久々に良い話を一つ。
今回は奈良の法隆寺の解体修理や薬師寺金堂&西塔の再建等
で知られる伝説の宮大工、西岡常一棟梁(故人・人間国宝)の話
です。 以前NHKのプロジェクトXという番組でも放送された方です
のでご存知の方も多いことでしょう。
少し長くなりますので、また興味のある方だけどうぞ。
今井彰著「プロジェクトX リーダーたちの言葉」、文藝春秋からの引用です。
昭和45(1970)年、奈良で千三百年前の名匠と競い合おうとしていた男がいた。
鬼と呼ばれた宮大工・西岡常一、当時62歳である。
西岡に託されたのは名刹・薬師寺金堂の復元だった。
一口に復元といっても並大抵のことではない。
何しろ千三百年前の図面などなく、すべてはゼロから生み出さなければならないのだ。
この仕事のためには、少なくとも腕の立つ三十人の宮大工が必要だった。
しかし、西岡のもとに集まった三十人はこの建築に心を躍らせてはいたが宮大工の経験の
全くない一癖も二癖もある若者たちだった。
若者の一人、建部清哲が「教えてください」とすがり付くと西岡に跳ね返された。
「あんた、甘えたらあかん。 考えなはれ。 人に聞いとるとじきに忘れるで。 木と対話して
仕事しなはれ」
若者の一人に島根から来た玉村信好二十六歳がいた。 長髪を後ろで束ね、主を持たない
"野武士"と自称する一匹狼の大工だった。
「何を木と対話するなんて、そんな余裕あるかい」と玉村は憤った。
全く仕事を教えない西岡に若者たちの不満は募った。
酒を飲む回数が増え、ケンカもおきた。 玉村も仲間を殴った。
若者たちはバラバラになりかけていた。
その時、西岡が現れた。
若者たちを木工場に座らせると、「まあ、お茶を飲みなはれ」と見事な手つきで玉露をふる
まった。
一服して皆が落ち着くと西岡は話し始めた。
「建物は良い木ばかりでは建たない。 北側で育ったアテというどうしようもない木がある。
しかし日当たりの悪い場所に使うと何百年も我慢するよい木になる」
玉村信好は震えた。
「歳月の重みで屋根の反りは落ちていく。 千年後に設計通りになる」 (屋根を支える隅木を
設計よりも5センチ高く組んだ理由を聞かれて)
玉村は西岡に惚れ込み、その一挙手一投足を見逃すまいと片時も離れないようになった。
他の若者たちも同じだった ...
引用終わり。
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西岡棟梁の現場で叩き上げた豊富な経験と勘は、ときに多くの学識関係者との衝突を生んだの
だそうです。
特に有名なのが法隆寺金堂の屋根の形式についての論争で、当時の東大や京大の建築学の教
授たちが、創建時の金堂の屋根は正倉院にある玉虫厨子と同じ錣(しころ)葺きであったという説
を支持しました。
これに対し、入母屋造りであったと真っ向から反論したのが西岡棟梁でした。
新聞紙上を賑わすほどの大論争にまで発展しましたが、後にある釘跡が発見され、これが決定
的な証拠となり、西岡棟梁のいう通り入母屋造りであったことが判明したのだそうです。
また、薬師寺西塔や奈良・法輪寺三重塔の再建にあたっても大きな論争があったのだそうです。
この時は、天災や火災から文化財を守るためには鉄筋やコンクリートで補強すべきであると大学
教授たちが主張するのに対し西岡棟梁は、「鉄やコンクリは持って百年程度、木材(ヒノキ)は千年
持つ。鉄を使うとそこから腐食する」 と一歩も譲らなかったのだそうです。
さらに薬師寺西塔再建の時などは、三百年経つと東塔と同じ高さになると、木材の収縮を計算し、
学者たちの反対を押し切って30センチ高く建てたのだそうです。
当時の西岡棟梁の言葉です。
「学者は様式論です。 あんたら理屈言うてなはれ。 仕事はわしや。 学者は学者同士
喧嘩させとけ。
学者ちゅうもんは結局は大工の造った後のものを系統的に並べて学問しとるだけのことや。
飛鳥時代に寺院建てたんは学者ではなく大工や」 ...
東大や京大の教授たちとの丁々発止のやり取り。
建築学の権威たちの意見を机上の空論扱いし、歯牙にもかけずに堂々と反論し、一歩も引かない
西岡棟梁の姿勢を、いつしか誰ともなく
”法隆寺の鬼”と呼ぶようになったのだそうです。
薬師寺金堂と東西にそびえる五重塔。 鳳凰が飛び立つが如く雄大で美しいお姿ですね。
最後に西岡棟梁の、良い言葉がありますので、一部抜粋し、紹介して終わりたいと思います。
「木のいのち、木のこころ」より。
木は人間と同じで、一本ずつ全部違うんです。
それぞれの木の癖を見抜いて、それに合った使い方をすれば、千年の樹齢の檜であれば
千年以上持つ建造物が出来るんです。
千三百年前に法隆寺を建てた飛鳥時代の工人の技術に私らは追いつけないんでっせ。
木の癖を見抜き、それを使うことができ、そのうえ日本の風土をよく理解し、それに耐える
建造物を造っているんですからな。
癖のある木、癖のある人、
癖は使いにくいけど、活かせば優れたものになるんですな。
適所適材といいますが、いいところばかりではなしに、欠点や弱点も生かしてその才能を
発揮させてやらなならんのです。
左に捻れを戻そうとする木と、右に捻れを戻そうとする木を組み合わせて、部材同士の力
で癖を封じて、建物全体の歪みを防ぐんですな。
もしこのことを知らずに右に捻れそうな木ばかりを並べて柱にしたら、建物全体が右に捻れ
てしまいますな。
この癖組が完璧なことが、千三百年たっても建物を歪ませずに、五重の軒先を一直線に持
たせている理由ですな。
「木の癖組は人組みなり。 人組は人の癖組みなり」 西岡常一。
以上、人間国宝・西岡常一棟梁の話しでした。