2014年05月06日
最近自分のブログを見てみて 結論に到達する前に力尽きていることを痛感したので まとまった文章に戻すべく?なんか書いてみる。
ときに平成8年某月某日 新しい電子顕微鏡の設置の日 朝から準備して待っていたが一向に門から到着したという連絡がない。おかしいので9時5分ころ業者に電話したら 門まで来たのだが入れてくれないとのこと 何が起こっているのかわけわかめなので 総務課の設備担当のところに走って 状況を説明 このひとは元装置の係長で現場や警防に顔が利くのだが ふたりで門まで走った。私が何か言おうとしたらいきなりこの人がほえた。
”どういうことだ! これは運んでいただくという仕事だ。なにをしとるんじゃ!”
すごい剣幕。警防の人たちは直立不動で状況を説明 すばやく指示があり 系防湿の控え室にビデオ上映装置が設置されそこで20分ばかりの安全教育ビデオが流された。どう考えても相手のほうがプロなのだが新入社員が見るようなビデオをいまさら見せないといけないのは ルールがあり それに四角四面で対応したからなのだが 門を守るものとしての指名からいってわからんでもないのだが 、、、、。
電子顕微鏡(高さ約2m 重さ 推定2トン以上)をどうやって実験室に運び込むかというと 人力なのだ。およ っとも思ったが 外とかはタイヤのついた運び車に載せてガラガラ移動させる もちろんトラックをできるかぎり入り口に近いところにつけるけど。
棟内はまあちょっと廊下の広い公民館みたいなもので 入り口から何台もの機械が設置されていて そこを少しづつ縦横無尽によけながら 目的のところまで20mあまりを人力で運び込んだ。
8人くらいの人で運んでいたがその指揮するものとそれに従うもののコンビネーションはいろんな意味で勉強になった。同じことはできないけど。
先日 新幹線を製作工場から操車場までトラックで運ぶ姿がニュースで流れた。計算しつくされた運送は夜中に始まり 朝の喧騒が始まるまでに仕上げねばならない。ニュースはキャッチーな場面をきょうちょうしてほうえいしていることをさっぴいても陸橋と数センチの間隔で移動させる新幹線車両をみて つくづくプロの技を見せ付けられた気がした。
もちろん微妙だと思われるところは事前に図っておいたりもするのだろうが どことどこを図っておかないといけないかの判断はその経験とあいまってその業者の技術そのもので それは技であって テクノロジとは違うものなのだ。
山中先生がiPS細胞の発見(発明?)で有名となりそのひととなりや生きてきた道が報道されたり番組で放映されたり本になったりした。最初は外科医を目指したが 手術が上手にできず 先輩から じゃまなか と呼ばれていたそうだ。外科医にはもちろんテクノロジを理解し応用する能力も高いレベルが要求されるとも実際の手術で微妙なメス捌きや早さ正確さが要求され それは芸術のレベルを要求し探求に終わりはないのだろう。それには実用的な時間内で技を習得しさらにオリジナルな方法を独自に編み出して向上させてゆかなければならないのだろう。そしてその失敗は患者の死につながるし よりうまいひとがより最小限の部位を切り取ることによる回復の速さと 残った部位に幹部の鯨飲となった元を残さないという意味での正確さをはかりにかけて 勝負に出なければならない。さらに そこには不安があっても患者に見せられないという高い精神性を維持しながら 患者を救う目的で殺してしまうリスクとの戦いでもあるのかもしれない。外科医が手術とは何かを問われたとき 患者を何人殺したかということばの奥にある苦痛と回復した患者の喜びの顔を考えたとき その印象は圧倒的に殺したことによる罪の意識のそれがきっと大きいのだろう。それでもなお若い知性は常にその時代にヒポクラテスの近いとともにそこへ果敢と挑んでいるのだ、、、。
アメリカでは日本に比べ実験的な手術が多く行われる。テクノロジの粋たるものとしては カテーテル治療があるとおもう。脳の特定の部位を切除するためのカテーテルにいれられた極小のはさみはガードワイヤに押し出され 患者の内太ももから挿入されさまざまな臓器をぬって首筋から脳の下から上方へとはいりこみ そこでX線CTのライブ画像を見ながら ちょきんと一回ははさみが入れられ はさみのよこの小さな管からの吸い込み圧で切り取られた患部は固定されて 来た道を逆に進む。さまざまなことが考えられさまざまな予備実験のもとにその計画 患部を一回ちょっきんはおこなわれたのだが これはもう芸術の域に限りなく近い。テクノロジと巣来るの融合による 一種の芸術なのだろう。
似たようなもので よりテクノロジの勝利に近いものとして低温での心臓手術がある。患者を麻酔で眠らせた後 10℃程度に冷却するための外部循環系にぺリス他ポンプで血液が環流される。ほどなく患者の心臓は停止し 一気に高速で手術が行われる。30分を目標に執刀医とその周りの人たちは全力を尽くす。最高の緊張感を維持し 一気に切除された組織が銀のさらに置かれて基本山場が終了する。縫合され血液があたらめられ 十分な温度30度くらいかに急速に暖められた状態で 心臓に電気ショックが浴びせられ そして心臓がピクリと動き出し 安定した一定のリズムを刻んだとき 全員に安堵のため息が漏れるとともに勝利の喚起にもにた雰囲気が一気に部屋中に充満する。至福のときか! 事態は突然急変する。リズムが変化する。だれかがさけぶ 心室細動だ! リドカインの静注! エピ(エピネフリン アドレナリンの合成物)の集中投与! どらまならその後いろいろなことがいろいろと放映されるが 現実はライブのものたちはそれぞれのたちばでそれぞれの対応を余儀なくされるようだ、、、、、、。
ちからとわざの風車が回るのは 仮面ライダーV3だが 技術と技の風車が回るそれぞれの立場でそれぞれの仕事でひとびとは異なる次元で悩み苦しみどんどんその技術を芸術の域へと高める努力の途上にあるのかもしれない。
自然科学はある意味簡単だ。答えは自然の中にあるのだから。どんなに権謀術策にたけたひとでも 自然の現象の前には その影響力で黒いものを白いものとすることはできない。他方 人間社会では 誘導し成功し勝利することもできる。弁護士は依頼者のために働き 白いものでも黒いと証明するのが仕事だとも言う。そういう意味で戦いは続く。それは時代の進歩と社会の変化にそのつど対応することになるけど テクノロジがどんどんすすんで人間についてより深く理解し応用できるようになったとき 弁護士はそのテクノロジをも駆使して 世論を誘導から決定に近いほどに制御することに炊けたものへと変貌するのか?
最初と最後が肝心という話はよくある。
終わりよければすべてよしともいう。
相手が満足し納得した結論に到達するようにさまざまな方策を行う。そのためにいずれ 拷問による洗脳と 説得の間の境界線の問題が社会に答えを求めるのかもしれない?そのとき わたしはどうすべきか? 洗脳と誘導と教育にはどういう違いがあるのか?誰か教えてほしいけど そういうことも私の甘えなのかもしれない?
どほんがら ややこしい用語の羅列は 結局自分でよくわかっていないのかと再認識されるので おもしろいどほん
どhhっほおおおおんがら
Posted at 2014/05/06 10:51:20 | |
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