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アウグストのブログ一覧

2007年01月27日 イイね!

昔乗っていた車<第六弾>

満を持して購入した車がVW GOLF IIIでした。それも新車で。おいおい、お金が必要になったって話しはどうなった?まぁそれはいろいろとありまして。。。新車を購入する事が出来た大きな要因はその値段にあるのでした。。普通GOLFをイメージすると、生産国はドイツだけど、中南米、北米、カナダを含む大陸において、VW(少なくともGOLFとJetta、ビートル)はメキシコ産となるのです。
友人には散々バカにされましたけど。まぁ今となってはBMWだってベンツだってドイツ以外で作っている場合あるんですけどね。

NAFTA(北米自由貿易協定、North American Free Trade Agreement)があるため、乱暴に言ってしまえば、それぞれの国において関税がかからないので結果として販売価格が下がる。そして、アメリカほど車の価格が安い国はないという2つの要素が重なって安く車が買えるのでした。

実は日本車(と言ってもアメリカでは輸入車だけど)だって、グレードは異なるけれどもだいたい日本の価格よりも安い場合がほとんど。でもアコードやカムリと言ったバカ売れ車種は中古が異様に高かったりします。

それから、日本とは全く逆で、アメリカではGOLFよりもBMW 3シリーズの予備軍的な感じで、Jettaの方が圧倒的に人気があります。当然リセールバリューもJettaの方が良いです。街ではJettaはうようよ走っていますが、GOLFは。。。って感じ。

自分が買ったモデルは多分日本のGLiにスポーツパッケージ(そんなもんあるのか?)を付けたような感じだと思う。覚えている限りで装備品を並べてみると、
・ユーロランプ(ハイビームとロービームが分かれているもの)
・ダークテールライト(Hellaのものが付いていました)
・14インチ!アルミ(94年当時ではBMWも15インチが標準だったような)
・ルーフアンテナ(ゴルフではお約束のアイテム。標準はAピラーの根元から斜めに生えていました)
・スポーツシート(ザックリとした感触で、サイドサポートがしっかりしたもの)
・サイドスポイラー(スポイラーの形してませんでしたけど)
・フロントフォグ(プロジェクタータイプのもの)
・サンルーフ
それがコミコミ価格で1.6万ドル。$1=110円計算でも180万円に届かない位。超バーゲンプライスって感じだと思います。エンジンは同じ2Lだったけど、日本には無い形式のものだったと記憶しています。

でもアメリカって変なところで、サンルーフは電動式のガラス製ものが標準装備されていたけれど、窓もサイドミラー調整も手動でした。2ドアだったのであまり利便性を感じなかったけれども集中ドアロックも付いていました。アメリカでは高速道路でお金を払うことがほとんどないので、いちいち窓を開けることもなく、電動窓じゃなくてもそれほど気にはならなかったけれど、それにしても付けるコンビネーションがおかしかったのは確かですね。

嬉しさあまってドライブ。LAの中で少しリッチな感じのMarina Del Rayでの一コマ。



この車は本当によく走ってくれました。94年の夏に強行したアメリカ大陸縦断ドライブがハイライト。(本当はカナダのトロントまでしか行っていなので縦断じゃなけど)一人で14日間を延々とドライブ、合計で約12,000kmを13州位に股をかけて走破したのでした。(ってどこの州だったかなぁ。今度写真をひっくり返して見ます)という事は1日約860kmを走った計算になるのだけど、日本の道路事情では到底達成出来ない距離なんでしょうね。

このことを自慢げにタクシーの運転手に言うと決まって「私は行った事がないんでぇ」とこちらの期待と違う答えが返ってきます。ハッキリ言ってただ走っていただけの旅行になってしまったわけですけど。。。まぁこういうのはこの先体験するチャンスはないだろうなぁと思うので大切な思い出としておきましょう。

短い期間だけど、距離は走っている。でもまるっきりその自覚がなかったです。でも途中で気がついてよかったことがありました、オイル交換です。今の車だと10,000kmオイル交換不要なんてことになっていますが、その当時の感覚で言えば最低でも2回はやっておいた方が良いって距離ですからね。旅の途中にオイル交換を、しかも2回も、するなんて、どうかしてます。

田舎(と言っても日本の田舎とはスケールが違う。次のガソリンスタンドまであと500kmなんてのはザラ)で夏のフリーウェイを1時間も走ってみると、色々な虫(LAでは見たこともないグロい虫も)が凄い勢いで付着してしまいます。夏という事もあり、異常な乾燥と高温で完全に死骸がこびりついてしまい、これがまた落ちないんです。
そんな事情のせいなんでしょう、米国の田舎を走る車のボンネットには虫除け用の高さ10センチ程のアクリルシールドが装着されている場合があります。LAで装着している車を見た時は「なんなんですか、これ?」って感じでしたが、田舎へ行って始めてその意味が分かったのでした。

一度洗ったけれど、1時間も走るとこんな感じに仕上がります。
ラジエターの目詰まり、エアクリーナーボックスの中とか結構色んなところに虫が入ってきます。


どのくらい田舎道かということこんな感じで、本当に何もないです。1時間走っても前後左右に車がいることがない!!


すこし見えにくいけど、バックに虹が写ってます。


この車、幸い事故には合いませんでしたが、自宅のアパートの駐車場(セキュリティゲート付き)で車上荒らしにあい、運転席窓は粉々、CDチェンジャーとカセットテープ(友人が作ってくればユーロビートミックスだったのに)数本とフロアマットをかっぱらわれました。
それ以外は殆ど出費の無いよく出来た車でした。あれ、そういえば、4年、10万キロオーバーだったのに、タイヤを交換した記憶がありません。GoodYearだった気がしますが、本当に減らないタイヤだったということか。

というわけでこの車は結構濃密な関係を1994年4月~1998年5月の4年間持ちましたが、長かったような短かったような私の米国生活の終焉とともに友人に引き取られていきました。
おっと気がつけば時は2007年。帰国してから早くも10年近く経つんだなぁ。
Posted at 2007/01/28 12:27:10 | コメント(2) | トラックバック(0) | 過去の車 | 日記
2007年01月20日 イイね!

昔乗っていた車<第五弾>

時代は変わり、一身上の都合でお金が必要になり、黒いコルベットは自分の元を去る事になってしまった。そしてやってきた車が米国では超極マイナーなローバー社 スターリング825という、これぞセダンという四角い銀色の車でした。

このライセンスプレート、1987年の1年のみの発行だったような気がします。
取っておけばよかった!


この車、プラットフォームや動力系統はホンダ(彼の地ではアキュラブランド。米国でのレクサス誕生で一気に窮地へと追い込まれていました)レジェンドと同じで、ガワをローバーが仕立てたっていう変な経緯がありました。その当時、西海岸ではレジェンドは結構な人気だったのだけれど、その姉妹車のローバーはさっぱりで、この会社名を知っているアメリカ人は殆どいなかったという非常に寂しい状況でした。

横から見ると、曲線というのを忘れてしまっているデザイン。でもこういう形、実は大好きです。


いかにも西海岸という1ショット?


ローバーはコルベットを売ったお金の半分を注ぎ込んで入手する事が出来ました。値段は半分、でもドアと椅子は倍の数が付いていて、おまけに皮内装に本物の木がインパネ周りに付いていた。運転者には関係ないけど、後席にもパワーリクライニングが付いていたし、当然前席も10ウェイパワーシート(運転席はメモリ付き。でも壊れてた)。サンルーフだって開口部が大きく、西海岸の太陽をサンサンと浴びる事が出来た。窓は全てブロンズガラス(懐かしー)が入っていたので紫外線対策はバッチリねってホントか?
言ってみればいたせりつくせりの車でお値段控えめという超お買い得車なのでありました。まぁ排気量は片や5.7L、この車はホンダ製V6 2.5Lだったので、半分以下という事になりますが。

この車には4年位乗ったか、それも超オンボロの状態で。多分LAで一番ボロいスターリングだったのでしょう。ボロ過ぎて、数少ない歩行者(LAでは皆車で移動するからほとんど通行人がいない)が自分の愛車を眺めてくれた。ある意味、フェラーリよりも注目度が高かったと信じているくらい。

リアショックを交換したら後ろ下がりになってしまい、その影響で段差でマフラー出口を擦るようになり、これが原因でマフラーに穴が開き、ボーボーと排気が漏れまくり、何の変哲も無い4ドアセダンなのにこんなイカしたいい音がするの?って感じでした。

ATだってリバースに入らなくなった。いくら駐車場が広いとは言え、大学周辺での駐車場争奪戦は凄まじく、リバースに入らないという事はハナから負けという事なので、トランスミッションをなけなしのお金を叩いて載せ変えた。載せ変えたATもしばらくすると、4速から3速へのシフトダウンはシフトレバーを手の平で思い切りバコンと叩かないと入らなくなった。まぁ結局、これもその後昇天することになったのだけど。。。

自宅のパーキングで窓も破られ、授業のための道具を全部かっぱらわれた。お金が無くて窓ガラスを入れる事が出来ず、半年位そのままで走り続けた。雨が降らない西海岸だったから出来た芸当かな。日本から来た友人達とLAからサンディエゴまで高速道路をゴーゴー風を切りながら走ったもんです。

スピードメーターは途中で動かなくなった。タコメーターは動いていたので、大体の速度は分かったから無問題。問題はこの車の走行距離がどれくらい?って事。米国には日本みたいな殆ど無意味な車検がないので、メーターが動かなくてもこれまた無問題。面白いのは通学途中の朝の高速道路で、突然ピョコンとスピードメーターが60マイル(100Km/h位)に跳ね上がり、20秒程でパタリと0に戻るなんて事があった日には、何か良い事が起きたという事かな。

走行距離が分からないので、メンテナンスなんてのも一切ナシ。入れるのはガソリンだけという今からでは考えられない位の無頓着ぶりでした。

それでもたまにはオイル交換でもしてやるかと思い、作業を始めてみると、どうにもオイルフィルターの蓋に付いてるナットが回らない。力任せに回してみると、メガネレンチが折れてしまった。もう嫌。それからこの車のオイル交換は放棄し、結局オイル無交換で少なくとも5万キロは乗ったけど、エンジンはいつも一発始動、快調そのものでした。流石、日本のエンジンは凄いと思いました。

事故も経験した。直進する自分に対して路地からインフィニティQ45(日本で言うシーマか?)が突っ込んできた。その時、自分はライターが点かず、下を向いている時にぶつかったので、全くノーブレーキ、30km/h位のスピードで衝突したと記憶している。見ると右前のフェンダーがコブラが敵を威嚇する時のようにめくり上がっていた。フェンダーの隙間からエンジンルームの補機類が覗けてる。ヘッドライトはボロんと落ちていたけど、針金とテープで元の位置に戻した。光軸なんてもんは完全に無視って事に。この時の写真が無いのが非常に残念なんです。自走出来たことが本当にラッキーでした。

いくらなんでもコブラ状態のフェンダーでは恥ずかしいので、自分で折れ曲がっている部分を力技で逆に折り込み、少なくとも人を串刺しにするような状態からは脱する事が出来た。ある日、走っていると、隣の車から中米系のオヤジが何やら叫んでる。訳を聞くと、イカれたフェンダーを直してやるというのだ。それも100ドルで。何を勘違いしたのか、100ドルで直るんならいいやという事で、そのオヤジに頼んだ。すると、なんとオヤジはその場で特攻野郎Aチームみたいなバンから色々な器具を取り出し、イカれたフェンダーに取り付け、力一杯引っ張ったりハンマーで叩いたりと、直してるんだか壊してるんだか分からん作業を始めてくれた。道端でこんな作業をしているのはやっぱり誰が見ても怪しい。

何故か1時間程して、オヤジが「OK, it's fixed」と言い放った。??全然直ってねーじゃんか。まぁでもこれ以上道端に居るのは嫌だったので、素直に70ドル払って(持ち合わせが無いと言ったらマケてくれた)、その場を去った。何かキツネに摘まれたような1時間だったなぁ。

そんなこんなでこの車には沢山のよろしくない思い出が沢山詰まっていたのでした。最後は友人がバックしてきたパジェロにフロントを潰され廃車になりました。

1991年2月~1994年4月までの乗車だったと記憶しています。
Posted at 2007/01/20 08:36:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 過去の車 | 日記
2006年05月10日 イイね!

昔乗っていた車<第四弾>

時に1988年、その頃日本はバブルの絶頂だった。自分がアメリカで暮らしている間に実家にはアメリカから化け物がいらっしゃった。いわゆる並行輸入車。
自分が日本へ一時帰国した時に背の低い父親が空港に迎えに乗って来た車は1988年式のコルベットだった。

普通の高さからだとナンバーが全く見えないじゃん!
よく警察に制止されたものです。


伝統の丸目4灯。以外に広いトランクだけど、開口部が高いので使い勝手は悪い。Cピラーが無いので、剛性確保も出来ないか。。


アメリカにいる時にこの車の存在は当然知っていたし、かっこぇぇと思っていたが、こんなにペッタンコの車にちょっと太めの父親がチョコんと座っているのは物凄く可愛らしかった。

父親は言った「速くっておっかないんだよぉ」

時期が前後してしまうけれど、この時、自分はまだ確かCIVICに乗っていた。アメリカでこのコルベットが信号で横に並んだ時、「ケっ、ぶち抜いてやるぜ」と鼻息を荒くし、青信号になるタイミングはじっと見計らい、次の瞬間には。。。あれ?もういない。そう、コルベットは物凄く早かったという結構頭の悪い体験(方や1.6Lの4気筒、お相手は5.7Lの8気筒。何をやっても勝てはしませんよ)をした事があったので、父親の一言の半分は理解出来たつもりだった。

空港から自宅に到着するなり、「おお、一周してくらぁ」と鍵をもぎ取り、試運転へと出かけた訳だが、アクセル一踏み、父親の一言の半分も理解出来ていなかった事にすぐ気付いた。何しろアクセルをちょっと踏んだだけで、猛烈な勢いで車が飛び出し、頭が後ろに押し付けられるんだからたまんねぇなぁ。そうか、これが大排気量エンジンが繰り出すトルクってやつかとシミジミと実感し、CIVIC対コルベット対決がいかに浅はかな行動だったかを再認識したのでした。まるで幼児と巨人の違い。そりゃそうだ。トルクの出方が全然違うもの。ハッキリ言って反則技。よく人が「パワフルなエンジンだ」と表現する場合、カタログの「馬力」がこの表現の根源になっているんじゃなく、「トルク」がこの表現へと導いているんでしょう。トルクとは加速力や瞬発力に利き、馬力は最高速に利くと言われているから。それにしても有効トルクの発生回転数が低いこと低いこと。

実にダイナミックな車はエンジンだけではなかった。そのハンドリングは自分がアメリカで乗っていた銀のコルベットのものと正反対のものだった。ロックtoロックが2回転しなかったように記憶している。ハンドルを10時10分の位置で握り、ステアリングが左右にロックするまで回すのに全く持ち替えずに出来てしまう。ちょっとステアリングを傾けただけで、車は俊敏に向きを変える性格に変身していた。これまたビックリな味付けだった

ダイナミックなところはまだまだあって、ホイールとタイヤもちょっとイっちゃってました。何しろこの頃、日本ではようやく50扁平のスポーツタイヤの認可(日本国内で製造される車の新車装着の許可の事だと思うけど)がおりたばかりだった。うーん、その最初の車は三菱のGTOじゃなかったかな。それなのにこのコルベット、幅275、扁平率40、17インチなんていうはなはだ馬鹿げたサイズのタイヤを前後に履いていたのでした。昔懐かしいF1では一世を風靡したGoodyear Eagle、トレッドパターンはF1のレインタイヤを模していて、ワニの背中に似ているということで「ゲーターバック」というサブネームが付いていたよ。
今でこそ40なんていう単なるゴムシート位の背丈しかないようなタイヤを見るのは普通になったし、中には35、30を20インチのホイールに組合わせるっていうのもあるけど、その当時としては「なんだこりゃ!」ってな感じでした。なので値段も恐ろしく、その当時、このタイヤは日本には殆ど入っていなかったから(そりゃ、装着する車が無いのだから入る訳がないね)買うと1本10万円もしたのでした。時代はバブル、10万円だろうが何だろうが売れたんでしょうね。その当時の並行輸入業者さんはガッポリ儲けたんだろうなぁ

面白い話しで、ある日オートバックスでオイル交換を頼んだところ、(何故にオートバックスで?ってのはあるけど、僕は日本の自動車整備事情というのを知らなかったからです)メカのアンちゃんが周囲に居た同僚を呼び寄せ、「おい、何だこのタイヤ?40だってよぉ、認可下りてないよなぁ。それにしてもバケモンみたいだな」って会話をしていました。それほど物珍しかったのでしょう。

ボンネットは前ヒンジでガバっと開く。するとタイヤが丸見え。


しかしそのおかげで乗り心地はかなり堅く、殆ど路面からのショックを吸収してくれない本当にゴムシートのような感じでした。またそんな巨大なタイヤを支えるサスペンションアームが「大丈夫かいや?」って程細く、東京の荒れた道路を走る時に「タイヤもげないかなぁ」とそんな事はあるはずもないのだけれどもいつも心配してました。ボディの剛性感だって素人の僕が明らかに不足していると感じるくらいにフニャフニャだ。

でも東京で乗る黒くて平べったいこの車は相当アツイ視線を浴びる乗り物だったことは間違いありませんでした。あぁ、懐かしぃ、金ぴかの80年代!
Posted at 2006/05/10 18:24:40 | コメント(2) | トラックバック(0) | 過去の車 | 日記
2006年03月17日 イイね!

昔乗っていた車<第三弾>

第二段からのつづき。
しかし次に買った車はポルシェとは全然違うアメリカ~ンなコルベットでした。この時は個人ではなく今度は中古車屋に騙されて買わされました。(どう騙されたのかは不問)
1989年1月か2月だったような感じ。ドイツのスーパーカー?から何故アメリカ~ンなスーパーカー?になってしまったのかは今でも不明です。
騙されたのは確かなのですが、この固体はコンクールにも出れるくらい結構程度のよい代物でした。アメリカ~ンなマッスルカーには非常に珍しい4速MTでした。なので、今回の車では中南米系のあんちゃんではなく、白人のおっさん達に声をかけられることしばし。あぁ、コルベットはいつまでもアメリカ人(主に白人)が思い描く強いアメリカなんだなぁと感心したりしたのでした。
マフラーはACコブラと同じ、サイドマフラーの直管でバリバリバリッという凄まじい音を出しました。このマフラーは結構危険で車から降りる時気をつけないとふくらはぎを火傷するのでした。実際に助手席に座った短パンを履いた女の子が火傷していました。

木陰にて


このコルベットは最後のキャブレター仕様で、エンジンを始動する時、イグニッションを捻り、燃料ポンプの音が静まり、2、3回アクセルを煽り、それからスターターを回し、エンジンに火が入った瞬間にまたアクセルを少し踏み込むというキャブレターエンジン特有のエンジン始動方法を学ばせてくれました。
日本と比較して圧倒的と言うか比較にならない位に車への依存度が高く、車に乗らない日が1年で1週間あったらいい方という毎日を過ごすカリフォルニアで、このエンジン始動方法は本当に面倒くさそうに思えますが、これが普通だと思うと何ら不都合は生じさせないという事も分かった次第。ある意味面倒臭い車に対する抵抗力が付いてしまったということでしょうか。

もういっちょ


インテリアはこんな感じ


しかしこのコルベット、俗に言う「アメ車は直線番長である。」というのがそのまんま当てはまるマジもんのアメ車だったなぁ。運転の感覚を文字にするのは物凄く難しいのだけれど、この頃のアメ車の場合はそうでもないと思う。ようするに「ステアリングがやたらとダルい」もっと具体的に言うと、こんな感じ。

・交差点を曲がろうとする
・当然ステアリングを曲がる方法へ回す
・回しているにも関わらず車は曲がろうとしない
・アセる。
・アセり終わった頃に車が曲がりだす

要するに通常のドライビング感覚から1、2テンポずれた感じでドライブすると結構丁度よくなるという具合。その代わり、直線は流石に5.7リッターという馬鹿げた大排気量が練り出す凄まじいトルクで車を前へと押し出してくれる。
当然キャブレター+大排気量エンジンという事で燃費は極悪であった事は間違いない。殆どの交通でフリーウェイを使うアメリカであっても満タン150マイル(240Km)走ればいい方だった。そう、現代のコンピューターで制御されたインジェクションと異なり、アクセルを開ければ開けた分だけガソリンを止め処無くシリンダーへ送り込んでくれるので、燃費が悪くなるのも無理はないでしょう。
そんなガス食いでもその当時のガソリン価格は目ん玉飛び出る位に安かったので助かりました。確か$0.89/ガロン(3.78L)だから、当時の円(135円)で換算すると、約32円/Lだ!それが今では2ドル後半/ガロンだ。どんな世の中なんでしょうねぇ、アメリカは。

という感じで、アメリ~ンなコルベットはそれなりに楽しい車であった事は間違いなかったというお話しです。これは1989年1月から1年位だっただろうか。
Posted at 2006/03/17 23:51:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 過去の車 | クルマ
2006年03月10日 イイね!

昔乗っていた車<第二弾>

はて、中古車雑誌をぺらぺらとめくっていると、そこに物色しているカマロと同じような金額でポルシェ 911が載っていました。ムムッと思い、売主にコンタクトしてみると、それは日本人。舞い上がっている自分は中古車を下見するのには厳禁である夜に、それもポルシェの知識ゼロの状態の人間が一人でその車と対面してしまいました。一軒家のシャッターがギュイ~ンと開いた中の黒く光る物体が2つ並んでいました。一台はポルシェ928、そしてもう一台の黒いのが911。お目当ての911はまるで自分の傍に置いてくれと言っているようでした。(嗚呼何たる勘違い、思い違い)一応試乗をしてみましたが、車を運転し始めて半年の人間に中古車、それもスーパーカーであるポルシェの程度など分かるわけもありませんでした。

911が搭載するボクサー6はオイル管理が難しいとか、その当時のポルシェのクラッチは上手くやらないとすぐに滑って駄目になるとかそんな事はずーっと後になって知ったのでした。スーパーカーの運転席に座り完全に舞い上がり、脳死状態になっている若造は2、3回シフトチェンジをしただけで「これ、ください」と言い放っていたのでした。その持ち主からしてみれば、鴨ネギ状態で、うっほうほだったに違いありません。それくらい車の状態は悪いものでした。後から知った事でポルシェのブレーキが絶品であると言うのも、その固体には通用しませんでしたが。



そんなこんなでいきなりスーパーカーオーナーになってしまった自分ですが、そこからの苦労は散々たるものでした。この75年型の固体は本当のボロで、大変な物をつかまされたもんだと恥さらしな感じがします。外見はまぁまぁキレイでした(よく洗車場で中南米系のあんちゃんに声をかけられたりしたものです)が、肝心のエンジン、足回り、トランスミッションは120%の勢いで逝ってしまっていましたよ、ええ。ウェザーストリップなんかのゴム類だって、乾燥した気候でボロボロさ。洗車をすればそこかしこで雨漏りだ。まぁ砂漠気候ということで、雨がほとんど降らなかったから雨漏り程度で済んだけど。。。当たり前だけどエアコンだってなかったさ。フンっ、湿気がないから暑くないもんと強がりを言ってみたり。まぁ実際に湿気だらけの日本の夏とは比較にならないくらいに過ごしやすいのですが、LAは。



エンジンオイルは100Km走ると1Lが燃えてしまうようなありさまでした。全く何処へ消えてしまうのか不思議。まぁ何も知らない若造がそのようなスーパーカーに手を出した天罰とでも言うのでしょうか。ホトホトでした。でもそれなりに車の構造やポルシェの事にも詳しくなり、授業料としては本当に高かったけれども、いい思いをさせてもらった事には間違いありませんでした。また後ろに重たいエンジンをぶら下げた車がどのような挙動を示すのかもこの車で知る事になりました。



そんな車と共に半年の時が流れてゆきました。段々エセスーパーカーにも体が慣れ、本当のポルシェが欲しい!となるのは自然の摂理であり、誰も止めれるものではありませんでした。街の中古車屋で試乗させてもらった本物のスーパーカー(確か83年型の白い911SCでした)はよく雑誌等で表現される「カミソリのような鋭さ」そのもの、エンジンの吹け上がりは勿論の事、アクセルを離した時の回転落ちの速さなんかはもう並ではありませんでした。何しろエンジン回転の落ちが速すぎてスムーズにシフトアップする事が出来ないくらいでした。またブレーキの強力さも雑誌で言われている「ガツっと踏んだらガーンと効く」そのものって感じ。エセスーパーカーとはマルッキリ異なる次元を体験させてくれました。そうか!これが本物のポルシェなのか!と言った具合です。

もう居ても立ってもいられません!ということで、わずか半年程でこのおじいさん911とはさようならをしたわけです。これが1988年6月~12月頃だったような。。。。そんな気がします。
Posted at 2006/03/10 18:55:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | 過去の車 | クルマ

プロフィール

M3は10年以上経過してるけど、豪快なエンジン、クラシックなデザインの独逸車にくびったけ状態。 なるべくオリジナルの状態を保つことを目指しながらリフレッシュ中...
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