鳥取側から再びベタ踏み坂を登り、島根県側へ。
現存12天守のうちの新たに国宝に選ばれた松江城へ向かいます。
朝の9時を回った所ですが、既に大手前駐車場には満車の看板が。
駐車場空き待ちの車の行列が(━ω━;
城郭の南東側から大手門に向かって歩きます。
左から千鳥橋、南櫓、中櫓、木の陰ですが太鼓櫓。

築城主の堀尾忠氏さんの銅像。
※1600年 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏が、24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。
月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、亀田山の末次城跡に近世城郭の築城を開始。
1611年冬、松江城が落成。
大手門跡。
復元の為の資料を探しているということで、提供すると500万円ゲットのチャンスです。

大手門から振り返ると、中櫓と太鼓櫓が。
ここから階段を登っていきます。
最下に二の丸下の段。
階段を登って二の丸。 更に登って本丸と段丘状に連なっています。

ニの丸には復元された櫓が三棟あり、全て中に入って見学する事ができます。
二の丸に続く石垣の途中にこんな石が(・ω・` )

分かりやすい説明書きが。 堀尾家の家紋のようです。
※松江城の国宝指定は悲願であったが、2012年に松江神社で国宝指定に重要な、築城時期を特定できる「慶長拾六年正月吉祥日」などと書かれた祈祷札が見つかった。
2015年7月8日 官報告示をもって松江城天守が国宝指定にされた。

本丸 一の門。
ここを通り、登閣料を払うと天守内部に入ることが出来ます。
本丸庭園から見た松江城天守。 どっしりとした外観です(-ω-` )
複合式望楼型 4重5階地下1階の木造で、山陰地方で唯一 当時から現存する遺構です。

天守入口には附櫓があり、防御力を高めています。
※堀尾氏以降、1634年には京極忠高が入封するが、急死し廃絶。
1638年、 信濃国松本藩より松平直政が18万6千石で入封。以後、明治維新まで続く。
天守内へ入ります。 珍しく閣内撮影可能です(>ω<;)
取り替えられた天守の鯱。 木型に銅張りのようです。

梯子段はご多分に漏れず急傾斜ですが、幅は広くゆったり登れます。
松江城下のミニチュア模型がいくつか展示されていました。

最上階の天井。
クレーンも無しに、こんなものを組み上げるなんて驚きですね(>ω<;)
※松平直政は徳川家康の孫にあたり、1614年からの大坂の陣に出陣し、冬の陣では真田幸村が守る真田丸にて戦った。
この時は若干14歳での初陣であり、その勇敢な若武者振りに幸村は軍扇を投じてこれを賞した。
夏の陣では忠直に従って活躍し、忠直軍は敵将・真田幸村をはじめとする多くの敵将兵の首を獲り、大いなる戦功を挙げている。
1633年 信濃松本7万石へ加増移封となり、松本城に月見櫓、辰巳附櫓を建てた。
これは将軍徳川家光が上洛の帰路に木曾路を経て善光寺参詣の後、松本に立ち寄る予定だったためという。
天守から宍道湖を望む。 吹き抜ける風がすごく涼しかったです。

一般的な天守は、天守台の礎石から上階まで貫く長~い通し柱を用いるのが普通です。
パンフレットによれば、松江城は2階分を貫く短い通し柱を複数分散配置して建てられているとか。
その為、内部が広く どっしりとした外観になっているんですね(-ω-` )
帰りの道中は、こんな感じに…

3日かけて2300kmを移動。 これだけ走ったのは初です。
名城「上級」に続き、今回で現存天守「上級」をゲット。

ついでに県庁所在地「上級」のゲットしました。
う~ん、かなり色が付いてきたなぁ(-ω-` )
Posted at 2015/08/09 09:30:43 | |
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アクア | 日記