終戦の日。。。。
みん友さん巡りをしていて、、、気になった記事があった。。。
リンク貼ろうかとも思ったけど。。。勝手には貼れないね(;´д`)
こんな近くに。。。こんなものがあったんだ。。。
週末の早朝、デジイチ担いで行ってみた。
時間にして。。。20分くらいかな?ここまで。。。
Googleでは~公園って書いてあったけど。。。公園らしきものはない。
○○工業地帯の真ん中にあるらしいってところまでは突き止めたんだけど
何度も何度も同じ所を走って。。。
ここ何回か通りましたよね。。。ってところにポツンとあった。
ここは。。。旧海軍香取航空基地
ネットから拝借(*・人・*)
地図で旭市の鎌数工業団地のあたりを見ると巨大な×印が描かれている。これぞ、旧海軍香取航空基地の滑走路跡だ。長さ約1.3kmの滑走路が2本クロスして建設されている。現在、一部はある企業のテストコースにされているようだが、その他はフェンス等によって厳重に囲まれていて内部を伺い知ることはできない。
この香取航空基地は日中戦争真っ直中の昭和13年に建設が始まり、昭和18年9月に完成している。どのような部隊がこの基地に配備されていたのかは不明だが、昭和19年にはこの基地よりサイパン・テニアン・グアム方面へ戦闘機・陸上攻撃機等が出撃している。太平洋戦争末期にはこの基地より「神風特別攻撃隊・第二御楯隊」が出撃した。村上大尉を隊長とする第二御楯隊は昭和20年2月20日、零戦・彗星・天山32機、搭乗員60名をもって香取基地を出撃し、硫黄島近海に遊弋する米機動艦隊に体当たりを敢行した。空母ビスマルクシー撃沈、空母サラトガ大破という立派な戦果をあげている。
写真は滑走路近くの公園にある慰霊碑で、特攻隊員、その他の戦死者、空襲に没した市民の霊を祀っている。
( -.-) =зフウー
知らなかった。。。知らなかった。
で、よくぞ残った!!
公園のそばが滑走路だったっていうけど、地上からじゃ分からなかった。
当時の日本軍は、陸軍と海軍の2つ。
ん?空軍は?と思うでしょ。
空軍っていうカテゴリーはなく、陸軍航空隊、海軍航空隊とそれぞれが空軍を持ってたんだ。
これは、生前じいさんがよく言ってた。。。
だから、徴兵検査のときに、「身体がいい」←じいさんの言葉そのまま と航空隊に配属されたとか。。。
うちのじいさんは志願兵だった。自分では航空隊に行くだろうなって思ってたそうだ。
当時の人にしては高い身長と、いい身体をしてた←骨格がしっかりしてた
きっとあたし遺伝してる(笑)
で、身体検査の時にいきなり右肩を叩かれた。
「○○、おまえ右耳が聞こえんのか!」
しまったぁぁぁぁ!!!
じいさんは小さい頃から耳がかたっぽ聞こえなかった。
でも、そんなのずっと慣れっこだったし。。。いつもなら気配で聞こえるふりをして
そして。。。誰からも気づかれなかったのに。。。
じいさんは、これが自分の生死をわけた瞬間だったってずっと言ってた。
耳がかたっぽ聞こえなかったから、飛行機乗りにはならなかった。
いや。。。なれなかった
それこそ、耳にたこができるくらい聞かされた話。
小さい頃のあたしは、その話を聞いて
「じいさん、良かったね!生きて帰ってこれて」と思ったが
じいさんは、飛行機乗りになりたかったのかもしれないと最近思う。。。
で、そんなことを考えながら。。。
ヤツはいた。。。ひっそりと。。。
草ぼうぼうのなか。。。。
この夏、いったいどのくらいの人がここに訪れたんだろう?
これはゼロ戦ではない。
ゼロ戦にそっくりはこの機体は、戦争映画でゼロ戦の代役に使われるという。
そして。。。ここでも代役
もう、この車輪で地面を駆けることもない。
そして。。。
ずっとフェンスの中
もう少し、行政も草刈りしたり整備すればいいのに。。。
貴重な戦跡。
ここから特攻も飛んだらしい。
いろんなことを考えた香取航空基地でした。。。
※ 写真は珍しくデジイチ
EOS Kiss X6i 間違いなくオート(笑)
Posted at 2013/08/20 05:09:19 | |
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