白河城からは下道 289号→118号 で福島県「会津若松城」を目指します。

ところで、途中の田んぼ沿いにあったガードレール(・ω・` )??
なんかガショーンって、変形しそうな感じの構造だったのですが、ご存知の方いらっしゃいます?
↑コメントにより「地吹雪ガード」「防雪柵」と判明しました。

このようにキャシャーン!と2mほど倒立し、地吹雪から守ってくれるそうです(>ω<;)
さて、若松城に到着。 西出丸跡が一般用駐車場になっています。

「東北三名城」を冠する見事な石垣(>ω<;)
会津若松城(別名:鶴ヶ城、黒川城)きたー!!
コンクリートの再現天守ですが、天守台下から見上げた姿が美しい三角形を描きます。

城内あちこちで見かけた このコラボポスター(・ω・` )
城姫クエストという城擬人化ゲームのキャラクターのようです。
©KADOKAWA CORPORATION 2014 © GREE, Inc. ©AZITO Co.,Ltd.
ちなみに松本城はこんな娘でした。 別名:鴉城だけにカラスがペットなのか!
若松城はキャラクター人気投票で1位になったそうです(>ω<;)

天守脇の券売所でしっかり「城姫クリアファイル付き」限定チケットを購入するヲタの鑑(>ω<;)
(実はクリアファイルは城内の御土産コーナーにも売っていました)
※1384年 蘆名氏が東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。
蘆名氏と連年戦いを繰り返していた伊達政宗は、豊臣秀吉の制止を無視して蘆名氏を滅ぼし1589年、黒川城を手にした。
その後、蒲生氏、上杉氏と変わり、伊予松山より加藤氏が入封。1611年に起きた会津地震により倒壊した天守を今日に見られる層塔型天守に組み直した。
3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封すると、以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城となった。
※1868年、戊辰戦争の際には会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえたが、損傷が激しくのちに破却された。
会津藩が組織した白虎隊は若年兵であり、本来は予備兵力であった。圧倒的な物量で迫る新政府軍に対しては劣勢は否めず、玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく白虎隊は各防衛拠点へと投入された。
一般的に鶴ヶ城周辺の火災(もしくは煙)を落城と誤認して悲観したとされるが、実は城が焼け落ちていないことを知りながらも、敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという。
天守内の展示物は撮影不可なので、天守閣回廊から見た鉄門(くろがねもん)を。
赤瓦葺が特徴的なお城ですね。 カラー的に乙女っぽい感じもします(-ω-` )

会津に来た目的は、もうひとつ。 以前の
蕎麦オフブログで書いた高遠ソバです。
お城からほど近い、そば処和田さんに到着。
メニューを見るとありました! からつゆで食べる「たかとうそば」

会津産の自家栽培・自家製粉の手打ち十割そばです。
まずは蕎麦のみで味わったのち、大根のおろし汁で頂きます。
辛いんですが不思議と蕎麦の甘みが引き立つんですね(>ω<;)
更にお好みで醤油を足したり(焼き味噌ではなかった)ねぎやわさびで味を変えて楽しみます。
※信州伊那谷の高遠城主 保科正之は「からつゆ(大根おろしの汁に焼味噌を入れたつゆ)」で食べる「行者そば」が大好物だった。
※高遠3万3千石から会津23万石へと加増転封する際、人数の少ない大名行列で会津入りするのはカッコがつかないと、家臣と共に多くの職人・百姓衆も連れて行った。
その時に「高遠そば」も一緒に伝来したと言われる。
…意外なところで長野と福島に繋がりがあったんですねぇ(>ω<;)
東北城攻めは まだ つづく…
Posted at 2015/11/24 21:40:49 | |
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アクア | 日記