPR8...と思われる、V65W 3代目パジェロ ショートボディ 市販車をベースとした、三菱パジェロ T2(市販車改造)仕様。
2000年/2001年パリダカ参戦車。
T2(市販車改造)クラスは、2002年以降のスーパープロダクション・クラスとはレギュレーションが大きく異なるため、同じ V65W がベースでも、MPRの別番号(9の一つ前なので、おそらく8)と思われます。
なお、2001年大会では、ドイツ人で女性ドライバーのユタ・クラインシュミット選手(ドイツ販社チーム)が、#205(205車)でパリダカ史上初の総合優勝を果たしました。
MPR7 MITSUBISHI PAJERO 2000/2001
MPR7...と思われる、V55W パジェロ エボリューション 市販車をベースとした、三菱パジェロ T2(市販車改造)仕様。
2000年/2001年パリダカ参戦車。
#220(220号車)は、増岡 浩 選手(チーム日石三菱ラリーアート)が2000年大会で総合6位(T2部門3位)と健闘。
2001年大会では、#224(224号車)でパリダカ挑戦15年目で総合2位(T2部門2位)と大躍進しました。
また、篠塚 建次郎 選手(チーム日石三菱ラリーアート)は、1998年大会では#206(206号車)で準優勝、1999年大会では#202(202号車)で総合4位と健闘しました。
MPR6 MITSUBISHI PAJERO 1997
MPR6...と思われる、V25W 2代目パジェロ 標準ボディ・メタルトップワイド 市販車をベースとした、三菱パジェロ T2(市販車改造)仕様。
1997年パリダカ参戦車。
1997年大会からレギュレーションが変更となり、それまで参戦していたT3(競技専用車)クラスへのワークスチームのエントリーが禁止されたため、T2クラスでの参戦となりました。
#205(205号車)は、篠塚 建次郎 選手(チーム三菱石油ラリーアート)が1997年大会で日本人初の総合優勝を果たした記念すべきマシンです。
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MPR | 日記
Posted at
2012/12/15 19:28:53