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辛口レビンのブログ一覧

2016年06月15日 イイね!

歴史の話 番外編

歴史の話 番外編
全国少数派の歴史ファンの皆さまへお届けする、試験とかには”屁”の

役にも立たない「歴史の話」(笑)         

前回好評を得たのに気を良くし、今回はその番外編として、江戸時代

の娯楽についてのお話です。

これを読みかけたそこのアナタ。  そうアナタです !

寄ってらっしゃい見てらっしゃい !   いつもと違ってかなり砕けた内容

ですので、歴史アレルギーの人でも充分に楽しめる内容だと思います。


ではさっそく。



江戸時代の後期になりますが、世に「黄表紙」 なるものが流行りました。

黄表紙とは何かと申しますと、当時大流行した文芸の一種で、絵と文章から成る大人の絵本、

まあ現代に直しますとマンガのようなものといっていいと思います。

ナンセンスギャグとかパロディ、ゆるキャラやダジャレといった遊びの要素がふんだんに盛り込

まれた読み物が、既に200年以上前に存在したことに驚きです。

当時の黄表紙界を代表する江戸の人気作家・山東京伝の作品からご紹介いたしましょう。


今回は特別にこの方に登場してもらいます。

          ☟


     

覚えてますかね~ ?

ヒゲの講談師、田辺一鶴 師匠 ! (笑)

ハリセンのような扇子で机を叩く姿や、その手に汗握る語り口が一世を風靡しましたね。



それではいきます。

山東京伝 1790年の作品で、

 「心学早染草(しんがくはやぞめぐさ)」 です。



 ~あらすじ~

天上界には天帝という偉~い神様がいて、シャボン玉のようなものを吹いているという。

これが生まれたての赤ちゃんの体に入ると「魂」となるのですが、最初はきれいな形の魂 「善玉」

も、飛んでいるうちにゆがんで悪い魂 「悪玉」になることもあるのだそうだ。

さて、日本橋の裕福な商人のところに生まれた赤ちゃんにはどんな魂が入ることやら .....


下の画は、生まれたばかりの赤ちゃん(理太郎)の体に入り込もうとする悪玉。

天帝がその手を捻りあげ、「ここはワシが押さえる。今のうちに行け !」 とばかりに善玉を赤ちゃん

のもとに向かわせます。   ババンッ(扇子を叩く音)



その後は善玉に守られ順調に成長し、絵に書いたようなマジメな好青年となった理太郎18歳。

仕事に疲れてウトウトとお昼寝中。

体の中の善玉も「たまには」と息抜きに出かけようとした ...


と、その時 !


かつて理太郎の体に入り損ねた悪玉が仲間を連れて善玉を捕まえ、まんまと理太郎の体に

入り込む !

善玉 「む、無念 ...! 」   ババンッ(再び扇子を叩く音)



お昼寝から目覚めた理太郎。

なぜか、「そうだ、吉原へ行こう」 と思いつき、ふらふら~~っと出掛けてしまう。

あそるべし悪玉パワー。

そして妓楼に上がった理太郎は遊女にメ~ロメロ。

「ボク、こんな楽しいの初めて♪」。




よ~く見ると奥の方で、



すっかり理性を失った理太郎を見て、悪玉たちが喜びのダ~ンス !

アリャアリャ♪  よいよい♪  アリャアリャ♪  よいよい♪




いろいろあったが再び体の中に善玉が帰ってきたので、もとのマジメな好青年に戻った理太郎。

仕事にも励んでいたが、あの時の遊女から送られた手紙に心が揺れる~


と、油断したその隙にまたしても悪玉が !

そして、なんと善玉を斬りつけた~ !!

悪玉 「覚悟しろー」

善玉 「ぐわーっ、む、無念なり~」    

血しぶきをあげる善玉~ !   ババン、バンッ(またまた扇子を叩く音)



な、なんという展開だ~

でも、なぜだか善玉を斬ったあとの悪玉のポーズが誇らしげでやたらにかっこいい ! (笑)


その後も理太郎の心を完全に支配した悪玉は増殖を続け、それとともに理太郎も堕落してしまう。

飲む、打つ、買うはもちろん詐欺はするは何はと親不孝の限りを尽くし、ついに勘当されてしまう。

かつての好青年は今いずこ。

とうとう実家の蔵に泥棒に入るまでに落ちぶれる~   バン、ババンッ ! (くどいが扇子叩く音)




それにしても、見よ、このノリノリの悪玉軍団を。(笑)

          ☟





最終的には盗賊にまで身を落とした理太郎だったが、その後、道理先生という立派な師に出会い、

説教され改心。

勘当も解かれて、それからは親孝行に励んだということです。

めでたし、めでたし。



   ・        ・        ・        ・        ・        ・        ・

とまぁ、こんな話です(笑)

最後が微妙にあっけない気がしますが、まあそれは置いといて(笑)

しかしいいですね~この善玉と悪玉。

このキャラクターは当時も大ウケで、特に喜びのダンスを踊る悪玉は大人気だったそうで、あの

浮世絵の葛飾北斎もこの「悪玉踊り」をこの頃に流行していた踊りの一つとして描いているのだ

そうです。


これが悪玉踊りの解説図。



チリチツ、チリチツ ...♪

う~ん、いまいちよくわかりませんがチョー楽しそう (笑)

この悪玉踊りは歌舞伎にも取り入れられたといいますから、当時の人気ぶりがわかりますね。

因みに現在健康診断等で、善玉コレステロールとか、悪玉コレステロールとか言いますが、実は

これが語源なのだそうです。 


最後にこの話を現代風にアレンジしたコントがありますので、ヒマな方はご覧あれ。

200年以上前のギャグが現代に通用するわけですから本当に凄いことだと思います。

演じるのはもちろんドリフです。

以上、歴史の話 番外編でした。 

では今回はこれで。 ✌











Posted at 2016/06/15 20:25:29 | トラックバック(0) | 歴史の話 | 日記
2016年06月08日 イイね!

歴史の話 7

歴史の話 7全国少数派 ? の歴史ファンの皆様へお届けする学校で

は教えない歴史の話(笑)、 今回はちょっと変わった話

をお届けしましょう。 毎度のことですが、興味のある方

はどうぞごゆっくり (^-^)


先日、宮崎県の串間市にあります都井岬の沖合で、海を泳ぐ野生の子供のアザラシが目撃され、

その姿がぬいぐるみのように愛らしいと話題を呼んだそうです。

アザラシは、本来は北海道より北の冷たい海域に生息するのだそうですが、海流に流されて来る

のでしょうか、何年かに一回くらいはこういったニュースが流れるように思います。 10年くらい前

に東京の多摩川に迷い込んだ”タマちゃん”の話は特に記憶に新しいところですね。



さて本題。


「日本書紀」 という歴史書があります。

今からおよそ1300年くらい昔の奈良時代初期に書かれたもので、内容は知らなくてもその名は聞

いたことがあるでしょう。 

古事記と並ぶ日本最古の歴史書であり、日本の正史ともいわれています。

その日本書紀の第二十二巻にこんな記述がでてきます。

めんどくさいのでいきなり現代語訳でいきます(笑)



   推古天皇27(619)年、夏4月4日、近江国(滋賀県)から、「蒲生川(佐久良川)に何か

   不思議なものが出現し、その形は人のように見えた」 と言ってきた。


   推古天皇28(620)年、秋7月に、摂津国(大阪~兵庫)のある漁師が網を張っていたが、

   何か不思議なものが網にかかった。 その形は赤子のようであり、魚でも人でもなく、何

   とも名づけられなかった。



ハテ ...この記述にある”不思議なもの”とはいったい何ぞや ? (笑)

推古天皇といいますから、飛鳥時代の話ですね。


実はこれ、日本における”タマちゃん”の初めての記事ではないかといわれているそうです。

27年の記述では、少し離れた位置からだったのでしょうか、全く謎の生物という感じですが、翌28

年の記述では、実際に捕まえて確認していますので、謎の不思議な生物は確かに存在したとい

うことですね。


で、時代はずぅ~と下って江戸時代。

天保年間のことですから1800年代の前半になりますが、熱田(今の名古屋)の海に得体の知れ

ない妖怪が現れたと大騒ぎになったことがあったそうです。

その時に記録されて残された絵がこちら。


          ☟




おおっ、これは紛れもなくアザラシ !

でもあんまり可愛くない(笑)

それもその筈、この時に現れたのは身長が六尺五寸といいますから、大体197センチ。

堂々たる大人のアザラシだったわけですね。

別の絵もありますのでそちらも貼りましょう。




こちらの方が愛くるしい(笑)

天保四年に尾張熱田のマエノ新田ノ海ニテ、など現代の私たちでもハッキリと読み取れますね。

この時の記述によると、なんでもこの得体の知れない妖怪は生きた魚を好んで食べ、寝るときは

大きなイビキをかいて寝たのだとか。

また、見物人が殺到し、料金を取って近場まで漕ぎ出す小舟や、菓子や手ぬぐいといった記念

グッズまでも登場したのだそうです。

何のことはない、数年前のタマちゃん現象は既に江戸時代にあったということですね(笑)



話は戻って先ほどの日本書紀。

同じ第二十二巻にはこんな記述もあります。


   推古天皇28(620)年の12月1日に、天に「赤き気(しるし)」が出現した。

   長さは一丈(約3m)くらい。 形は雉の尾っぽに似ていた。


天に赤き気(しるし) ... ??


フム ... しかも謎の生物が現れたのと同じ年 ...σ(-ω-*)?


実はこれ日本における初めての”オーロラ”の記録ではないかと考えられているそうです。

日本でオーロラなんて何を馬鹿なことをと思うでしょう。

果たして日本でオーロラが見えるのか ?


実はオーロラでも低緯度オーロラというのがあるそうで、近年でも昨年の3月に北海道で11年ぶり

に観測されているのだそうです。

大体こんな感じで、赤一色に近いそうです。


          ☟




このオーロラらしき記述は他に鎌倉時代や江戸時代の文献にもあるのだそうです。

更に日本書紀に書かれているこの時代のその他の記事を見てみると、

   「春より秋に至るまでに、長雨して大きに水あり。 五穀実らず」

であるとか、

   「三月より七月に至るまでに、長雨降る。 天下、大きに飢う」

と、あるように、飢饉に見舞われるような非常な寒冷期であったことが伺えます。

これらのことから推測すると、推古天皇の時代の”謎の生物”は寒冷期であったゆえに、寒流(親

潮 ?)等にのって北の海から遥々と畿内にまでやって来たのであろうということ。 そして同時期に

発生したオーロラであろう”赤きしるし”の現象がそれを裏付けるものであるということですね。

やはり日本書紀にある推古天皇の時代に現れた”赤子のような魚でも人でもない不思議なもの”

の正体はアザラシだったわけですね。


アザラシといえば我々は物心つく頃から、図鑑や動物園等で何度も見ていますから、実際に目の

前に現れてもそれ程驚いたりはせず、むしろ微笑ましいとさえ思うわけですが、昔の人々にとって

は得体の知れない妖怪であり、更に寒冷期に現れることが多かったことから、それによる凶作とも

重なり、不吉なもの、或いは厄をもたらすものといった考えの方が強かったようです。


”タマちゃん”も時代によって見方が180度変わるというのは何とも面白いところですね。


以上、歴史の話、今回は歴史の中のタマちゃんの話でした~ (^-^)


        

Posted at 2016/06/08 20:04:03 | トラックバック(0) | 歴史の話 | 日記
2016年02月07日 イイね!

歴史の話 6

歴史の話 6一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

全国少数派の歴史ファンの皆様へ無理矢理お届けする歴

史の話。 久々ですがお陰様で今回で6回目を数えるに至

りました。

今回のテーマは「武士道」についてです。

腹回りプニプニおやじの私なんぞが語るのは無謀かつおこがましいのは重々承知の上で、私なり

の考えや解釈で歴史の話を交えながら出来るだけ簡単に書いてみたいと思います。


まず「武士道」とはなんぞや ? ですが、実は明確な定義というのは無いのだそうです。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」で有名な「葉隠」は佐賀鍋島藩の武士道と言われていますし、

旧五千円札のおっさん新渡戸稲造が書いた武士道などは外国人に分かりやすく解説するために

キリスト教的な考え方がかなり入り込んでいるともいわれています。 

つまり時代や地域や人間でそれぞれの色々な形の武士道があるということですね。


武士道はもともと鎌倉武士の戦さにおける 「掟」 の事でした。

今でいえば試合におけるフェアプレイ精神をうたったものといっていいと思います。


  「やぁやぁ、遠からん者は音にも聞け ! 近くば寄って目にも見よ !

     我こそは○○の○代の孫の○○なり、見事この首取って手柄にせよ !

           ーー(中略)ーー いざ尋常に勝負~ !!」


時代劇などで何となく聞いたことがある台詞だと思いますが、これは「名乗り」というもので、鎌倉

武士たちは戦さの時に本当にこれをやったのだそうです。

平安時代末期の武士の興りから鎌倉時代末期の楠木正成や新田義貞が活躍する時代までは、

戦さの時はお互いの大将同士が名乗り合うのがルールだったわけです。

そしてその後の局地戦でも其々の武将同士が名乗り合い、基本1対1の勝負をしたわけです。


ただ蒙古が来襲した元寇の時は、このために多数の鎌倉武士が戦死したようです。

名乗っているうちに先に弓矢などが飛んできて殺られてしまったわけですね。

おのれ卑怯千万 ! と叫んでみても後の祭り。外国にはこういった流儀はありませんからどうしよう

もなかったという事ですね。

この名乗りの習慣ですが、鎌倉時代までは戦さといってもせいぜい数百人規模でしたから良かっ

たのですが、これが戦国時代になり何千何万という数の集団戦に移行すると完全に廃れていって

しまったようです。



この鎌倉時代から「封建制度」が始まったと教科書で習ったと思います。

いわゆる「御恩と奉公」の関係ですね。

簡単に言えば家臣が領主から土地などを貰う代わりに軍役などの義務を果たし忠義を尽くすとい

う主従関係の事です。

会社勤めで労働力を提供する代わりに給料を貰うという現代の我々の姿によく似ていますね。

実は世界史的に見ても、この封建制の社会というのは過去に日本とヨーロッパだけが通って来た

のだそうで、他の国々は軒並み中央集権制だったとのこと。

中央集権制とは、全ての権限が中央に集約されて、そこから地方へ役人が配置されるというシス

テムで、地方分権や地方独自にというものが全く無い社会の事ですね。

かつて封建制だったところは現代の先進国の勢力図とほぼ一致し、中央集権制だったところは途

上国にあまんじているのだそうで、この辺は中々興味深く面白いところだと思います。



御恩と奉公の封建制は鎌倉時代に始まり、江戸時代の終焉をもって幕を閉じました。

武士道はその間およそ700年という歳月を掛けて熟成されました。

明治の開国とともに入国して来た外国人は、金銭よりも道徳を上に見るという日本人の精神性

の高さに驚嘆したそうです。


この武士道ですが、ごく分かりやすく簡単に言えば、我々日本人の行動や判断、また情緒といっ

た精神の形というものの基準であり、その核を成すものではないかと。

道徳の元になるものといっても良いと思います。


そして、それはズバリ 「正々堂々の心」 そして 「卑怯を憎む心」 であると。

これこそが武士道の基本であり、根本を成すものであると思います。

かつては切腹など死を持って、という時代もありましたが、現代の解釈はそれで良いのではないか

と私は思います。


そして現在の荒れた社会や教育現場を知るたびに、この正々堂々を尊び卑怯を憎むという「武士

道精神」を早急に復活させ、取り戻し、伝えていかなければいけないのではないかとも思います。



  簡単ですが以上です。

























Posted at 2016/02/07 22:20:17 | トラックバック(0) | 歴史の話 | 日記
2015年07月18日 イイね!

歴史の話 5

歴史の話 5  一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

さて、今回は久々に全国少数派 ? の歴史ファンの皆様にお届けする

歴史の話です。


日本三大美人といえば、衣通姫(そとおりひめ)、小野小町、藤原道綱

の母、といわれております。

この中でも飛び抜けて有名なのが小野小町ですね。

絶世の美女として現在でもナントカ小町といって美人の代名詞として使われたり、百人一首にも

名を連ねていますので皆様もよくご存知でしょう。

しかし知らぬ人は無いというくらい美人で有名でありながら、肖像画が残っているわけでもないし、

実際どんな顔だちだったのかという記録なども全く無いのだそうです。

彼女のことでわかっているのは、平安時代の前期(9世紀の中頃)の人で、小野氏の出であること

と、女流歌人で六歌仙の一人であること以外はほとんど謎の女性なのだそうです。


今回は小野小町が何故美人と言われ続けるのか、その理由について書いてみたいと思います。




小野小町は謎の女性でありながら伝説や逸話と言われるものがたくさんあります。

有名なのは「深草少将の百夜通い」でしょう。 (ふかくさのしょうしょうのももよがよい

彼女は絶世の美女だけに、多くの男性たちから求婚されました。

なかでも熱心だったのが深草の少将で、彼は小町に執拗に愛を強要します。

途方に暮れた小町は仕方なく、「百夜、私のもとへ通えば、あなたの意に従います」と約束します。

有頂天になった少将は小町の心を得たい一心で、くる日もくる日も、雨の日も嵐の日も、恋文を持っ

て黙々と通い続けましたが、ついに九十九日目の大雪の晩、疲労のあまり力尽き、途中で倒れ凍死

してしまったということです。





     通う深草 百夜の情け

        小町恋しい 涙の水が

           今も湧きます 欣浄寺


伏見の欣浄寺は深草の少将の住いがあったとされる所です。

なんとなくロマンチックな気がする反面、男から見れば,あともう少しで念願が達成できたはずなの

に、なんとも哀れで気の毒な話であるような気がしますね。

ただこの話が真実だったのかについては . . .

まあ、そこは歴史のロマンということで (笑)


そして山科の随心院。

ここには小町の文塚があります。




深草の少将をはじめ、当時の貴公子たちから寄せられた千通もの恋文を小町が埋めたところと

伝えられているそうです。

頂いた恋文を捨てるのではなく、破くのでも燃やすのでもなく、こうして埋めて供養する。

なんともやさしさに溢れていますね。



さて、何故小野小町は美人なのか ?


それはズバリ言えば和歌が上手だったからなのだそうです。

平安時代の美人の基準は顔ではなく、歌の才能があるかどうかで決まったのです。

小野小町は更衣という皇族の側近であったようです。

皇族の側近や貴族の教養とは何かといえば、あの時代それは和歌でした。

これがうまいかどうかで評価が決まったのです。

小町が絶世の美女と言われたのは、優れた歌をたくさん残したからで、実際の容姿とは全く関係

ないのだそうです。

平安時代は顔ではなく才能が有るかどうかが美人の基準でした。

そういう世の中、なんか凄く良い感じがしますよね。







  しかーし!



ここで終わらないのが、疑り深い辛口セクハラおやじのイヤラシ~いところ。 フッ、フッ、フッ、



よ~く考えてみましょう。


なにしろ1200年近くの間美人と言われ続けてきているのです。


1200年ですよ、1200年! (正確には1150年くらい)


それだけが理由じゃーないでしょ~ 


なにかあるでしょ~ Ψ(`▽´)Ψ




ここもズバリ言います。



それは彼女が政治的敗者であったからではないかと。

少数意見ながら私はこの説に賛同します。


さて、いったいどういう事なのか ?


先程、小野小町は更衣という皇族の側近であったと書きました。

実はこの時代、天皇家にてちょっとした権力闘争があったのです。

時は文徳天皇の時代。 

紀氏を母にもつ惟喬(これたか)親王と、藤原氏を母にもつ惟仁(これひと)親王との間で、皇位を

めぐっての激しい後継者争いがあったのでした。 

折しも時は藤原氏が権力を謳歌する時代。 文徳天皇は第一子である惟喬親王の立太子を望ん

だのですが、藤原氏の強い妨害にあって叶いませんでした。

最初の方に小町は六歌仙の一人と書きましたが、そこに選ばれている六名がまさに権力闘争に

敗れた惟喬親王派の関係者、即ち側近の人たちなのです。

現代流に言えば、藤原氏が中心の主流派に対する反主流派といったところか。





その後、権力闘争に敗れた貴族たちは失脚して次々に都を追われ、地方へ飛ばされたわけです。

小野小町自身もその犠牲になり、失意のうちに一人寂しく惨めに一生を終えたのではないか。

女性に対して、美人ですというのは今も昔も最高の褒め言葉であります。

権力闘争で追放するなどひどい仕打ちをし、この世に恨みを残すような死に方をした小町の霊を

供養するために 「あなたは美人でした」 という言葉を贈ったということです。

つまりは霊の鎮魂のためということですね。

六歌仙自体も失脚したまま亡くなった六名を供養するため特別に選んで作ったものなのです。

つまり、あなたたちは特別に和歌が上手でしたと言って褒め讃え、霊を慰めたわけですね。


やはり単に歌(和歌)が最高にうまかったというだけでは1200年近くにわたって美人だったと言われ

続けるには、理由として私はどうしても足りない気がするのです。

霊の鎮魂・供養のために時代を超えてずっと美人と言われ続けてきたことが、小野小町は美人で

あるというイメージの定着に繋がったのではないでしょうか。




以上、簡単ですが今回の歴史の話は小野小町でした。

どこで読んだかは忘れましたが、ある歴史家が言うには、現代で平安美人をイメージすると、歌手

の由紀さおりさんがピッタリなのだそうです。

言われてみれば、そんな気がしないでもないですね。

由紀さおりさんといえば、ドリフ大爆笑時代のバカ殿様では永遠の15歳でしたね(笑)

歌はデビュー曲の 「夜明けのスキャット」 が一番人気のようですが、私はその何年か後に歌った

「恋文」 という曲の方が好きですね~

確か小学校6年の時だったと思いますが、この歌の歌詞の中の女性に今だに恋してます (゚∀゚*)

という訳で最後に一曲、その 「恋文」 を。

これは女性から男性への恋心を歌っているのですが、私は特に日本的情緒あふれるその歌詞が

とっても素晴しいと思います。


「好きです」 でも 「愛しています」 でもありません。


「お慕い申し候 ...」  これですよ! これ!


  これが日本人の言葉ぜよ!




また来週~


 ☆出血サービス、小町ちゃん♡うっふんピンナップ !
           こーゆーところが余分だよな~(笑)
Posted at 2015/07/18 22:13:30 | トラックバック(0) | 歴史の話 | 日記
2015年03月28日 イイね!

歴史の話 4

歴史の話 4
 全国少数派の歴史ファンの皆様今晩は、辛口おやじです。

「いざ!鎌倉」、といえば謡曲 「鉢の木」 です。

これは室町時代の初期に 「能」 を大成した観阿弥と、その息子

世阿弥の作品といわれています。

鎌倉時代の中期、時の執権・北条時頼が民情視察のため諸国を

旅して回ったといわれる廻国伝説の一説として知られています。

水戸黄門の原型の様なものといってもいいかもしれませんね。

私自身はこの手の話が大好きでして、歴史の話として実際にあった事なのかは少々疑問が残る

ところですが、中々良い話ですので今回取り上げてみました。


今宵はあなたを 「能」 の世界へちょびっとだけいざないましょうか(笑)

ではさっそく。



  ある日、上野の国佐野(現・群馬県高崎市周辺)に、信濃国から鎌倉へ向かっているという僧侶

がたどり着きました。

しかし、その日はあいにくの大雪。

夜も更けてきて気温は下がるばかりでした。

僧侶は一晩の宿を求めて近くにあった家を訪ねました。

家の主である佐野源左衛門常世は悩みました。

家はひどく貧乏で、とても僧侶をもてなすことなど出来ないと思ったのです。

一度は断ったものの、トボトボと去っていく僧侶の後ろ姿を見て、何とか泊めてあげる事にしました。

しかし家には薪もなく、食べ物も冷えた粟飯くらいしかありません。

気温はどんどん下がり、体は芯から冷えてしまっています。





その時です。

源左衛門は急に立ち上がると、梅・松・桜が植えられた鉢を持ってきました。

僧侶がその美しさを褒めようとするや否や、源左衛門は鉢から木を抜き取り、囲炉裏にくべてしまっ

たのです。


  「 貧しい我が家では何ももてなす事が出来ません。 

    せめて体だけでも暖まっていってください… 」


そのもてなしに感動した僧侶が主人に名を尋ねると、


  「 私は佐野源左衛門常世という武士です 。

   一族の者に所領を奪われて、今はこうして落ちぶれておりますが、

   幕府への忠義の心は変わりませぬ 。

   いざ鎌倉で一大事とあらば、薙刀と鎧を持ち、痩せ馬に乗って

   いの一番に鎌倉に馳せ参じ、敵陣に突っ込む覚悟でおります。」


と熱く語りました。


僧侶は言葉もなく、うなずきながらこの話を聞くだけでした。

そして翌日、僧侶は厚く礼を言って家を後にしました。





しばらくしたある日、鎌倉幕府から 「急ぎ鎌倉に集まれ」 との命が各地に発せられました。

源左衛門も痩せ馬に乗り、急ぎ鎌倉に駆けつけます。

しかし鎌倉で彼を迎えたのは、なんとあの時の僧侶でした。



  「 佐野源左衛門常世、あの時は世話になったな。」



そうです!


あの時の僧侶こそ誰あろう時の執権、北条時頼その人だったのです。

そして時頼は源左衛門の忠義を褒め称え、奪われた領地を取り戻してくれただけでなく、あの時

薪として火にくべた梅・松・桜の木にちなんで、加賀の梅田、上野の松井田、越中の桜井という3ヶ

所の土地を与えたということです。



   ・      ・      ・      ・      ・      ・      ・      ・


いかがでしたか?

「 いざ!鎌倉 」

源左衛門が一番に鎌倉に駆けつけると語ったその言葉は、鎌倉武士を象徴する言葉としてよく知

られていますね。

そして御恩と奉公も。

まさに鎌倉武士の姿や心意気がここにあります。

貧しくとも精一杯客をもてなす心遣いなど、日本人の源流をも見る気がします。


一方、旅の僧侶として登場してきた北条時頼は鎌倉幕府第5代の執権。

幕府の権力強化を推進するとともに、その一方で御家人や民衆に対して善政を敷いた名君として

知られた人でもあります。

また元寇の時の執権として有名な北条時宗のお父さんでもあります。


時頼は病のために執権職を譲ってから出家し、最明寺入道と名乗り、民情を見るために諸国を

巡ったと云われており、そうした伝説が各地に残っているようです。



この「鉢の木」もそうした伝説のひとつということですね。

   

どうですか、良い話じゃないですか~ (o^-')v


  





Posted at 2015/03/28 23:28:10 | トラックバック(0) | 歴史の話 | 日記

プロフィール

「驚いたね~ まさか当選するとは思わなかったなぁ。それに「私自身、必要な説明をし、公私のラインを引かせていただいた。一定の信託はいただいたと思う。」って・・・
なに勝手に禊すませてんだ ?
国民は信託なんかしてないぞ !

何シテル?   10/23 21:10
上品とは無縁の田舎のべらんめぇ親父です。 身の程知らずの言いたい放題。 時として極論で語ることもありますが、昭和 の頑固親父の戯れ言だと...
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大変申し訳ありませんが、みんカラに使える時間が

限られている為、現在募集はしておりません。

尚、長期に渡り疎遠な方は縁無きものと判断し、

予告なしに削除して参りますが悪しからず。

m(_ _)m




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