2007年12月01日
ちょっと腹立ったので・・・
昨日のテレビ東京のワールドビジネスサテライトで原油価格の高騰とガソリン高のことについて特集してました
・原油が高騰しガソリンが高くなり、消費者も困っている
・特に運送業界が厳しく倒産する会社も相次ぎ、苦境に追い込まれている
・来年に期限が切れる暫定税率の見直しが必要である
って内容のVTRでした
道路財源として国交省の人は10年で65兆円の予算が必要だって言ってましたが(ほんとにそんなにいるの?)
で解説者がこのVTRが終わったあとに言った言葉が、
”暫定税率の期限が切れたあとは一般財源化するべきである”→つまりガソリンの値段を下げるべきではない
”この環境保護の時代にガソリンが高いほど車に乗らなくなるから、環境に優しい”って理由で!
最初の発言の段階で、”自民党なのか?”って発言ですが、次の理由にいたってはまったく”経済ニュース”の解説者とは思えません!!
”木を見て森を見ず”とはまさにこの人のことのような気がします
今考えなければならないことは
・環境問題(確かにそのとおりです)
・国民生活の安定化(物価高騰、運輸業界等含む)
・国の借金の返済
でしょう?
揮発油税の暫定税率の分を一般財源化して、燃料の価格がまだまだ高騰するようであれば、
・輸送費の高騰→物価の上昇→消費の低迷
・輸送会社の倒産
このような負のスパイラルが止まらないことでしょう
例えば、”輸送会社に対する暫定税率は見直すと輸送コストの削減になり物価上昇にいい影響が出るが、ガソリンの暫定税率は一般財源に”とかって発言なら、フムフムって思うかもしれない(オイラはもちろんガソリンのほうも撤廃希望ですが:笑)ですが、この人の発言は”運送会社はつぶれてください。国民の物価は上昇してください”って発言に聞こえます
ほんとに経済の解説をする人でしょうか?
物価の上昇にいたっては、上がってるのは生活必需品ですよ?北海道では暖房たかないと死んでしまいますよ?ちゃんとわかって言ってますか?
財源増やしたいなら、生活必需品の物価上昇を安定化させて、嗜好品の税率上げるとかすればいいのに・・・
結局、国に財源を与えても垂れ流して使って借金を重ねているだけですから、揮発油税の暫定税率を一般財源にしても、増税して財源増やしても無駄なような気はしますが・・・
国がしなければならないことは、自営業者的な見方だと
・無駄な支出は減らす
・借金を返す
・売り上げを伸ばす(消費の拡大を図る)
でしょ?
でも今、国がやってることは結局
・無駄な支出を繰り返す
・借金を繰り返す
・売り上げを落とす
ってことなのでその辺をもっと突っ込んでくれないと、解説者としてだめなんじゃないっすか?
ほんとに自民党の関係の人なんだろうか?
だらだらと書きましたが、個人的(親類に運送関係者のいる)な意見ですのであまり気にしないでください
Posted at 2007/12/01 11:56:49 | |
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生活-重っ! | 日記
2007年07月14日
今日はちょっとまじめなブログ(爆
最近異常気象が頻発して、地球温暖化の影響だから何とかしなきゃ!ってニュースや記事を見て感じたこと・・・
って何でこんなことを書こうかと思ったかというと、一番の理由はネット上で”スポーツカー絶滅!”とかって言ってる人たちが、”ハイブリット万歳”みたいなことを言ってるのを目にしたからなんですが(笑
まず、スポーツカー好きのオイラが”エゴイスト”なことはもちろん認めます。さらに、上のような地球温暖化を何とかするには”スポーツカー絶滅!”って考える人がいてもおかしくないのも認めます。ただ”ハイブリット万歳”ってのはちょっと納得できないですね。
地球温暖化ってのは地中に埋まっている”化石燃料(違うかもって言われ始めてますが)”を燃やすことによって生じるCO2が温室効果をもたらすと言われています。”先進国の現代人”が生活するうえで、これらの燃焼なしにどんな生活も成り立たない世界が形成されています。じっさい車に限らずともCO2の発生は起こっているわけでスポーツカーがなくなってもCO2が増えることに変わりはありません。
では今エコカーと言われてるハイブリットや電気自動車はCO2を増やさないのでしょうか?答えは否です。
電気自動車はガソリン内燃機関よりも、化石燃料を燃焼してエネルギーに変える効率がいいだけでそれでも燃料の40%しかエネルギー効率がなかったはずです。つまり世界中の全ての車が電気自動車になったとしても地球の寿命を3倍に延ばしてあげることすら出来ません。
ハイブリットは通常のガソリン車よりもCO2の排出量が少ないだけで、CO2を排出することに変わりはありません。さらに某大手(世界一)の自動車メーカーにいたってはハイブリットがエコNO1のようにバンバンハイブリットカーを出していますが、4Lや5Lの排気量の車やミニバンに搭載してリッター3kmの距離が5kmになったって、燃費のいい軽自動車の25kmとかにかなうはずがありません。ただステータスで環境にいい気持ちになっているだけです。環境問題を考えるのであればはじめからもっと燃費のいい車に乗ることをお勧めします。
ではバイオエタノールはどうでしょう。これは植物を原料として作られるエタノールですので、その植物がCO2をO2に光合成した分のCO2しか放出しません。ですのでCO2イコールの環境が作れます。
ただどの燃料にしても開発の際にCO2を排出しますので、開発の段階のCO2も考えなければなりません。
つまり世界中の全ての車がバイオエタノール100車になったとしてもCO2の温室効果はなくならないので、現在の異常気象はおさまりません。
ですが現状では最高水準の技術ではないかと思います。
環境保全先進国のスウェーデンでは下水からの糞尿を用いてバイオガスを生成して、バスなどに導入しているようです。これも現時点では素晴しい取り組みですよね。
最近ではCO2排出権ビジネスなんてのも出来てきてるようですが、何でもビジネスに結びつけるのはどうかと思いますが・・・。
次世代燃料(発動機)の最終的な目標はCO2をO2に光合成のように変換できるってとこになるのでしょう。全世界でのCO2の排出量が全世界の森林の処理できる量を下回るか、CO2をO2変換できる技術が進歩しない限り、異常気象は収まるどころか最終的には地球の滅亡ってところまで考えなければならないですよね。
だらだら書きましたがハイブリットはエコ技術でもなんでもなくただ極わずかに地球の未来を”先送り”する技術です。全世界の車がハイブリット車になったとしてもそれほど地球の未来は変わりません。スポーツカーが嫌いな方は上記を理解したうえで撲滅を唱えてください。まったく否定はしませんので。
結局、全人類(特に先進国といわれる国)一人一人の意識改革が必要なのと、企業が利潤を求めるだけでなく環境問題に取り組まなければならないっすね。
最後に、エゴイストなオイラ(達?)が行き着く先は、現代の技術水準であればバイオエタノールのエキシージ(爆)ってことになるでしょうか(核爆
次世代燃料(発動機)がCO2をO2に変換できることを祈りつつ(笑
駄文にお付き合いありがとうございます。
PS.オイラのブログ見てる人にスポーツカー嫌いな人はいないと思いますが(核爆
Posted at 2007/07/14 18:13:03 | |
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生活-重っ! | 日記
2006年12月21日
最近いじめ自殺の問題があって、うちのムスメさんも来年小学校なので、教育ってテーマ最近考えさせられます。
表記の通りなんですが、学校って何を勉強するところなんでしょう?
多分ここを間違っている”親”や”教育関係者”そして”国”によって現在の社会自体がゆがんできているように思います
まずはおいらの考える結論から
小・中学校の義務教育は”社会生活・集団生活を学ぶ場所”と考えています
国語・数学・理科・社会・英語これを教えること自体にそんなに意味はないと思っています。
正直、義務教育程度なら学校じゃなくオイラでも教えられます(学生時代は塾講してました)。
じゃあ何で教育するんでしょう?そこに付随するところが重要だとオイラは考えています。”宿題忘れちゃ駄目だよ””遅刻しちゃ駄目だよ””人のもの取っちゃだめだよ””カンニングしちゃ駄目だよ””人のこと叩いたら駄目だよ””人とあったら挨拶しようね”こういうのって自宅で閉鎖された人間関係では教えられないことなんですね。だから集団生活の中で学ばせていく・・・そこに家庭内で上記のことも含めて”がまんすること”や”努力すること””うそはつかない”という風に教えていくのが当たり前だとおもいます。
現代社会は、これを”親”や”教育関係者”が忘れ”さらに”国(社会)”がを求めていない状況だと思っています。
つまり、”親”や”教育関係者”にとって国語・数学・理科・社会・英語で”いい点を取ること=正義”で、そういう人間を社会が求めている。受験テクニックだけ教えていて、まともな社会生活のできる人間が育つわけがありません。
”ニート””いじめ””少年犯罪”ひいては”分別あるはずのいい大人の犯罪”の根幹はここにあるのではないかと思っています。さらには今現在、日本を動かしている官僚の人たちってこういう受験テクニックを培って育ってきた人たちですよね?日本も経済危機に陥るのも納得です(笑)
やはり核家族になる前の大家族の時、おじいちゃんおばあちゃんから教わることってとっても大事ですね。受験テクニックを身につけさせたかったら塾にでも予備校にでも通わせてください。それが子供本人の意思であるのならまったくもって問題ありません。義務教育は子供本人の意思で行くところではなく(義務ではないですよ)教育をうける”権利”で行くところです。社会に出る最低限のルールを学ばせること、これは”家庭””学校””社会”が協力していかなければならないことだともいます。
ちなみにオイラは別に”行きたくないのなら”高校だって行かなくていいと思ってます。社会にでるルールを学んで、自分のやるべき道を見つけれるなら別に必要ないと思ってますので
うちでは”家庭”の部分しかできませんが、ちゃんと育ってくれたらなぁと思いつつ努力します(笑
だらだら書いたので言いたいことが伝わったかどうか・・・やっぱいつもみたいな軽いのじゃないとだめだなぁ(核爆
Posted at 2006/12/21 12:51:35 | |
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生活-重っ! | 日記