この夏にハマっていたのが戦国歴史探訪。調子に乗って地元松平、徳川本拠地を抜け出し、とうとう岐阜大垣まで足を伸ばし、木下藤吉郎(後の秀吉)の一夜城と呼ばれている墨俣城址に行ってきたのが7月のことでした。
秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、信長の命で夜の突貫大工事で短期間のうちに建てたというお城です。
11時過ぎに妻とバイクで東海環状道豊田松平インターから岐阜羽島に向かいました。東海環状道は豊田松平からは緑の中を走り抜けるさわやかな道です。暑さを忘れ、ほんのちょっぴり1か月後の北海道ツーリングに思いを馳せ、軽快にバイクを走らせました。
小1時間走り、美濃加茂ハイウェイオアシスでお昼にしました。このクソ暑い時に二人とも熱い豚骨ラーメン。なぜかバイクツーリングにはこれがいいのです。
美濃関JCTから東海北陸道へ、一宮JCTから名神高速を乗り継ぎ、羽島インターで出ました。
東海道新幹線岐阜羽島駅の前を通り、渋滞ぎみの橋を渡り、長良川西岸の堤防道路を北に向かってしばらく走ると復元された天守閣(資料館)が見えました。
入り口にバイクを停め、堀を渡ります。橋の名は「しゅっせばし」。藤吉郎が信長に認められ、天下統一に向かって走り続けるきっかけになったのがここ墨俣城の短期間の築城だったのです。
いくつかの資料を見ながら上の階に昇り、最上階の5階から外を眺めてみると、信長がここに城を造りたかった理由がすぐに分かりました。
北を見ると、岐阜城も大垣城も見えます。南東方向には尾張一帯の濃尾平野。織田家の本拠地です。西側は城下の墨俣の町。しかも長良川とその支流が天然の堀になっていて、戦国の世としてはとても優れた立地条件だったのです。
大垣と言えば名水の町として知られています。名物の大垣ラムネで乾いた喉を潤しました。これがまたうっまい。
それにしても、真夏の水郷地帯はあっつい。カワサキのタオルで流れ落ちる汗を拭き拭き、新しいのに汗のにおいのするヘルメットを被り、墨俣城趾を後にしました。
都市部のバイパスにしては走りやすいR21で岐阜市街を抜け、岐阜各務原インターから東海北陸道、東海環状道を走って帰りました。もちろん、走っている時は快適です。快適すぎて眠くなってしまいました。あご紐であくびもできん。
走行距離約240km。久しぶりの200km越えです。僕は遠距離通勤で毎日往復200km近い距離を走っています。今回のようにツーリングで同じような道(毎日、岐阜各務原インターを利用しています)、同じような距離を走ると通勤路でもずいぶん楽しいものだなあと思いました。毎日の通勤もツーリング気分でクルマを走らせれば、仕事も楽しくなる・・・ということはないわな。
Posted at 2017/11/15 18:01:03 | |
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