例えば、モンゴルの時代には高句麗は属国として、日本を攻めた。これが侵略戦争の元寇であり、日本人に耐えがたき苦難を与えた。
韓国の感情的問題は「反日」に密接な関係がある。 まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。
朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。 中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、 下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが 「渓陰漫筆」に書かれている。
李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
韓国が反日のワケ
身分が「最も低い」のだからしかたない。 身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。
・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎え土下座をしなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。
朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉がたった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。
朝鮮国内にもその名残がある。
現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という屈辱的な隷属の象徴の門だった。
朝鮮はそれほどまでに国“下”にみられていたのだ。
この2000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、彼ら朝鮮民族の『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。
朝鮮民族の民族気質を簡単に説明するには、朝鮮人の名前が「金(キム)」や「朴(パク)」などのようにワンパターンになった理由を説明するのがわかりやすい。
1.朝鮮人は長い間中国の属国として低い身分にあったため、低い身分の者や貧困者、弱者、ひいては身障者などへの虐待を「下の者が下に見られるのは仕方のないこと、上の者が下の者を見下すのは当然のこと」と考える民族的傾向が定着していた。屈辱を「当然」と考えなければ精神的に乗り越えられないほど、千年の隷属というのは長かった。
2.朝鮮は虐げられる者の反動として、より低い者を虐げる「貴族社会」が長く続いた。そのため、家系が悪ければ努力はほとんど無意味だった。貴族が裕福なのも、奴隷が貧しいのも、生まれた家に決定された。
3.やがて低い身分にある者が「自分の先祖は名門だった」と思いたくなり、 いつしか「偽の家系図を買う」または「家系図を書き換える」ことで底辺で虐げられる身分から一発逆転を果たすことが流行してしまった。
4.その結果、皆が「限られた同じ名門(両班という)の名前」になり、形の上では皆が同じ名門の家系出身の者ということになった。
逆に底辺(白丁という)の出身者は歴史の闇へと消えていった。 現在、どの韓国人に聞いても「私は由緒ある両班の出身だ!」と答える。今はもう白丁の子孫であってもその自覚すらなくなっている。
元より宗主国・中国も姓の種類は少ないが、その一部をコピーした属国の中で、さらに系譜の偽装が行われ「名門・良家の姓」にのみ絞られていったため、朝鮮人の姓は極端に種類が少ないのである。
朝鮮人の民族特性をまとめ直すと、まず、『誰よりも“過去や先祖”を誇りたがる民族』である。その理由は、民族の成り立ち上、醜い過去に対するコンプレックスが強いのである。
『努力せずに嘘や小細工で勝ち組になれることに味をしめた民族』である。過去の歴史を書き換えることで名門になることができた国の人々なのである。
このような性質を持つ彼らには、朝鮮民族の歴史はあまりにも惨めすぎた。 つまり痛々しすぎて自分たちの過去を振り返るのが苦痛なのである。
それゆえ、独立した後に“民族意識を高めるための愛国教育”と称して、 『我が国は5000年間一度も他国に支配されたことの無い独立国である』という“偽りの栄光の歴史”をあたかも真実のように国民に教え込むことにしたのである。
これが韓国のねつ造した愛国教育の成り立ちである。
韓国~反日の理由~ 한국∼반일의 이유∼
★日本の「見事な併合」が逆に仇になる
日本は朝鮮併合時に桁外れに朝鮮を豊かにした。 韓国人は信じようとしないが、韓国の教科書に載っていないだけで世界の教科書には載っており、証拠はいくらでもある。
「併合前の貧しさ」は韓国では隠蔽されている。
『朝鮮紀行』の中の1ページ
■イザベラ・バードが見たソウル
首都にしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。 礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。
ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。蓋のない広い水路を黒くよどんだ水が堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながら流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。
Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がSeoulにはことごとく欠けている。
古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。
清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がここにはない。
("Korea and Her Neighbours" by Isabella Lucy Bird
『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』イザベラ・L・バード)
勤勉な日本人には文化と技術があった。 国が豊かになったのは明らかだろう。
日本のおかげで1910年の併合から1945年の独立までのたった35年間でここまでの発展をした国は世界にも他にない。
では日本はいったいどんな魔法を使ったのか?
日本の身を切る努力である。