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おんたまのブログ一覧

2009年03月06日 イイね!

ガイアの夜明け。

ガイアの夜明け。鉛筆 北の大地逃避行(!?)の続きです。
 爆弾低気圧が過ぎ去った次の日の2月22日の朝は、昨日までの天気が嘘のように静かに明けました。







 除雪された道路と太陽のありがたいこと・・・。





 しかし、自然の猛威は芸術に形を変えてしっかりとパウダースノーの上に爪痕を刻んでいました。






 夜明けとともに、低気圧の通過中どこに身を潜めていたのか、宿の外に設けられた餌台に多くの野鳥やエゾリスが現れ、空腹を満たします。
 生まれて初めてキツツキ(アカゲラ)が木をつつくところを間近で見ました手(チョキ)







 フサフサの耳と尻尾が愛くるしいエゾリス君が好物のヒマワリの種を霧中で頬張る姿も間近で見ることができます♪











鉛筆 エゾリス君の「もぐもぐタイム」が終わったところで、宿の人に車で送ってもらい、バスで川湯温泉へと向かいます。
 川湯温泉バスターミナルで情報収集をした後、に入りたい欲求をかろうじて抑え、まずは硫黄山へと向かいます。
 文字通り火山活動に伴って硫黄を噴出している山ですが、近くからは斜里山を初め、四方を囲む山々が一望出来る絶景スポットです。

 出発の段階で気温-12℃、風があり、晴れた日という条件が揃っていたため、ダイヤモンドダストへの期待が高まります♪
 風が吹くたび足を止めてを構えて歩いたので、歩いて30分程度の道のりでしたが2時間近くかかってしまいました。
 モンベルのフリースで出来たフェースマスクを頭からすっぽりかぶっていたのですが、僅かに出ているおでこが寒さでヒリヒリします
 ちなみにD80はこの寒さの中、何度かシャッターが降りきらず、エラーメッセージが出ました。どうやら-10℃前後が限界だったみたいです

 

 







バージンスノーの上にはキツネかウサギのものと思われるがところどころにありました。
 う~ん、出会いたかったな。


 ようやく硫黄山の麓にある道の駅に到着。
 モクモクと煙を吹き出す姿は近くで見ると結構迫力あります。




 ここで朝食代わりに温泉たまご(共食い・・・)と牧場直送の牛乳で腹ごしらえを済ませ、お土産コーナーで念願の「ジャガボックル」をGET
 レンズ交換を済ませて、今来た道を戻ろうと外に出ると、さっきまで晴れていた空は曇って雪が舞ってました。山の天気をなめてはいけませんねf(^^;)
 気温は下がりましたが、お日様が隠れてしまってはダイヤモンドダストには出会えません。やむなく撤収あせあせ(飛び散る汗)

 バスターミナル近くにある共同浴場で冷え切った体を暖め、山歩きの疲れも回復したところで再びバスに乗って川湯温泉駅に向かいます。
 共同浴場の前をバスが通過する際、向かいの足湯の近くにエゾジカがいました。



鉛筆 昨日の「おや画」でも紹介したとおり、川湯温泉駅は無人駅ですが、「日本の駅100選」にも選ばれた趣ある白樺造りの駅舎で、中に足湯と喫茶店があります。
 ちなみに電車は1日4本しかこないので、1本乗り過ごすとエライ目に遭いますげっそり







 風が吹く度にパウダースノーが舞い上がり、北国のローカル線情緒満点!








 1時間ほどして待ちに待った釧網線が到着しました♪
 7時間の長旅のスタートです。

The diesel locomotive local line
Will take you on a journey
A never ending journey
A journey to the stars~♪(ゴダイゴ風にたらーっ(汗)











 この路線は網走から釧路湿原を通って釧路へと向かうのですが、車窓から見える風景は全区間、なかなか絵になります。
 途中、変なところで何度か減速し警笛を鳴らすのですが、これは線路内にエゾジカが入り込むため。群れで行動する上、体重200kg近くに達する彼らにぶつかったら結構な衝撃でしょう。
 でもそんなノンビリとした雰囲気がまたよい味を出してましたほっとした顔
 もっとも二重窓のおかげで曇っていてエゾジカの写真は撮れませんでしたが・・・f(^^;

鉛筆 釧路で運休証明書と駅弁を手に入れて「スーパーおおぞら」に乗り換えて帯広まで。
 特急列車ですが、こちらは揺れが激しく、あまり乗り心地は良くなかったです。 

すっかり日の暮れた帯広の駅で待ち時間を利用し、お土産の「生キャラメル」と六花亭を購入していよいよ最終目的地の旭川へ。


 出発時は1両編成ですが、途中の富良野で1両増結して旭川へと向かいます。
 この頃にはが激しく降ってました。


 ISO感度を上げて手持ちと内蔵ストロボで連結作業の様子を撮ってみました。









鉛筆 粉雪舞う終点・旭川に着いた時にはすっかり夜。
 翌日は朝一で旭山動物園に出撃してペンギンのお散歩をベストポジションで撮るため、この晩は旭川ラーメンで腹ごしらえをして「決戦」に備えたのでした指でOK
Posted at 2009/03/07 00:18:20 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅の記憶。 | 旅行/地域
2009年03月05日 イイね!

ホワイトアウト。

ホワイトアウト。鉛筆 北の大地の2日目の夜。
 摩周の駅から宿へと向かう7kmの道のりの中、強風に煽られた宿の車はフラフラし、宿の人もここまでひどいのは年にそうそうないという位でした。
 宿に着き、離れのレストランで夕食を頂いて母屋に入ると強風による停電のおそれがあるので、すぐ入浴して欲しいとのこと。
 お風呂から上がると建物が揺れる程風が強くなっていました。

 ちなみにこの日の宿泊客は僕一人のみ・・・。
 まるで映画の「ミザリー」のような状況でした。


鉛筆 だが、本当に凄かったのはこの後。
 翌朝、朝食の準備ができたとのことで離れの食堂に向かおうと玄関のドアを開けた瞬間、突風で舞い上がったパウダースノーが吹き付け、息が出来ない上にコンタクトをした目が痛いのなんの・・・。
 外は思いっきり地吹雪が荒れ狂っていました。
 しかも視界はほぼ0mで真っ直ぐ伸ばした自分の二の腕から先がほとんど見えない!いわゆる「ホワイトアウト」状態。手にしたカメラのレンズの前玉には一瞬で氷の粒がビッシリ・・・。
 


 足下にはパウダースノー、視界は0m、外に出て数歩歩くと方向感覚が失われ、5m程の距離にある離れに行くのに約5分。
 「あぁ、山で死ぬ時ってのはこんな感じなんだ~」と思いましたわ。

 後で聞いたところだと、やはり年に数人は、こんな日に雪かきに出たまま自宅の近くで凍死する人がいるそうな・・・。
 実際、数日前にも夜の摩周湖に出かけた韓国人留学生が雪のために方向感覚を失って帰れなくなり、摩周湖畔の電話ボックスで震えながら蹲っているところを早朝、写真を撮りに来た地元カメラマンに保護される事件があったばかりだそうで、シャレになりません。
 

 まっ、レンタカーの軽だったらそもそも宿までたどり着けたかも怪しかったのですがあせあせ(飛び散る汗)

 ちなみに食事中も母屋からは僕の安否を確認する電話が何度か入ってきました・・・。


 30分後、食事を終えて戻ろうとしてまたびっくり。
 来る時はくるぶし程度だった雪が膝下位の高さまで積もっています。
 後で知ったのですが、この時点で全道の主要国道・在来線・特急・航空機はほぼ全滅状態でした。

 もちろん、この日僕が旭川へ向けて乗るはずだった釧網線は全区間ストップしており、また宿の外へ出ようにも除雪が入らなければ国道にも出れない状態の中、お昼はとうとう離れに行くこともできず、母屋でまかないのオムライスを頂くハメに・・・。
 午後、少し風が弱まったところで宿の方が雪かきをしてくれたおかげでどうにか敷地内へは出られるようになり、カメラを手に出たのですが気温氷点下20℃、平均風速27mのコンディションの中ではデジタルはシャッターが何度か落ちなくなるというエラーに見舞われましたげっそり
 おまけに牧場の中に足を踏み入れると、積もったばかりのパウダースノーの吹きだまりに腰の高さまで落ちてしまい、脱出するのに一苦労という有様。
 

 

 

 


結局、あまり遠出すると本当に埋まって帰ってこれなくなるような状態だったので、数カット撮り終え、ポジを一本使い切ったところで撮影終了。


鉛筆 当然、朝食後、旅行会社に旭川の宿と帰りの飛行機の振り替えを要請する電話を入れようと思ったのですが、携帯・・・、宿のほとんどの部分で圏外でした。
 なんとかアンテナが2本程度立つところを探して電話をかけますが、今度は全然繋がらない・・・f(^^;)
 結局、札幌の支店経由で連絡して貰い交渉したのですが、なんせ先方は暖房の効いた東京のオフィスにいる訳で、駅まで徒歩5分、電車は5分おき、旭川までせいぜい2~3時間もあれば簡単に行けると思ってらっしゃるもんだから、予定通り日曜日の旭川発の最終に乗ってくれの一点張り。

 旭川まで7時間超、始発電車に乗ったって羽田行きの最終(19:50)なんか間に合わねーよっ!
 ってか、そもそも除雪車が入らなければ駅までだって行けないっての!

 結局、こんこんとこちらの状況を説明してようやく振り替えて貰いました。
 でも、もう一晩、摩周で一人ぼっちで泊まる分は自腹でしたたらーっ(汗)


鉛筆 夜、日が暮れてから待望の除雪車が入り、風もさっきまでが嘘のように収まると、こんどは恐ろしいくらいの数の星が夜空を埋め尽くしていました。
 続く時は2~3日は今日のような天気が続くそうなので、1日で収まったのはラッキーだったようです。

 静まりかえった星空を試しに感度を上げて撮影した写真。高感度ノイズ軽減機能をオフにしたままだったのでちょっとノイジーなのはご愛敬f(^^;)
 
 

 

 


 -26℃を宿の温度計が示す中、北斗七星をターゲットに2時間露出にチャレンジしたのですが、デジタルの方は画像処理中に電池が切れてしまい、NXなどで調整をしてみたのですが、こんな悲しい結果になってしまいました。

 


 ちなみにF2は1.4の解放値で2時間露出だと真っ白になってしまいました。 

鉛筆 とににもかくにも、こうして北の大地の恐怖の36時間はこうして過ぎていったのでした・・・。
 5mの距離で命の危険を感じたのは僕の生涯でおそらくこれが初めてでしょう(笑)
Posted at 2009/03/05 01:27:30 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅の記憶。 | 旅行/地域
2009年03月03日 イイね!

網走番外地~吹雪の中の流氷の決斗~

網走番外地~吹雪の中の流氷の決斗~鉛筆北の大地2日目。
 早朝、目が覚めると生憎の空模様。二ツ岩の日の出を撮りに行こうと思っていましたが予定を変更。オーロラ号も昼前の便にしてゆっくり朝食を食べることに。
 その朝食ですが、夕食!?って思える位豪華でボリュームもあって美味しい
 しっかり食べた所で出発!


 改札を終えて船内に入ると、上の展望デッキではなく、あえて1階の水面に近いデッキに陣取って三脚をセット。ツインプレートでカメラを2台セットして出港に備えます。
 人なつっこいカモメの送迎を受けながらいざ出港♪

 


 やがて流氷エリアに進みます。まだ小さい固まりですが、それでも初めて見る僕には感動ものでした。
 

 
 状況次第で交換しようと300mmも持ち込んでいたのですが、船の上は予想以上に揺れる上、潮がかかるのでちょっと、無理あせあせ(飛び散る汗)
 せっかく流氷の上にオジロワシを見つけたのですが、やむなく最大望遠(200mm)で撮ってトリミングしました。
 

 


 こちらはオオワシかな?
 拡大するとペンギンのようにも見えますが・・・、まさか!?ね
 


 すれ違ったオーロラ号の上を鳥の列が飛んでいきます。
 

 間もなく帰港。
 お目当てのアザラシの赤ちゃんには会えませんでしたが、あっという間の1時間でしたわーい(嬉しい顔)
 

鉛筆 オーロラ号を降りると網走の街にも白い物が舞いはじめました。
 続いて、バスで「博物館・網走監獄」へと向かいます。
 5kmほど離れた山のなかにあるのですが、直通のバスが1時間に2本しかなく、結構不便です。
 ちなみに、途中「刑務所前」というバス停があり、パンフレットを持ったカップルが降りていきました。
 そこは本物の「網走刑務所」なのに・・・f(^^;)

 それはさておき、早速到着。
 


 駐車場の門を見下ろすように「高見張り」がそびえ立ちます。
 網走刑務所は昭和43年までは長期受刑者を収容する重警備刑務所だったので、4箇所にこのような高見張りが設置され、職員が2時間交代で見張っていたそうです。
 ちなみに高さは8mあるとか・・・f(^^;)
 


 駐車場から坂を登ると橋があります。通称「鏡橋」。
 「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」との思いがその名の由来とか。
 


 ここで見学前に腹ごしらえ。
 なんといっても名物は「監獄食(\500)」。現在の網走刑務所で実際に受刑者に配給されている食事を再現した物で、米7:麦3の割合でブレンドされたご飯と主食・副菜がセットになっています。
 主食のさんまは秋に採れた物を糠に漬けて保存しているそうで、脂がのって美味しかった~♪
 

 ちなみに、戦後の食糧難の時代、網走刑務所では、看守が配給を受けられず米を口にすることが出来ないで飢え死にしたケースもあったそうですが、受刑者にはきちんとこの食事を提供したそうです。
 まさに「罪を憎んで人を憎まず」!

 「最果ての監獄」として怖れられた網走監獄の正門。
 当時としても優れたデザインのこの門は、受刑者が焼いたレンガを用いています。重厚で威圧感があり、門の内側には看守詰所と接見待合室があります。
 

 

 

 


 さて、意外だったのが旧網走区裁判所。
 昭和27年まで実際に使われていた庁舎を移築したものですが、驚いたのは網走管区の重大事件の被疑者はここで取り調べを受け、そのまま起訴され、判決を受けるとベルトコンベアのように隣の網走刑務所に収監されたそうです。
 戦前の刑事裁判はそれなりに近代化されており(ちなみに陪審制もあった)、機能していたのですが、現在に比べるとまだまだ不十分な制度だったんだなということを改めて実感。
 

 中には昔の六法全書とか裁判官の法衣が展示してあるほか、普段絶対撮影できない法廷(実際に使われていたもの)が再現されており、勉強になりました。
 

 こちらは明治45年に建てられた旧庁舎。一見洋風に見えますが、よく見ると千鳥破風の屋根など和洋折衷の建築になっています。
 中には所長室や面会室がありますが、昭和の香り漂う再現人形がビミョーでした(笑)
 

 受刑者が開拓や農作業等のために外に出るために使ったのがこの通用門。
 こちらも京都の南禅寺を思わせるレンガ作りのアーチが風情ありました。
 
 
 さて、網走監獄はそもそも明治23年、帝政ロシアの南下政策に備え、開墾すべく戊辰戦争や西南戦争の反政府軍の人々を労働力として使う目的で作られた刑務所でした。
 そのため、収監者は2人一組で鎖に鉄の玉を付けた重しを足に付けられて道路建設などの重労働に使役されました。
 その当時は殆ど生きて出所する人はなく、帝国議会でも「罪人といえど二重に罰を科せられるのはおかしい」と問題になるほどだったとか。
 その外で作業する際、現地で丸太小屋を作り仮の宿泊所を作ったそうです。
 ちなみにこの耕転庫とか休泊所と呼ばれる小屋が後に飯場などの「タコ部屋」のモデルとなります。
 

 こちらの休泊所の見張りの再現人形は某大臣のように眠そうな顔をしてましたぞい!
 


 旧網走刑務所職員官舎。
 

 二見ヶ岡農場を設置し、刑務所内での自給自足が可能だった網走刑務所では醤油や漬け物を作る小屋や炭焼き小屋までありました。
 特に「沢庵」は絶品だったそうです。
 

 


 これがその二見ヶ岡農場(冬期閉鎖)。物的人的な警備に代えて受刑者自身の責任と自立行動を促すという開放的処遇施設として厚生復帰に重要な役割を果たしました。
 



 雪が激しくなる中、メインの五翼放射状平屋舎房へと向かいます。
 

 

 実はここがメインなのですが、バスの時間が迫っておりゆっくり見れませんでしたf(^^;)
 

 実際に明治45年から昭和59年まで使われていた建物で、中央見張りを中心に5本の翼を放射状に広げたようになっているため、五翼放射状舎房と呼ばれ、少人数でも監視しやすいこの建築様式はベルギーのルーヴァン監獄を模したものと言われています。
 

 雑居房の廊下側の壁は、「斜め格子」で等間隔に「スキ間」を置きながら作られているため(ブラインド方式)、廊下側からは部屋の中は見えますが、部屋の中からは廊下をはさんで向かい側の中は互いに見えないように作られており、当時としては斬新で画期的な建築手法でした(今も病院などではこの建築手法が用いられている)。
 

 

 

 

 ちなみに最後の褌一丁の再現人形は「たむらけんじ」ではなく、「昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄の脱獄シーンだそうです。



 この建物は浴場。看守の号令の下、脱衣→入浴→着衣まで15分で完了したそうです。
 当時は夏期は月5回、他の季節は月1回だったそうですが、現在の刑務所では年間117日だそう。
 

 


 規則を守らなかった受刑者が入れられた「懲罰房」。
 

 

 


 監獄教誨師の下で犯した罪を反省させ、更正への道を諭し導く役割を担ったのが「教誨堂」。
 

 中には祭壇が置かれ、施設の中でもっとも慎重丁寧に建てられたそうです。受刑者のレクリエーションにも使われました。
 


 結局「流氷博物館」に足を伸ばすどころか網走監獄も駆け足で回り慌ててバスでホテルに荷物を取りに帰り、1日4本の電車に・・・。
 途中、知床斜里のあたりから雪と風が強くなり、吹雪となりました。
 

 

 

 でも、写真は撮れなかったけど途中の海岸線はいかにも北の冬の海って感じでよかったです♪
 こんどはゆっくり回りたいですね。

 ちなみに宿に着く頃はこんな感じでした。
 


 そして、その晩から雪と風は一層強さを増していった訳で・・・。
Posted at 2009/03/03 22:19:59 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅の記憶。 | 旅行/地域
2009年03月02日 イイね!

白き北の大地へ!

白き北の大地へ!鉛筆 先週の月曜日の夜、予定より1日遅れで北海道から帰宅しました。
 北の大地では多くの動物達の出会い、そこに住む人々の生活に触れ、時には自然の猛威の前に命の危険を感じる程の貴重な体験をしてきました。

 ようやく画像の整理も出来たので、ボチボチと・・・。

鉛筆 さて、時は遡り2月19日。前日残業を終えて戻った僕は、出発の準備の途中で寝てしまい、慌てて起きて荷物をまとめて出発1時間前に何とか羽田に到着。

 12:15発のADO73便でいざ北の大地へ!
 
 座席は最前列の真ん中、フライト中のほとんどでCAさんが見える位置でした♪
 上空はキレイに晴れていましたが、気流が荒れていたようで結構揺れました。

 

 仙台を過ぎたあたりから、山の上が白く染まっているのがハッキリ見えます。
 
 

 やがて、眼下には白い大地が!

 

 定刻よりちょっと遅れて-6℃の女満別空港に到着です♪

鉛筆 さて、予定ではここで「博物館・網走監獄」を見学に行く予定でしたが、タクシーで行くかバスで途中まで行ってそこから1時間ほど山を登るとのことで今日は断念
 明日、オーロラ号に乗った後、ゆっくり流氷博物館とあわせて行くことに決定。

 とりあえず宿にチェックインして、網走港まで市内散歩。
 といっても、気付いたら何気に日没前です
 さっきまで綺麗に見えていた斜里連山がいつの間にか見えなくなっていました。
 



 港には小さい流氷が接岸していました。
 明日のオーロラ号は期待できそうです♪
 


 それにしても、これで今年は暖かいとは・・・。

 

 サンセットクルーズから戻ってきたオーロラ号のカットを押さえた所で一度ホテルに戻ります。

 

 


 こちらは生のクリオネ君。道の駅に展示してありました。
 



鉛筆 お昼を食べていなかったので、ホテルのラウンジで地元料理の「ザンギ丼」を食べました。
 本当は地元のお寿司屋さんで食べたかったのですが、給料日前日でやむを得ず・・・。

 

 ちなみに、この「ザンギ丼」とは網走産のオホーツクサーモン(カラフトマス)を天然の白魚醤油に漬け込んで揚げた「網走ザンギ」を北海道産のご飯にのせた丼のことで、網走産の長芋と山わさびを丼にかけて食べます。

 結構あっさりしていて美味しかったうれしい顔


鉛筆 さて、お腹も一杯になったところで、夜景撮影に。
 空港を降りた時は思ったより寒くないな(というかむしろ暑かった)、という感想でしたが、日没後は一気に冷え込み、道路もツルツルでした。
 そのツルツルの道路をホテルから10分程、山道を歩いた所に「向陽ヶ丘」という高台があり、網走の夜景が一望出来ると聞いて行ってみました。
 実際に行ってみると普通の住宅街な上、木がどうしてもアングルに入ってしまい、なかなかベストポジションが見つかりません。
 結局、頂上からやや下がった所で撮影しました。

 


 帰り道、夜空を見上げると手を伸ばせば届くぐらい沢山の星がくっきりと

 ちょっと不完全燃焼だけど、初日としてはまずまずといったところでした。
  


 しかしこの後、未曾有(×みぞゆう ○みぞう)の危機に見舞われるとはこの時、知る由もなかったのだ・・・。
Posted at 2009/03/02 23:15:29 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旅の記憶。 | 旅行/地域
2009年02月10日 イイね!

書を捨てよ。Nikonを持って旅に出よう。~菜の花と桜咲く鎌倉・逗子へ~

書を捨てよ。Nikonを持って旅に出よう。~菜の花と桜咲く鎌倉・逗子へ~鉛筆 ←ってな感じで思わずウトウトしたくなるような今週の日曜日、デジタルNikonとGitzoという軽装でロケハンに行ってきました♪

 まずは鎌倉駅で下車し(←定期があると便利♪)、若宮通りを南へ材木座方面に進みます。
 材木座の「座」というのは中世の同業者組合をいいますが、おそらく鎌倉時代、このあたりは和賀江島から水揚げされた材木取引で賑わっていたのでしょう。
 現在でも、材木座から小町にかけて何軒かの大きな材木屋がありますが、おそらく昔から続いているのでしょう。


 材木座のバス通りを進み「九品寺」へ。
 材木座周辺は鎌倉幕府滅亡の際、東勝寺に立て籠もった北条軍と稲村ガ崎を突破した新田義貞軍との間で最後の激しい戦闘があった所で、北条方の抵抗がいかに激しいものであったかは、近年、「若宮ハイツ」というマンションを建設する際、工事予定地よりおびただしい数の人馬の骨が出土したことからも想像がつきます。
 九品寺はその北条方の戦死者の菩提を弔うため新田義貞が創建したと言われ、阿弥陀三尊を本尊とする神奈川県の重要文化財のお寺です。

 ちなみに余談ですが、材木座に「乱橋(みだればし)」という小さな橋の跡があり、かつては「乱橋材木座」という字もありましたが、これは北条軍が力尽きこの橋付近で壊走したことに由来する地名と言われています。

 九品寺の三門。
 

 本堂もこじんまりとしたお寺ですが、地元のお年寄りとおぼしき方が入れ替わり現れては手を合わせていました。今も地域の拠り所となっているのでしょうね。
 


 本堂前には梅が見事に咲いていました。
 

 



鉛筆 九品寺を後にして「光明寺」を目指します。
 国道134号線を稲村ガ崎方面から逗子方面に向かう途中、坂ノ下というあたりで海岸を挟んで対岸に大きな屋根がみえますが、その大きな屋根のお寺です。

 材木座周辺にはレトロな感じのお店が多く残っています。
 このバーバーもその一つ(ちなみに隣は「薊(あざみ)」という地元の人に人気のラーメン店です)。
 


 海が近いので途中の路地からは湘南らしい光景が広がります。
 

 

 

鉛筆 「光明寺」へ。
 鎌倉幕府4代執権・北条経時が創建したと言われる浄土宗の総本山です。
 一際目を引く三門は鶴岡八幡宮から移築したものと言われています。

 

 

 

 江戸時代、徳川家康が浄土宗の学問所として18のお寺を「関東十八檀林」と定めますが、光明寺はその筆頭だっただけあり、本堂も立派です。元禄時代に建てられ、関東大震災でもほとんど被害を受けることなく現在に至っています。

  

 で、とにかく猫が多い・・・。

 

 

 トップの猫なんだけど、爆睡中
 尻尾を触ると、「やめろよぉ~!」みたいに寝たまま尻尾だけフリフリするのが可愛かったです♪
 

 


鉛筆 光明寺を後にして国道134号線を超えると逗子市です。
 

 


 いつ来ても「夏・夏・夏・夏、ココナ~ツ♪」って感じの逗子マリーナ周辺
 

 小坪漁港では漁から戻った海の男が仕事後の一服中。
 


 かつてマリーナに住んでいた祖父に連れられて歩いた秘密の散歩道から見える光景。
 道は狭くて急ですが、マリーナから江の島、富士山まで一望できます♪
 

 


 ようやく披露山の頂上に到着♪
 スイセンの花が出迎えてくれました
 


 超が付く高級住宅地の中にある披露山公園には展望台と小さな動物園のような施設があり、ウコッケイなどの鳥やお猿さんがいます。
 逗子方面から車やバスで来れることもあり家族連れで賑わっていました。

 「おっ猿さ~んだよぉ~♪」
 


 展望スペースから見た葉山・横須賀方面の様子。
 葉山マリーナ周辺でヨットの大会が開かれていたようです。
 

 こちらは鎌倉側。
 



鉛筆 そして、最終目的地の大崎公園へ。
 やはり気候が暖かいせいか公園内には菜の花や河津桜が咲いていました。
 

 


 日没まで時間があったので裕次郎灯台周辺の熱い洋上のバトルをしばし観戦♪
 


 江の島の真後ろに富士山が見えるこの公園は結構有名な撮影スポット。
 日没にあわせて三脚を担いだアマチュアカメラマンが多数集結!
 お互い情報交換をしながらサンセットの瞬間を待ちますが、雲が思ったより抜けず、僕は早々と撤収し、マリーナのサンセットへシフト。
 

 


 急な坂道を駆け下り、小坪漁港で1カット撮り終え、マリーナを抜ける所で江の島方面を見ると富士山の上の雲は丁度抜けて日が沈む直前でした
 ラッキー♪ 
 

 


 鎌倉市内に戻る頃にはもうすっかり闇。
 最後は「美味しい」と評判の駅改札内にある「大船軒(←鯵の押し寿司作っている会社ね)」の立ち食い蕎麦で暖かい饂飩で体を温めて帰ってきました。
 

 


 饂飩と飲み物代を除けば交通費も拝観料も無し!
 タダで一日遊べる鎌倉観光コースでした
Posted at 2009/02/10 20:01:41 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「北の大地の次は・・・。南の島 !?」
何シテル?   03/07 01:15
 D80とF2フォトミック、ニコマートFtnで鎌倉を中心とした湘南の風景や横浜の夜景、旅先での風景を撮っています。  カメラに興味を持ったのは最近のことで...
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