道路沿いの家の庭に薄いピンク色の花がたくさん咲いていた。
ヒルガオだ。
ヒルガオはアサガオと違ってたいがいは植えたものではなく、勝手に生えたものだ。顔に似合わず図太い。地下の茎を延ばして、みるみる増える雑草だ。
その家のヒルガオも、庭に敷き詰められた砂利の間からニョキニョキと顔を出し花を咲かせていた。
他の雑草たちは隅の方の土の部分に遠慮がちに生えていて、砂利の部分は一面にヒルガオが独占していた。
最初にヒルガオを見た日、私はギョッとした。
気になって毎日通ってみるのだが、来る日も来る日もヒルガオは我が物顔で庭一面に咲き誇っている。恨めしいような、憎らしいような気持ちで眺めた。
早く枯れてしまえ、と。
ヒルガオをみつけてから半月ほど過ぎたある日。
ヒルガオは踏みつぶされていた。
クルマが乗り入れたと思われる砂利に残る浅い轍。その2本の線に沿ってヒルガオはぺしゃんこになっていた。
轍の周りもこちらは人が歩いた感じでまばらに踏み倒されていた。
ほっとした。
「よかった…」
踏み潰されたヒルガオの庭。
数年前、私はこの家に仕事でお邪魔していた。その時の仕事は訪問入浴ヘルパー。介護職だ。浴槽を積んだ車で訪問し、寝たきりのお年寄りにお風呂に入ってもらうというもの。
この家のおじいちゃんは「お風呂屋さん」が来るのをそれは楽しみにしていてくれた。奥さんと二人暮らし…おばあちゃんが小さな身体でたった一人で介護をしていた。私たちが行くと二人とも本当に嬉しそうに笑ってくれた。
一度訪問入浴を利用するようになった人は、元気になってまた自力でお風呂に入れるようになるということはほとんどない。だから、訪問入浴が要らなくなるというのは、大抵いいことではない。
いつも入浴車が乗り付けていたお庭に一面に咲いたヒルガオ。それはお二人の身の上に起きたよくない報せのように、私の目には映っていたのだった。
以前より状態が悪くなって入院してしまった?
おばあちゃんが身体を壊して、おじいちゃんは施設へ?
あるいは… 、 と。
本当によかった。
ピンクの小さな花たちが無残に倒れているのを、かわいそうに思わないわけではないけれど。
踏み潰されたヒルガオは、また「お風呂屋さん」がおじゃましてる証拠。おじいちゃんとおばあちゃんが元気でいる証拠。
おじいちゃん。おばあちゃん。
「お風呂屋さん」ではなくなってしまったけど、私も元気で頑張ってるよ。お家の前を通る度に、お二人の優しい笑顔を思い出してます。
神様。
お庭の隅に今なお残るヒルガオの、健気でたくましい生命力をどうぞお二人に。
Posted at 2014/08/21 22:57:36 | |
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