

北の大地2日目。
早朝、目が覚めると生憎の空模様。二ツ岩の日の出を撮りに行こうと思っていましたが予定を変更。オーロラ号も昼前の便にしてゆっくり朝食を食べることに。
その朝食ですが、夕食!?って思える位豪華でボリュームもあって美味しい
しっかり食べた所で出発!
改札を終えて船内に入ると、上の展望デッキではなく、あえて1階の水面に近いデッキに陣取って三脚をセット。ツインプレートでカメラを2台セットして出港に備えます。
人なつっこいカモメの送迎を受けながらいざ出港♪
やがて流氷エリアに進みます。まだ小さい固まりですが、それでも初めて見る僕には感動ものでした。

状況次第で交換しようと300mmも持ち込んでいたのですが、船の上は予想以上に揺れる上、潮がかかるのでちょっと、無理
せっかく流氷の上にオジロワシを見つけたのですが、やむなく最大望遠(200mm)で撮ってトリミングしました。
こちらはオオワシかな?
拡大するとペンギンのようにも見えますが・・・、まさか!?ね
すれ違ったオーロラ号の上を鳥の列が飛んでいきます。
間もなく帰港。
お目当てのアザラシの赤ちゃんには会えませんでしたが、あっという間の1時間でした

オーロラ号を降りると網走の街にも白い物が舞いはじめました。
続いて、バスで「博物館・網走監獄」へと向かいます。
5kmほど離れた山のなかにあるのですが、直通のバスが1時間に2本しかなく、結構不便です。
ちなみに、途中「刑務所前」というバス停があり、パンフレットを持ったカップルが降りていきました。
そこは本物の「網走刑務所」なのに・・・f(^^;)
それはさておき、早速到着。
駐車場の門を見下ろすように「高見張り」がそびえ立ちます。
網走刑務所は昭和43年までは長期受刑者を収容する重警備刑務所だったので、4箇所にこのような高見張りが設置され、職員が2時間交代で見張っていたそうです。
ちなみに高さは8mあるとか・・・f(^^;)
駐車場から坂を登ると橋があります。通称「鏡橋」。
「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」との思いがその名の由来とか。
ここで見学前に腹ごしらえ。
なんといっても名物は「監獄食(\500)」。現在の網走刑務所で実際に受刑者に配給されている食事を再現した物で、米7:麦3の割合でブレンドされたご飯と主食・副菜がセットになっています。
主食のさんまは秋に採れた物を糠に漬けて保存しているそうで、脂がのって美味しかった~♪
ちなみに、戦後の食糧難の時代、網走刑務所では、看守が配給を受けられず米を口にすることが出来ないで飢え死にしたケースもあったそうですが、受刑者にはきちんとこの食事を提供したそうです。
まさに「罪を憎んで人を憎まず」!
「最果ての監獄」として怖れられた網走監獄の正門。
当時としても優れたデザインのこの門は、受刑者が焼いたレンガを用いています。重厚で威圧感があり、門の内側には看守詰所と接見待合室があります。
さて、意外だったのが旧網走区裁判所。
昭和27年まで実際に使われていた庁舎を移築したものですが、驚いたのは網走管区の重大事件の被疑者はここで取り調べを受け、そのまま起訴され、判決を受けるとベルトコンベアのように隣の網走刑務所に収監されたそうです。
戦前の刑事裁判はそれなりに近代化されており(ちなみに陪審制もあった)、機能していたのですが、現在に比べるとまだまだ不十分な制度だったんだなということを改めて実感。
中には昔の六法全書とか裁判官の法衣が展示してあるほか、普段絶対撮影できない法廷(実際に使われていたもの)が再現されており、勉強になりました。
こちらは明治45年に建てられた旧庁舎。一見洋風に見えますが、よく見ると千鳥破風の屋根など和洋折衷の建築になっています。
中には所長室や面会室がありますが、昭和の香り漂う再現人形がビミョーでした(笑)
受刑者が開拓や農作業等のために外に出るために使ったのがこの通用門。
こちらも京都の南禅寺を思わせるレンガ作りのアーチが風情ありました。

さて、網走監獄はそもそも明治23年、帝政ロシアの南下政策に備え、開墾すべく戊辰戦争や西南戦争の反政府軍の人々を労働力として使う目的で作られた刑務所でした。
そのため、収監者は2人一組で鎖に鉄の玉を付けた重しを足に付けられて道路建設などの重労働に使役されました。
その当時は殆ど生きて出所する人はなく、帝国議会でも「罪人といえど二重に罰を科せられるのはおかしい」と問題になるほどだったとか。
その外で作業する際、現地で丸太小屋を作り仮の宿泊所を作ったそうです。
ちなみにこの耕転庫とか休泊所と呼ばれる小屋が後に飯場などの「タコ部屋」のモデルとなります。
こちらの休泊所の見張りの再現人形は某大臣のように眠そうな顔をしてましたぞい!
旧網走刑務所職員官舎。
二見ヶ岡農場を設置し、刑務所内での自給自足が可能だった網走刑務所では醤油や漬け物を作る小屋や炭焼き小屋までありました。
特に「沢庵」は絶品だったそうです。
これがその二見ヶ岡農場(冬期閉鎖)。物的人的な警備に代えて受刑者自身の責任と自立行動を促すという開放的処遇施設として厚生復帰に重要な役割を果たしました。
雪が激しくなる中、メインの五翼放射状平屋舎房へと向かいます。
実はここがメインなのですが、バスの時間が迫っておりゆっくり見れませんでしたf(^^;)
実際に明治45年から昭和59年まで使われていた建物で、中央見張りを中心に5本の翼を放射状に広げたようになっているため、五翼放射状舎房と呼ばれ、少人数でも監視しやすいこの建築様式はベルギーのルーヴァン監獄を模したものと言われています。
雑居房の廊下側の壁は、「斜め格子」で等間隔に「スキ間」を置きながら作られているため(ブラインド方式)、廊下側からは部屋の中は見えますが、部屋の中からは廊下をはさんで向かい側の中は互いに見えないように作られており、当時としては斬新で画期的な建築手法でした(今も病院などではこの建築手法が用いられている)。
ちなみに最後の褌一丁の再現人形は「たむらけんじ」ではなく、「昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄の脱獄シーンだそうです。
この建物は浴場。看守の号令の下、脱衣→入浴→着衣まで15分で完了したそうです。
当時は夏期は月5回、他の季節は月1回だったそうですが、現在の刑務所では年間117日だそう。
規則を守らなかった受刑者が入れられた「懲罰房」。
監獄教誨師の下で犯した罪を反省させ、更正への道を諭し導く役割を担ったのが「教誨堂」。
中には祭壇が置かれ、施設の中でもっとも慎重丁寧に建てられたそうです。受刑者のレクリエーションにも使われました。
結局「流氷博物館」に足を伸ばすどころか網走監獄も駆け足で回り慌ててバスでホテルに荷物を取りに帰り、1日4本の電車に・・・。
途中、知床斜里のあたりから雪と風が強くなり、吹雪となりました。
でも、写真は撮れなかったけど途中の海岸線はいかにも北の冬の海って感じでよかったです♪
こんどはゆっくり回りたいですね。
ちなみに宿に着く頃はこんな感じでした。
そして、その晩から雪と風は一層強さを増していった訳で・・・。