2007年01月04日
あなたは「感謝」していますか?
最近テレビとか新聞とかで色々と社会問題とか見るのですが、殆ど対人関係から発生してる事件ですよね。
皆一人で生きてるわけじゃないっていうことに気づいてほしい。
一人でなく、他の誰かがいるから生きていられるのだという事に。
そして、一人でこの世に居るのではないという事に感謝する。己が健康体で居られる事に感謝するということ。
感謝することで片付くのが「対じん関係」なのです。
ここで言う「対じん関係」というのは「対人」「対神」の両方です。
と言っても宗教の話をするわけではありません。
初詣などで、神社仏閣に行ってお願いやお祈りをすることがありますね。
その際、自分の夢や希望をかなえてくださいとお願いするのが一般的だと思います。
しかしよく考えてみると、そういったお願いをするというのは 実は神仏を敵に回すことになります。
どういう事かというと、その行為は今「自分取り囲まれている状況が気に入らない」と言いに行っているのと同じなのです。つまり、神仏に対して文句を言いに行っているということです。
例えば「体のどこそこが悪いので治してください」とお願いに行ったとします。
自分の身体に悪いところが一箇所二箇所ある。
しかし順調に動いている箇所が9998箇所ある。
この9998箇所に対して、常日頃 一回も手を合わせて感謝していないような人が「痛いところだけ治してください」と言いに行ったということは、9998箇所に対する感謝が欠けているという事です。
同じように、「収入が少ないのでもっと増やしてください」とお願いしたとしましょう。
しかしその時、神社仏閣に自分の足で行く事が出来たということは、今日まで食べてこられた、その身体を保つことが出来た、ここまでやってくる交通費も払えた、来るだけの時間的なゆとりも取れた----という事です。
そういった意味で見てみると、ただそれだけでとても恵まれているはずなのです。
本当に恵まれていなければ、神社仏閣に行く事すら出来ません。
経済的に、あるいは身体的に、行く事すら出来ない人もいるのです。
それなのに、もっと稼がせてくれというお願いは、今充分に食べられるようにしていただいているという現実を超え、「もっともっと」「まだまだ」という「驕り」となります。
結局そうしたお願いは、神に対して文句を言っているということになります。
学校や家庭では、神社ではお願いをするものとして教えてこられたかも知れませんが、夢や希望に溢れた生活というのは 考えてみればそれ自体が「あれが足りない これが足りない」と不満を挙げ連ねる事。「もっともっと」と言い続けている事に他ならない。
「感謝」ということの意味を、広く大きく見つめていくと解かってくるのですが、人間は何かが自分の思うようになっていないと、思い通りになっていない事ばかり挙げ連ねるものです。仕事も 対人関係も 健康も。
しかし多くの場合、不足している以外の9999箇所はスムーズにいっている。
それに対して感謝した事があるでしょうか。
何処か不調だったり、お金が上手く流れていなかったり集まってこなかったら、「たまには感謝してみたら?」というメッセージが送られているものと捉えてみてはどうでしょうか。
「ああ、そうか。足りない事をもっと寄こせ ではなく、これまで沢山頂いていたことに対する感謝が足りなかった」と、気づくかもしれません。
しかし、何かが叶ったから、欲しい物が手に入ったから感謝する というのは
実は本当の感謝ではありません。
それは感謝ではなく、ただ我欲が満たされただけに過ぎません。
「感謝」というのは、既に頂いている9999の物に気付く事。手を合わせること。
それが出来るようになると、何かを叶えてくれとか、何かを手に入れたいなどとは考えなくなります。
だから、神社仏閣はお願いに行く場所ではなく、お礼を言いに行く所。
無論、神社仏閣にお礼を言いに行くのも良いですが、空に向かって、宇宙に向かって、感謝する事ができるのであれば、わざわざ出向く必要はありません。
家の中に居ても、車の中でも、電車の中でも、いくらでも手を合わせて感謝する事は出来ます。
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Posted at
2007/01/04 19:33:31
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