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kotaroのブログ一覧

2014年05月31日 イイね!

昔見た変な車

昔見た変な車5月は記事を13本書けた。
しかし面白い記事が書けているか
反省も多い。




1980年代の初め頃に見た変な車たちである。










車は今でもどこかのイベントに行くと、ひょこっと同じものが
出てきそうな気がする。

しかし同じ時に撮った鉄道車両を並べると、どんなに昔のことなのか、
判るような気がする。





Posted at 2014/05/31 04:18:12 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年05月26日 イイね!

cafe UNOの話題

私がお勧めスポットに取り上げている
箕面の171沿いの喫茶店の近況を、
ちょこっとある情報で知りました。
6月15日で今度こそ本当に閉店されるようです。

僕がここを知ったのは、この春から大阪を離れて
福島に出稼ぎに行ったクルマの友人経由です。

彼らは80年代のサーファーブームの中心で、大阪ミナミが
活気と話題にあふれていた頃。毎日が何時間あっても足りなかった
頃の、リアル世代なのでしょう。

僕は遅れてきた青春の人なので、うらやましく話を聞いたものです。

また一つの時代が終わろうとしています。
僕は、見ているだけです。
泣くこともしませんが、自分も55才前になり、感慨深い年です。

知っている人も、知らない人も、興味が湧けばひと月以内に
一度訪ねてみてください。
タバコの臭いの駄目な人は勧めませんが
男と女とバイクと旧い車の似合う店です。

https://minkara.carview.co.jp/userid/176891/spot/467873/

マスターありがとう。
長い間ご苦労様でした。

追記

9日に行ってきました。
チャリンコこいで、いつもはコーヒーだけど
ビールを口にして昔話もしてきました。
僕のブログ等を読んだのか、最近初めての人がけっこう来ると
ワラッてられました。
こんどの日曜日で平成元年以来の歴史を閉じられます。



Posted at 2014/05/26 06:46:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年05月25日 イイね!

タイからの便り第3便

タイからの便り第3便日本車が大きくなって
失って行った皮膚にぴったりの
服のような、タイト感。

今回の海外で見て来たのは
不要に大きなモノスペース車ばかり
走る日本の現状と、
趣味的な楽しさを失って行った
日本人の心の孤独に付いて
考えていた。

白いマツダのセダン。
これの先代、先先代って何だろうかというと、これである。



マツダの1シリーズ。
日本ではキャンバストップが、バカウケしてヒット作になったフェスティバ
ですね。
これのノッチバックトランク付きセダンが、オートザム・レヴューだ。


(この写真のみ1996年マカオで撮影)

衝突時の安全性の基準等で車が大きくなるのは、人間的な道義性の感覚より
損保会社という存在と自動車メーカーたちとの兼ね合いや綱引きで、
あとは燃費等の改善を含めて、「それが進歩」と考える工学見地のさじ加減で
こんなに小型自動車が大きくなってしまったのだと思う。

先進国で20年以上前に、尊大に大きくなったMBのSクラスの批判が出て、
それの衝突安全基準で、他の中小型車も“ぶつかり負け”をしないように
身構えて防衛するために小型車が幅広になったとの、考え方もある。

核兵器には核武装みたいな物騒な発想は、禁物なのだが自動車行政も
他人事ではなかった一つの例である。



民家の路地奥に居るのは手前がルノー21。奥がボルボ140シリーズだろう。



これはルノー19で日本ではハッチバックとセダンと、両方売られた。

鮮やかな緑のボルボ244は、チェンマイ大近くの住宅街で見かけた。



ゴールドの244は、最初に見せた古いフィアット・132と同じような性質で
これも華人の年輩層の愛車ではないか。いかにも富の好きそうな色である。



まず国の発展と車類を考えると、日本を例にとろう。
賓客の送迎用の乗用車が要る時代に続いて、荷運びのトラック、
それから乗用車の普及になり、2/4ドアセダンの時代が来る。

それから遊び用のクーペやハードトップ、コンバーチブルの順だと
大まかに想像してもらって良いのだが、日本の2ドアクーペは
貧しき時代の2ドアセダン代用の時代が、まずはあった。

だから本来は分離された階層車である2ドアクーペまがいの2ドア車が
日本には多くあったので、少し笑えない。

今のタイにもこういった、ヒュンダイのエラントラのような2ドア車が
走っていた。



クルマ文化というのは、成熟するものであり、そのパタンは早生か老熟か。
日本は戦後、米国に範を取ったため、やはり急な成熟過程を遭遇した。
その後、米国流から距離を置いた。石油ショックとその後の15年くらい
である。

ヨーロッパは、階層と個性が確立した世界に近いので、あらゆる顧客に
対応する用途というものが存在する。
市民化とかシティ化、シビラリゼーションの要素の中に、各自と言う
核があるので、安直な統合(インテグレーション)は好まない。

だから今でもクーペは高級顧客層のために存在するし、日本の轍は踏んでない。
フィアットのような大衆車メーカーでも、クーペフィアットまでは、ニッチな
中型クーペで気を吐いていた。



日本車は今は何を見ているかと言うと、最後の社会主義のような最大公約数
の幸福だと思う。モノスペース車がファミリーカーというのは、例えば家族、
保育所に通う子供、介護施設に向かう高齢者も、運ばれる、モノに過ぎない
という思想である。

それではイカンだろうというのが、私のような少数派マイノリティーの
意見である。
人間を粗末にすると必ず報いが来る。仏教国でない外国だって宗教はある。
日々の暮らしに使う道具が、単彩な機能で味気が無いと、暮らしも
味気ないものになりがちであろう。



アジアは若い。今、最初のモータリゼーション20年を経て、これからいかに
成長するのか。
先進国、日本を範にしているが、現実も知っている。
袋小路に入ってしまい中々抜け出せない日本は、個が有機的に動きにくい。
全体の価値観が、支配する世間というものが、キリスト教圏の神や
インドやタイのような、偉大なものは自然であり、投影したものが
それぞれの国の宗教になっているワールドとは、明らかに異なっている。

僕は日本人が大震災のような時にでも、略奪暴動が起きないのは
日本人の質が良いような意見には、やや疑問である。
非常時の時に信じていい価値が無くなると真空になる。
我れ先な行動が排せられることも、よいことなのかも知れないが、
ちょっと違うのではないかと、考えている。

この項は、もうちょっと続けて書いてみよう。




Posted at 2014/05/25 14:30:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年05月05日 イイね!

しがらみとこだわり

しがらみとこだわり少し刺激的な行事をやって反応も良かったが
一部からのリアクションに疲れてしまいました。
ネットにはそういう毒もあるということ。

比較的毒の薄いメディアでやっていくのがいいのか
きょうはこちらに戻りました。

このところ忙しかったなあと思います。
さらに毎日のように人と会い、話を聞いて、あちこちに
連れて行き、人を喜ばせたり、堪能させたり。
その間で弱って行く命のことも、気がかりなままです。
私はいったいどこに漂流していくのでしょうか。

本来は世間的なしがらみから、隔絶して、ぼんやりと空虚Vacancyを
楽しむことがバカンスなんだろうと思います。

クルマの話題でも楽しむことにしましょう。
アルファ75は快調です。
それからこれまでの私では避けていた渋いカラーが、気に入りつつ
あります。

今年に入り、4年前からスタートしたみんカラブログですが、執筆陣と
いうか、平行して書いておられる御友人たちの文章や内容に、微妙な
変化が起きていることを感じております。

ハイオクがリッター170円を超えた消費税上昇で、さすがにクルマ万歳的な
言説が減りました。
ガソリン代は1980年代の一時期も随分上がったことがありましたが、
学生だったので乗っていなかった。
最近、インノベーションに関する本を読んでいます。
先の知れた人生の時間に必要か?と聞かれたら、わからないと答える方が
素直なのですが、守旧と頑迷固陋は、ときに人を不快にさせます。

まだ判らないけれど夢が少しでもある方が、良いのではないかと思うように
なりました。
以下表記は普通にイノベーションと合わせますが、自動車のゆくえについて
今後、画期的な発明や発展があるのでしょうか。

漠然と今は、そのような空気が流れているので、自動車のことは語りにくい
自由でない固い気持ちが徐々に広がりつつあるのだと思います。

イノベーションの前に産業構造が大きく変わり、日本は遅れをとった
そういった共通認識があったりすることが、これまででした。
またここで、その認識はマスメディアが流す空気のようなもので
一体本当の日本はどうなんだ、そのことに多くの日本人が迷っています。

パソコン、携帯電話、デジタルカメラ、iPodとiPhone。ここまでの
基盤となる個人情報通信手段の進化は20年くらいでした。
これを生んだのはイノベーション産業であり、おいて行かれたのは固定電話、
フィルムカメラ、オーディオ産業、テレビジョン、ラジオ放送、様々です。

これまでの花形で仕事を得て、自分の仕事に誇りを持っていた人ほど
凋落に傷つき、今の時代に答えが見つけられなくなっている。



たかが、といっても20年ほどの社会変化です。勤勉な日本人は、
明治維新とかの社会変革に答えや例を求めようとして、本を読みます。
普通の人が働いている時間って、これまでは短くて30年前後でした。
年金や老後の計算式はそこからスタートしています。

共通項の価値観なんて30年くらいのスパンではないでしょうか。
人の命は、80年と言われても健康に社会活動できる時間は限られています。
寝たきりの時間の医療介護は健康保険で負担内なのでOKと家族が言われても
ただではなく、健常な人たちの保険料でがっちり支えられているはずでした。

がっちりが少子化で、危なくなっている。きょうは子どもの日ですから
余計その意味について考えさせられます。
生産的な仕事に就いていない私は、がむしゃらな20年弱に3人育てました。
余裕は全くありませんが少し涼しい気分で記事を書けるのは、悲嘆より
希望がある方が好きなだけです。

さてイノベーションって、これからの社会を牽引してくれるのか。
危険とは思いませんが賭けに近い。
こだわりは不要という言説とあった方が良いという意見、よく聞かされます。
自動詞・他動詞の使い方で、こだわらない方が良いという説明も読みました。

私はこだわり派だね?とよく言われるので、あいまいにはいと答えています。



最近の私は、以前ほど、昔へ帰りたい病は進行していないかもしれない。
昭和な家に住み、市場で野菜を選んで買い、気の置けないコミュニケーション
で暮らせていれば充分だと思っている。

Posted at 2014/05/05 04:14:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年05月02日 イイね!

静かなるゴールデンウィーク

静かなるゴールデンウィーク昨夜遅くになじみの立ち飲みに行くと
競馬好きが一斉に予想を聞いて来た。

4月の皐月賞で、イスラボニータを単勝で
的中させて全くの競馬素人から、
kotaroさんは実は競馬通に、みんなの
見る目が変わって来たからである。

私の競馬知識は、10年前に居た「夕刊フジ」
の仕事で競馬原稿を読んで、見出しと体裁を作って以来である。


「イスラボニータ」、競馬を知らない人でもマドンナのラ・イスラ・ボニータと
いう20年前の曲を、ちょっと思い出すかもしれない。

いい名前だなあと思ったのと、SS系(サンデーサイレンス祖父)より
フジキセキの名前を思い出して、距離や相性を想像する。
その程度の予想だ。


昨夜も大阪まで人に会いに出掛けて来た。
15年ほど前に、共通の車の友人がいて、一緒に楽しく遊んでいた。

その共通の友人をこの年明けの厳寒の季節に亡くし、悄然とする一人の方より
久しぶりに会いませんかのお誘いが、私のところにやってきた。

私はなかなか思い出せなかったが、たぶんランチア繫がりなのだろうと、
一番のランチアフェンの別の友人に聞いてみた。やはり予想通りだった。



今年のゴールデンウィークは、天候がからっとしない日が多く、
この日も昼は晴れていたが、夕方から雲が多くなった。

新しくなった阪急の2階の歩道橋入口付近で待ち合わせする。
真下に大阪一交通量の多い横断歩道。
この下や、梅田駅のビッグビジョンの前で待ち合わせするのは、好きでない。

歩道橋は昔は人の流れが多かったが、阪急が建て替え工事で8年くらい遮断し
今の駅からの流れに変わってからは、2階から入る人は、阪神に面した南西
入口中心に変わった。私は北西のJRに近い眺めが好きである。
だからまだ人の思いつかない、ここを待ち合わせによく使う。

私を待つその人は、ほどなく現れた。
やはり私の書いて行っている物を多く読んでくださっているらしい。

フィクションと、ノンフィクションは、断らなくても読めば判る。
私のスタンスは、大人の人なら想像してもらえれば、楽しめるように
書いている。

どこに行きましょう。
19時という時間は、まだバーに入るには早い。
阪急が百貨店屋上で、今年から再開したビヤガーデンに行きませんか。

私の提案に、それも面白いと、男性は頷いてくれた。
より、天に近い場所の方が、彼を偲べるかもしれません。
するすると上がるエレベータに、25年前の阪急の重厚さは無い。

最近建て替えの進む大阪の名建築であるが、ここも随分思い出のあった
昔の建物から一変してしまった。しかし新しい場所で思い出を話すのも
悪くないと、私は思う。



昨日同席したご友人とは以前にもどこかでお会いしたことがある。
私の持参した昔を偲ぶ写真にもご本人が写っており、ようやく記憶の線が
ひとつにお互い繋がって来る。

ああ、この時のクリスマスパーティー。
青二才から中年になりかけた私が、髭を生やしている。
心斎橋にあるイタリア本格のミラノ料理店だ。
故人が乗って来られたランチア・デドラが、写真の背景に写っている。
私が「イタリアのプリメーラ」と何度もやじったこともあったっけ。

少し寒いビヤガーデンだったが、ようやく会話が弾み出して思い出の
歯車が回り出す。
値段は普段行く店より高いが、阪急のビヤガーデンは綺麗で清潔だ。

客層も上品で、サービススタッフが、他の場所とは全く振る舞いが違う。
上品や洗練を何より愛した友人なら、この場所で飲むことがきっと
気に入っただろうと、思う。

私は、前の日の酒が、少し残っており、体調がすこぶる恬淡には
なれなかったが、その2時間前にその日最初の食事を自炊したのが、
胃に残っており、普段のように飲み食いできなかったのが、セーブになった。

夜の最後で行った近所の店でそのことを話すと、ビヤガーデン行って、もとを
取れないと、意味が無いでしょうと笑われた。

だが昨日は、偲ぶ日だったので、3900円の半分の2000円分くらいしか
飲食しなくても、気持ちは充分に堪能できた。

故人のことなので範囲はとどめておくが、一番の遊興の友人であった
男性の談を聴くと、想像していたのよりずっと活発に、遊んでいた晩年の
彼の姿に驚く一間もあった。

人間の素顔は、何人もの人の証言を集めないと判らない。
この夜に声をかけているもう一人の友人、この間会ったお母さんのお話。
学生時代から仲間だった人のコメント。皆意見が違う。
これは僕は立派な取材だと思う。
人を偲ぶと言うのは、悲しいや、悲痛だの感情でも良いが僕は客観的に
評価をしてあげるのが、追悼だと思う。

でないと、ここまで出て来て高い飲食をして、だけに終わってしまう。

空がついに細かな涙雨を上から落として来た。
寒いなあと思いサービスで借りたブランケットを膝に掛ける。
でもそれ以上にならなかったので、ラストオーダーの時間まで居られた。

今日参加したいと言っていたもう一人の友人が終幕近くに現れる。
電話とメールが届いていたのに、話に夢中で全く気付かなかったようだ。



夜らしい時刻になったので、少し歩いて梅田では外しえない一軒に行く。

ここは本格のバーであり、ちょうど善い位置に三人が並べるカウンターが
空いていた。
先日のお悔やみに一緒に行った友人が加わり、物故から時間も経ったので
もう少し色づけの変えた話題で、彼の生きた軌跡を辿って行く。
我ら男性子が胸に期するのは、家族らとの関わりである。

ここに居ぬ彼は、何を思っての過ごす日々であったであろう。
その、きつさ、厳しさを乗り越えないと、男の人はたいてい、無気力や
投げやりと言った生き甲斐を見失うことになりかねない。
私を含めた3人の生き方も、人生も、家族のピースも異なる。

男の酒は、何を思っての味であろうか。
大分酩酊の始まったビジネス風の男性客二人が、半沢直樹のような会話を
隣で絡み合っている。
会話の内容は他愛も無い、会社に残れるのかといったものであったが、
実際は50歳を前にした年齢だと判り、今の時代の風の冷たさは、奥まった
バーの片隅にも吹いている。

働く、暮らす、生きると言ったテーマは、今の時代なかなか見通せない。
バーの話も尽きないが、10時半には席を立って、一番遠い人の交通を思い
やった。

私が今やっているいろんな活動は、いつかは形となり繫がりであろう。
昨夜最初に会った方の職種も判り、私からお願いしたいことを話すと
了諾していただき仕事の名刺もいただいた。

これからの時代は、つながりを大切にしないと、人生が回らなくなる。
これまでの同じ会社内でのお付き合いとか、同窓生の薄い繫がりのことを
言っているのではない。
社会が穏やかであった時代は「なんとなく」の繫がりでも老後を楽に
楽しむ程度の、生き甲斐には役に立ったかもしれないが、今は違う。

血縁親族も時と場合においては、いがみあいの原因ともなり大幅に損害を
生じさせることにもなりかねない。生活保護法の根拠となる民法前提の
親族の扶養義務がいかに時代感覚からずれた旧弊な押しつけ義務かで
想像がつく。

だから、これからの時代をサバイバルするのは、「役に立つ」つながり
だけである。
なあなあの付き合い、会社には行かないといけないが、これも時に突き放し
考えてみたって良い。

自分に何が出来るか、自分が他人に何を期待されているかで、人間は
これからの世の中で、どう生きて行けるのかが判るであろう。

最後のバーを出た後に、連れて行った店のことが判った友人氏は、
「ありがとう」とにっこり理解された。

男の夜の色は、年を追うごとに濃くなっていく。


Posted at 2014/05/02 05:16:27 | コメント(4) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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