
初めて合法的に車を運転出来るようになったのが1987年の12月で、免許はアメリカ・カリフォルニアで取得したのでした。アメリカの運転免許の試験は非常に(と言うか危険な程)簡単で、ATの車で試験を受けても方法を知っていればMTを運転する事が可能です。自分のこの例に漏れず、試験はATでパスし、その後、誰も教えてくれる人がいないので、苦労をしながらMTの運転を覚えました。全く何回エンストしたか数え切れなかったなぁと回想してみる。アメリカというお国柄か、ATだろうがMTだろうが、自由に運転していいよって事でしょう。しかし「自由」という事の裏側に必ず「責任」が付きまとうという事を忘れてはいけません。
そして初めて購入した車は白いHONDA CIVIC ハッチバックでした。記憶が定かならば、1988年1月でした。その当時日本では「ワンダーシビック」と呼ばれた車でした。友人には危険だから絶対にMTはやめろと言われたのですが、その反対を押し切りMTを選択しました。
ここでちょっとレクチャー。
アメリカでの車購入は日本とは全く仕組みが異なり、買った(注文書にサインしたら)その日に乗って帰ることができちゃいます。要するに在庫がハンパないってことです。じゃぁナンバーは?実はナンバー無しでも一定期間は公道を走ることが可能です。その際には、前のウィンドウにかったばかりであることを示す小さな紙切れを貼り付けておけばOKです。(かな~り大雑把)その後2週間程で自宅宛に郵便でナンバーが2枚郵送されてきます。日本でもお馴染みになった希望ナンバーは当然のようにアメリカには存在していて、常識的な意味合いであれば、アルファベットと数字、記号を使って好きなナンバーを作ることが可能です。
それを自分でねじ回しを片手に取り付けるわけです。結構な人々が前のナンバーを付けずに走っていますが、本当は違法で、たまに警察に捕まったりします。後ろのナンバーには登録月と登録年のステッカー(簡単な剥がし防止の細工がしてあります)を貼り付けておしまいです。日本のように陸運局にて変な封印をする必要はないんです。逆に言うといとも簡単にナンバーがかっぱらわれるということになりますけど。
閑話休題。
当然買ったその日に運転して家まで帰らなければならないのですが、何しろ初めてのMT車です、何十キロか忘れましたが道中、ガコガコしながら帰ったものです。数ヶ月間ギアチェンジの練習を重ね、何とかスムーズに運転する事が出来るようになりました。この時にMTの運転を覚えておかなかったらその先にも多分MTは運転しなかっただろうなと思います。
自分にとってMT車の乗り方に劇的な変化をもたらしたのはCIVICのハンドルを純正のものから当時、フェラーリ328に装着されているものと似たデザインのイタリア、MOMOのハンドルに交換した時でした。車の機械的な部分に関してはチンプンカンプンだった自分はあるショップに頼んでハンドルを交換してもらったのですが、ちゃんと装着出来たかをそのショップの兄ぃチャンが試運転をした時でした。自分は助手席に座り、当然交換したハンドルに目をやるわけですが、走り出した後はもっぱらその兄ぃチャンの足元を見ていました。何故ならその兄ぃチャンのシフトダウンが自分のやり方と異なり、やたらと車がスムーズに減速したからです。MT特有のシフトダウン時のつんのめるような感じが全然なかったのでした。そうです、この時生まれて初めて「ダブルクラッチ」と「ヒール&トウ」と言う技術を目の当たりにしたのでした。
当然そのショップの帰り道、自分なりにその兄ぃチャンがやっていた事を色々と試しました。しかし全然上手くいかない。そればかりか普通にシフトダウンするよりももっと不快なつんのめりを体験してしまいました。原因はダブルクラッチを修得する前にいきなりヒール&トウを試していたからです。まともにブレーキも踏めないのにそんな高度な技術に挑戦している自分が結構かわゆく感じました。やがて何とかこの技術を習得する事が出来、プチスポーツ走行をするようになりました。
そうこうしているうちに車の運転て楽しいと感じるようになりました。でもやっぱり速い車が欲しいという若さくる欲求が生まれてきました。そして次の車を物色するようになったのです。候補として上がった車は沢山ありましたが、アメリカに住んでいるという事でアメリカンマッチョな車であるシボレー カマロなんかどうかと思い、中古車誌をめくっていました。
これが確か1988年1月~6月位だったように記憶しています。
Posted at 2006/03/07 20:45:30 | |
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