
書くか否か、迷いました。
手元に来るまでは、詳細は明かさないつもりでした。
でも、彼は不運にも絶命してしまった。僕と対面を果たすことなく・・・・・。
彼が僕のものになると決まったその時から、僕の忙しいだけの生活に楽しみができました。
いつ会えるんだろう?
上陸の時には会社休みとって横浜まで会いに行こうと決めていました。
だから、僕がこの先どんなクルマに乗ろうとも、彼が居たことを忘れないように明かす決意をしました。
彼の名前は、
AMERICAN SUZUKI MOTOR CORPORATION
KIZASHI SPORT GTS 2011MODEL
アメリカはウィスコンシン州のsommer's Automotiveから売りに出されているのをAutotraderで僕が見つけ、ショップさんに押さえてもらって買ったクルマでした。
6MTでアズールグレーパールなヤツでした。
ガラスはアメリカらしいクリアティントでした。
当然、6速のスティックシフトでした。
スティックシフトでなければ、買うつもりはありませんでした。
そして、拘り抜いた涙モノの屋根付きのクルマでした。
2079mile=3326km。
五大湖の西岸から高い陸送費を払って、やっとの思いでカリフォルニアまで運んできたところでした。
アメリカでも大衆車になれなかったkizashiは、市場のタマが極端に少なく、しかもMTとサンルーフが揃う年式は2010~2011モデルに限られ、さらにその中でマイチェンでスポーツバンパーが奢られたモデルは2011モデルしかありません。
参考までに直近のアメリカでのマニュアルのkizashiの流通台数は全部で”9台”しかありません。
その上、年間走行距離が2~30,000km走ることが珍しくないアメリカにおいて、2年落ちでもローマイルの個体は殆ど市場にありません。こいつは20,000mile=32,000km走行の中古でしたが、それでも走行距離は少ないほうで、基本的にはこの程度の個体ですら普段は流れていません。
そして、当然ながら向こうにも変態が居るもんですから(笑)、僕より時差などのハンデが少ないアメリカ人とも競ってタマを押さえに行かなければならないので大変難しいのです。
サイトに1日と掲載されなかったタマも見てきました。
ホントお金なんかの問題ではなく、希望の物件に出会うのが本当に本当に大変なんです。
1年かけてやっと、この夏日本の陽射しの元に上陸するのを心から楽しみにしていました。
重度の鈴菌感染者であり、USDMの世界を知って早4年。
やっとスズキ魂を胸にサイドマーカーを光らせ、サンルーフを開けてハンドシフトしながら
クルージングが叶う日が見えてきたところでした。
なのに・・・。
カリフォルニア州に入るか否かの道中、
このクルマ含めお世話になっているショップさんが買い付けた6台のクルマが積載されたトランスポーターが事故に巻き込まれ横転、大破しました・・・。
保険無加入のメキシコ人が運転する車が引き起こした事故に巻き込まれ、彼は息絶えたのでした・・・。
輸送保険に入っているとはいえ、数千万円の損害が出た為ショップのオーナーが急遽渡米し、現地法人の先人に立って状況確認をしてくれましたが、証拠物件として差し押さえられた事故車両たちは警察に押収され、その姿を直接確認することすらできなかったそうです・・・。
本当に本当に悔しい。
・・・・・トップ画の写真は私の今年のYBMで披露したツナギの右胸に自分で付けた、アメリカのビールメーカー、"Pabst Blue Ribbon"社のワッペンです。

このPabst Blue Ribbon社はこのkizashiを見つけたウィスコンシン州発祥のビールのメーカーで、回りくどいですけどウィスコンシン州へのリスペクトを込めて胸に掲げることにしたのです。
このツナギが81からkizashiに乗り換える架け橋になる願いを込めて。

また、高校生の時スケーターシューズのNIKE SkatebordingのNIKE AIR ANGUS SBのPabst Blue Ribbonモデルを履いていたこともあって、ちょっとした縁も感じていたものでした。
(写真は現物。汚らしい写真でゴメンナサイ)

他にもウィスコンシン州の都市ミルウォーキーの野球チームの”milwaukee brewers”のNEW ERAキャップやウィスコンシン州のスポーツマスコット、”Wisconsin Badgers”のグッズを揃えてウィスコンシンへの想いを馳せ、kizashiを迎え入れるつもりでした。

何気にHARLEY-DAVIDSONやSnap-onの本拠地もあり、モータリゼーション色の強いウィスコンシン州自体に興味が沸いていたところでもありました。
でも、罪のない我々の思いも、たくさんの人たちの協力の結晶も粉々に打ち砕かれてしまいました。
もし僕が日本に連れて帰ろうとしなければ、彼は事故に遭わずに済んだ。
まだまだこの先100,000mileぐらい、北米大陸を走れたのかもしれない。
そう思うと、悔しくてなりません。
水子供養と言ったら怒られてしまうかもしれませんが、僕はこの先もこのツナギのPabst Blue Ribbonのワッペンを剥がすことはありません。次のクルマがどこの国の、何になったとしても剥がさない。
彼が居たことを忘れないために。
でも、彼を失う中で築いた一つの縁、一つの奇跡があります。
それは、自らも損害を受けた被害者の立場である運送会社の社長さんの粋すぎる計らいです。
『日本のカスタマーが待ってるんだろ?全米どこからでもタダで運んでやるから次のタマ早く探してきな!』
と言ってくれているのだそうです(涙)。。。。。
本当、書きながら涙が出そうです・・・。
だからね、僕やっぱり次のクルマを何にしようとも妥協は絶対にしないと決めました!
星になったkizashiが報われるように、僕自身頑張ります☆★
Posted at 2013/06/12 23:28:43 | |
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