たいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。(汗)
しかも、今回はバイク中心の話となっております。
自分が10代の頃、どっぷりハマったこの世界について、最近は良く思い出す事が多く、
記憶が残っているうちに語っておこうかな・・・って感じです。
尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、またその中での
当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。
同じ時代であっても、全く違う遊び方をされていた方々もおられると思いますし・・・
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
適当な妄想話?? 架空の作り話・・・?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。
まず、車の話を語る前に、順番的にはバイクの話からスタートしなければなりません。
時代は今から27年前の昭和61年(1986年)
この時代の大阪は暴走族が流行らなくなり、『走り屋』と言われるスピードを楽しむ若者が
増えつつありました。
またレーサーレプリカと呼ばれるバイクが各メーカーから発売されていました。
GSX-R CBR FZ・・・ RGガンマ、NS・・・
月刊誌『オートバイ』の巻末には、コーナリング写真の投稿コーナー『俺たちのサーキット』があり、
読者が投稿した自慢の写真が載っていました。
レベルの高いハングオン写真には『俺・サ・A級』の称号が与えられていました。
そんな走り屋ブームの中で生まれた漫画が『バリバリ伝説』でした。
しかし、内容は『漫画』そのもので、あのクソ重いはずのCB750Fが峠でメッチャ早いって話でした。。。(笑)
そんな漫画の影響では無いのですが、当時の私はGSX-R400に乗り、峠を走り込んでいました。
平日は茨木サニータウンをホームとしており、週2回程度は六甲の芦有道路まで遠征していました。
当時の芦有は様々な峠の中でも路面状態も良かったので走りやすく、平日でもかなりのバイクが集まっていました。
で・・・・
前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
伝説の『阪奈道路』ですが、自分達は日曜日の早朝(明け方)のみ走っていました。
それ以外の日、時間帯には一切走っていません。。。
阪奈は六甲(芦有)や清滝、茨木サニータウン、妙見、逢坂峠と全く違う『別格』でした。
おそらく、当時、全国的にブームであったバイクでの峠攻めですが、阪奈の独特な雰囲気は他の地域では無かったと思います。
で・・・
阪奈道路の雰囲気を説明する前に、阪奈の特徴を書いておきます。
まず、阪奈道路とは、片側2車線の道路で一方通行、道幅が非常に広く、大阪と奈良を繋ぐ幹線道路。。。
当然、深夜でもかなりの交通量で、昼間は白バイ、覆面も多数って感じの道です。。。
この時点でわかると思いますが、いわゆる山間部の『峠』では無いです。
また、大阪市内からすぐ行けるアクセスの良さ。(コレが台数増の原因でした)
コースは、長いストレート(スピードメーターが振り切れる。。。)の先に超タイトな第一コーナー
があったり、S時があったり、高速コーナーがあったり、まさにサーキットでした。
しかし、大型トラックやダンプの通行も多く、路面が荒れており、まともにバイクを寝かせて攻めれるコーナーは少なかったです。
また、最大の特徴は、片側2車線の一方通行・・・ それに一般車両の通行も多いので、
コーナーを攻める為のコーナリング技術よりも、一般車両である車の間を縫うように走る技術が必要でした。
まさに動くシケインをかわしながら走るってイメージです。
これは他の峠には無い特徴で、この2年後の昭和末期に大ブレイクする、阪神高速環状線の
一般車両スリ抜けと完全にオーバーラップします。
環状でも、阪奈のバイクのスリ抜けでも同じなんですが、背後から爆音の車両集団が接近してくると、驚いたドライバーの多くは避ける為に、急にハンドルを切るんです・・・
だから当時は接触事故が時々発生していました。
元々、そんな状況の阪奈でしたが、ある時、バイクの走り屋雑誌、『バリバリマシン』が創刊されました。
確か、その創刊から5ヶ月目あたりで、阪奈道路が雑誌に特集されました。
地図とイラスト入りで詳細に各コーナーが紹介されたのです。
当たり前の流れですが、雑誌掲載直後からは大阪中からバイクが集まり、日曜日の早朝は200台? いやいや。。。 もっと多かったかな???
原チャリ入れたら300台近く?のバイクが集まり、毎週日曜日が祭り状態になりました。
しかも、自分の中学時代のツレ達ですら、BEETのアルフィンカバーを付けてるCBXで新御堂を暴走してたのが、この阪奈ブームの噂を聞き、突然CBRに乗り換え、皮つなぎを着て阪奈へ上がるようになりました。。。(笑)
もちろん、暴ヤンの彼等は阪奈を攻めるようなテクニックがある訳が無く、コーナーを攻める事に関しても大した興味を示さなかったのですが、毎週のように阪奈へ参加していました。
その理由は・・・ 『ただ仲間で騒く事が楽しい・・・』との事でしたけどネ。。。(大汗)
まぁ そんな感じの阪奈ですから、非常にマナーが悪い!(笑)
コレが当時乗ってた他バイクの写真です。
阪奈で転倒し、カウルが割れた為、この阪奈スペシャル仕様となりました。
見ればわかると思いますが、マフラーは音の大きさ&下品さを重視し、RPMの直管です。
純粋な走り屋はこんな暴ヤン仕様マフラーを選びません(笑)
※多分、GSXの場合、一般的にはヨシムラ・サイクロンあたりを撰ぶのかな~?
今、改めて見てみるとセンスのカケラも無く、恥ずかしいですね(笑)
阪奈の走り方ですが、走るのは日曜日の早朝です。
土曜日の深夜3時頃から集まり始めますが、走るのは薄明るくなってからです。
理由は、当時はヘルメットのスモークシールドが流行だったんです。
だから夜は何も見えないので怖い。。。(笑)
当時はバイクが走らない夜間は車が走っていました。。。
昭和61年~62年頃はS30ZやSA22C、R30等が多かったのですが、台数も週末ですら20台前後しか走って無かったと思います。
深夜に阪奈に到着し、夜が明けるまでは車のギャラリーをします。。。
で、夜明け直後の薄明るい時がバイクの出番になります。
阪奈コースのスタートは下のバイク屋(RSタイチ)前のラブホテル(夜間飛行など)の前あたりです。
そこには常に50台ぐらいのバイクがホテル夜間飛行の前でスタンバイしていました。
そして下の道路から3分間隔ぐらいで爆音で駆け上がって来る20台から30台の集団に上手く合流するように、RSタイチ前からロケットスタートします。
自分の知り合いでは無かったのですが、その走ってる集団に合流すべく、慌ててRSタイチ前からスタートしたのは良いですが、サイドスタンドを出したままであった為、1つ目の左高速コーナーでバイクごと飛ばされ、側壁に激突し、即死って事故もありました。
阪奈は全般的に上りはタイトなコーナーも多く、楽しいコースでした。
しかし、阪奈で怖いのは下りです。
とにかく、異常なほどスピードが出ます。
下りで1つ目の有名コーナー『赤橋コーナー』ですが、入り口に橋の継ぎ目があり、進入ラインが悪いとバイクが跳ねます(汗)
この赤橋コーナー進入では速度も軽く100キロを超えている為、転倒すれば即死って感じでした。
次に阪奈で1番有名なコーナーと言えばこの『サブロク』です。
名前の通り、360度周るイメージのコーナーです。
◆サブロク手前
◆サブロク
当時は大ギャラリーコーナーとなっており、常に50人以上のギャラリーがいました。
また減速帯も無かった為、非常に攻めやすく、このコーナーで華麗に膝を擦りながらハングオンを決めるのが、最高のステイタスと言われていました。
その分、事故も多く、バイクだけでなく、車も側壁を乗り越え、50メートル下の崖下まで落下したシーンを幾度も見てきました。。。
当時、普通に通行している一般車両や近隣の住民は大迷惑だったと思いますが、なんせ数が多すぎて、
警察も取り締まれない状況が続いていました。
ただ、そんな日も長くは続きませんでした。。。
ある日、いつもの様に地元の仲間、約10名で阪奈を攻めに来ていました。
仲間とはぐれた為、ホテル『夜間飛行』の下で待っていると、大きなバスが2台、目の前をゆっくりと通過しました。。。
しかし、そのスピードが異常に遅かったので、もう一度良く見ると、バスの窓には金網・・・
その時、嫌な予感がしました。。。
自分の前をゆっくり通過した2台のバスは向きを替え、前方で阪奈道路を完全に塞ぎました。
同時に、バスの中からフル装備の警官隊が飛び出してきます。。。。
これはヤバいと思い、前方の道路がバスでふさがれた為、阪奈を降りようとUターンした瞬間、
目に飛び込んだ光景は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさに、『西部警察』のエンディングでした。。。
しかし、ここで捕まる訳にいかず、脱出ルートを探していたら、RSタイチの横に、幅2メートルぐらいの細い道を発見♪
そこをバイクで一気に駆け下りました・・・
しかし! 20メートルぐらい先で痛恨の行き止まり!
その後は背後から走り迫る警官隊に囲まれ、キーを抜かれて御用となってしまいました。。。
警官の指示でRSタイチ前にバイクを移動させると、軽く100人以上が捕まっていました。。。
そして、自分のバイクは四条畷警察に没収され、この時点で私のバイクライフが終了したのです。。。
最後に当時の顔出し写真♪
27年も経てば容姿も変わるので、隠す必要も無いかと・・・
しかし、こんな髪型の子、今の時代にはいませんよね(爆)
時代は昭和62年 年齢は17歳。
まだバイクで走りたい気持ちはありましたが、ノーマルに戻したバイクを後輩に売り、
車で峠に参戦する準備に入ります。
頑張って車の資金を貯める為、毎晩遅くまでガソリンスタンドで働きました。
走るバイクが無くなったので、この頃から先輩のAE86の横乗りで箕面の猿天に良く出没する様になりました。
またある時は別の先輩のS30Zで環状に上がっていました・・・
それは全て自分が来年、免許をとった後で乗る車を決める為の勉強のつもりでした。
いよいよ車時代の幕開けです。。。
まぁ こんな感じで今回は終了~。
また機会があれば続編を書いてみたいとは思いますが・・・