タイトル画像はうちの庭にある梅の木。
2月も中旬を過ぎ、静岡では梅の花が見頃を迎えております。
皆様と同様の甘くたるんだ腹回りを引き締めるべく、昨秋より
始めたウォーキング(笑) もちろん現在も続いており、今日は
それを兼ねて辛嫁ちゃんと近くの梅の名所へ見学に行って参
りました。
ここはうちから1キロくらいの所にある 「黒田家代官屋敷」
江戸時代の旗本・本多氏の代官を務めたこの黒田家の邸宅で、「白加賀」、「寒紅梅」など13種類、
約180本の梅の木を鑑賞することができます。
木の花は、濃きも薄きも紅梅。
桜は、花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる。
藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし。
<現代語訳>
木の花は、色の濃いのも薄いのも紅梅がよい。
桜は花びらが大きく、色の濃いものが、枝が細く咲いているのがよい。
藤の花は、花房がしなやかに長く垂れ下がっていて、色が濃く咲いているのが、
たいへん素晴らしい。
この清少納言の 「枕草子」 の一節は皆さんもよくご存知でしょう。
日本の”春の花”といえば 「桜」 が代名詞ですが、実は古代においては 「梅」 が主流でした。
奈良時代に編纂された 「万葉集」 においても、梅を詠んだ歌が120首近いのに対し、桜は44首。
これは諸説ありますが、梅は元々漢方薬として大陸から伝わってきたものであり、特に飛鳥~奈
良時代においての日本は大変な中国かぶれであったこと。( 明治から昭和にかけての欧米かぶ
れに似ていますね ) 花の姿形そのものが桜に比べ慎ましく控え目で日本人的であり、当時の歌
人や庶民たちの感性に合致していたのではないか、ということなどが挙げられるようです。
それが平安時代に入ると歌の主流の座は徐々に桜に移行して行きます。
これも諸説ありますが、大きいのは菅原道真による遣唐使の廃止。 それによる中国離れが進ん
だ結果、元々日本に自生していた桜が見直されたのではないかという説が有力なようです。
こういった画像を貼る度にうちの安いデジカメの性能の悪さを実感します (ToT)
さて、折角ですので万葉集の梅に関する歌をいくつか紹介しましょう。
いずれも大伴旅人( おおとものたびと )が詠んだ歌で、梅の花に関して人気の高い歌であります。
大伴旅人は、万葉集の成立に深く関わったとされる大伴家持( おおとものやかもち )のお父さん。
で、その前に、家持といえば有名なのが、
”なでしこが、その花にもが、朝な朝な、手に取り持ちて、恋ひぬ日なけむ”
( あなたが撫子の花だったらなぁ。そうしたら毎朝、手に取って愛でるのに )
いや~ロマンチストですね~
彼女でも愛人でも、これからおなごを口説こうとたくらんでいるそこのアナタ。
へたなバラの花なんかよりもこちらの歌の方がよっぽど効果的ですゾ。
”女口説くにゃ銭はいらぬ、万葉集の一句もあればよい”
・・・て、 いまどきのおなごには通用しないか ? (笑)
あ、ゴホンッ
大伴旅人といえば、亡き妻への思いを詠んだ歌が有名ですが、梅の花に関しても多くの良い歌を
残しているんです。
”雪の色を、奪ひて咲ける梅の花、今盛りなり、見む人もがも”
(雪の白さを奪い取って咲いている梅の花がいま盛りです。見てくれる人がいるといいなぁ。)
”残りたる、雪に交じれる梅の花、早くな散りそ、雪は消ぬとも”
(残った雪にまじって咲いている梅の花よ、雪が解けて消えても、まだ散らないでくれ)
”我が園に、梅の花散るひさかたの、天より雪の、流れ来るかも”
(私の庭の梅の花が散っていきます。天から雪が降ってくるのでしょうか)
我が園(庭)に咲く梅の花。 ロマンチックなブログが台無しのこの画質の悪さ (笑)
うちの地方は雪が降りませんので、残念ながら雪に梅の花という風景は見れませんが、そうした情
景はよくわかりますし、憧れでもあります。
しかし優しい歌ですね~
言葉そのものが優しいし、美しいですよね。
日本人というものは、本来この万葉集にあるように本当に繊細で優しい民族なのでしょうね。
また、旅人という名前も良いですね。
およそ1300年の時空を超えて、日本人の持つ本来の優しさを今に伝える”時の旅人” というイメー
ジが湧いてくるような気もしますね。
と、いうわけで今回は腹回りプヨプヨのくせに、めっちゃキザでロマンチストな辛口爺の、
簡単な梅の花の話でした~
ではまた✩
Posted at 2017/02/19 22:15:36 |
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