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2018年11月04日 イイね!

乗らない自動車に関して何が語れるだろうか

乗らない自動車に関して何が語れるだろうか









休日の朝に早く起きて、お気に入りの車でドライブ。
そんなことと気持ちから遠ざかり長い。
1990年代の最初の頃に、そういう感覚の記事をよく見たから
四半世紀前に確立した共感だったのだろう。

できれば、クラシックなクルマに火を入れて、暖房が効いて来ると
水温が温まり、人間と生き物のクルマが一体感になれる。そんな時代感覚
だったのではないか。



私は最近、夢が欲しい。
だってあまりに現実ばかりで、暮らしが味気なさ過ぎるから。

60前で夢想は簡単にできる。しかし現実で計算すると、あまりに夢がない。

夢というのは、叶うことを考えることである。



金曜日に、息子のところに仕事の後で行った。
息子は電車で1時間以上かかる場所に離れて住んでいる。

私の一家は、10年の間に離ればなれになり、ばらばらで暮らしている。

子どもたちはとりわけ、別れた母親の影響が強く、今でも
教義のように隠忍して、別々に暮らしている。

息子は唯一、心の一部を開いているので、鍵を貸してくれているので
マンションに入り、帰って来るまでの間に、私はハンバーグを手製でミンチから
捏ねてつくり、あとはカレーライスをつくってやった。

ふと思うのだが、私は家族と暮らしていたから、クルマに乗せることが
楽しかった。
老後も、その頃に想像していたが、現実は違った姿に、今はなりつつある。



久しぶりの「おやじメシ」は、何も言わなかったが、孤独な労働と生活を繰り返す
息子の心に、一つの灯りを点けたようであった。



私は、何とか一人で10年生きて来たが、今とても苦しい。

経済的な理由と、親族が居なくなったことが大きい。


母親が数年前に他界して、その直前に姉が57歳目前でいなくなった。

もう親の世代で存命なのは、90歳の叔母だが、今月から施設に入居した。

息子たちが学生時代から一人で暮らすようになり、最初は援助も出来た。

今の私の経済力ではとてもできない。


反対に小金を出してもらう立ち場になったのは、私の方である。


私は今、何も必要でない。
配偶者もないし、新たに求める意欲は、テンションが全く下がってしまい、
クルマも乗らないし、旅にも出ない。墓参りくらいである、この半年は。

こんな生き方だから、思い切って働こうと言う状況にないので、
収入も全く少なくなって行った。


生きることを辞めたいなと思う時もあるが、死んだら人に迷惑がかかるから
生き続けているだけである。



しかし世の中を見渡していると、我が家だけのことでもないように、感じる。

今の日本は90年代が終わって、ほぼ20年経った。

その時代は、仮に20代30代の人びとは今、中年後半に差し掛かり、
毎日が反対に苦痛に満ちた、楽しいことが減って行った時代の後で、
私と同じように「死ぬことは迷惑」だから、寿命が尽きるまで、
生き続けるだけの、暮らしに行軍しているのだと、ある日気が付いた。



ネットを見て、政治や、外国の悪口に賛同というか、共感レベルでもなく、
なんとなく憂さ晴らしを、一瞬思う程度。のめり込んだら「ネトウヨ」とか、
左翼、とレッテル貼りされるのも、どうでも良いが、関わりたくない。


政治運動なんてするのは、あのウトマしい、上の世代と一緒になるのは
間違ってもされたくない。といって今の政治は、全く庶民の感覚と逆向きで、
まだ10年前の民主党の時代は、高速道路は大サービス料金だったので、
遠い旅に行くのも、若くて可能だったなあ。

そんな一昔前を思い出すと、苦笑いの現実に、また心が寒くなる。


ふとクルマって、要るのであろうか。年金が何十万もあるお爺さんが
プリウスの新車を買って(買える経済力があるので)、一方通行を逆走
したり、アクセルとブレーキを踏み間違えて、大事故を起こす度に
罪作りな乗り物だと思う。


年金が20万以上ある高齢者は、働かなくても貰える。
反対に死ぬほど現役世代が働いて、月に手取り10万ちょっとなんて、
おかしいのじゃないだろうか。
寝たきりの老人でも年金が何十万も貰っていることを、次は公表しなくては。

透析しっぱなしでも健康保険料は負担が軽いとか。


夢の話のはずだったけれど、チョット過激になったかな(笑)。




でもボクが書いていることは、プロパガンダでもなく、
単なるエッセイと現実なんだ。

そんな時代に、(若者の)クルマ離れなんて言っている、トヨタを代表とする
大メーカーとか、マスコミの記者に、共感が行かなくなって、人心と乖離
してしまったことは、当然の帰結では、ないだろうか。


マスコミも今は楽で無いのだから、クルマを贅沢品から引き摺り下ろして
違う定義付けを仕事の最初にしておくべきであったが、
何を取り上げて書くという、動物的本能すら失って長い。またその後に
入社した新人が、中堅になっても、取材能力や、本来のマスコミの役割すら
感じなく、欠落している惨状にすら、気付いていない。



さあクルマに未来はあるのか。
僕は無いと思う。

クルマの趣味の未来は、これも限りなく遠い。

日本の社会の中で、趣味に時間とお金を一定に割くことが、本来は普通になり、
その中で文化の醸成と、物質でない方の豊かになっていくこと。

多くは心の中であるが、これが余りにも今は薄い。

大きな間違いは大学の改革や、教育の失敗だろうと思う。
文科省批判じゃなく、家庭内のことも含めて。

では、クルマはどうあるべきであり、まだ救いの道はあるだろうか。


思い切った規制の撤廃で、自分で作って乗っても良いとか、
あらゆる諸負担を全部無くしてしまうとか。

そんな恐ろしいことになれば、道路や路面交通は無法になるという小説の世界。

その代わり、各個人が自分で学んで、トラブルが無くなるような制度を
民間に任せるか、原点に戻るだけである。

そのくらいリセットすれば、「クルマに乗りたい!」
と思う心が、再び芽生えて来ないだろうか。



Posted at 2018/11/04 08:23:25 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2018年10月14日 イイね!

エレクトリック・ランデヴー

エレクトリック・ランデヴー











今日は久々にギターを使って遊んで来た。

隣の街で、私の関わる団体が、社会的実験をやり、「コト」を持ち寄って
物物交換をするという試みである。

厳密ではないので「モノ」を持って来た人も居たが、それを使って何が
他者にサービスできるか、というような試みである。

私はメッセージボードに「リクエストに応えて一曲演奏して、一緒に歌います」
というような遊びを堤供することにした。




ところで、アンプラグド、電気の要らないギターは屋外どこでも持って行ける。

この素晴らしさに、早くから気が付いていたが、私が人前でギターを
弾くのは滅多に無い。

そんな一日を終えて、家に帰り、今日一日を反省しながら、
こんな文章を読んで、いろいろ考えていた。






私は自由と言うことについて、いつも意識している。

何からの自由にしても、そこに至るまでの道のりがあり、最初から自由
という言葉があったとしても、それは思い付きに過ぎない。

今は個人的に金銭が足りなく、毎日苦労しているが、その考えに追われると
他の大事なことを考える余裕が無くなる。

自由とは、余裕を持つことなのでもある。だが少し違うと思う。



で、今年大変だったのは、電気のことが一番大きかった。
台風や大雨、地震の被害がこれだけ続いた年は他に記憶が無いのだが、
今夜は上記リンクの記事を読んで、ハッと思った。

私たちの暮らしは、今恐ろしい方向に傾斜しているのでは、ないかということ。

2枚目から30年くらい昔の写真を貼っているのは意味が有る。

今年は停電が、各地で多く発生して、困った人が多かったこと。
その後にいろんな議論が出た。

北海道の大規模停電は、今原発を停止しているから、これだけ大規模な
被害が出たと言う意見も多く出たし、ここでは議論しないが、原発推進、
容認派の人は、真っ先に理由にした。

だが、気が付くと、私たちの暮らしは、30年前に比べて、驚くほど
電気なしでは暮らしが成り立たなくなっていないか。




昔は、鉄道の幹線でも非電化は、地方に行くと残っていたし、電化推進は
90年代くらいまで、「悲願」の立て看を、地方に行くと線路脇に見かけたものである。

その頃は何の痛みも感じなかった電気なし物件が、いま、電気が止まると
たちまちパニックになるものが多い。

まず住居が最たるもので、タワーマンションはエレベーターも、水道の揚水ポンプが
動かないと、水も断水する。

スマホも、当座は使えるが充電は一日くらいで無くなり、数日以上の停電が
続くと大変不便なことになる。

家電を廃止している人も現在は多い。通話機器は、停電でも使えるひと昔前の
ものが、結構少なくなって来た。




カメラもそうであろう。フィルムと現像と言う時代は、すっかり過去になったが、
充電電池があるから、デジカメは駆動する。

しかしアナログの時代、家で現像できたら、イメージングの仕事は電気なしで
済むことも出来たのである。


パソコンで文章を書くのは、当時無かったから、電力使用前提であるが
書くことは、電気以前からの筆記用具で用を足すことが出来る。
私はまだ、紙の手帳と万年筆を併用している。

手帳を廃止した時期は短期間で、後から記録を検索するのにいちいち
パソコンを立ち上げたり、最大の誤算は消滅があるから、手帳を復活した。


最後の大物が自動車である。



次に電力不可欠になるのが、一部はもうなってる自動車だと思う。
ハイブリッド電源、もしくは完全電気自動車は、未来の象徴に見える。

しかしこの流れを、ある意味危険なことかもしれないと思う。
こんな思いを持ち始めたのは、つい最近のことではあるが、
PIHVになり、家でもコンセント充電を謳う時代に、「まてよ」と思うように
なったのは、
災害時に乗れるクルマが、一番クルマらしい「自動車」だと思う。

もちろんガソリン/軽油は要るが、これは貯蔵できるので、ある程度の
供給ルートがあれば戦争でも起こらない限り、何とか車は走れる。

電気万能の考えは、いつくらいから起こったのであろう。
そして今、代替エネルギーのことは、毎日言われているが、
風力発電とか、結局メソッドは電気式だ。

私は原子力発電について専門家でもない。

しかし安価に(かもしれない)電力を得る方法で、プルトニウムなどの
元素を反応させ、莫大なエネルギーを得る引き換えに、地上に出せない
物質を生むやり方は、半世紀経ち、転換構造に入ったと思う。


電気に関しては、明治以降に普及したインフラで今日、最も影響の強いもの
であろう。

そのエネルギーの作り方と使い方を、私は否定はしないが、
「何でもかんでも」一つの動力源だけを頼りにするのは、今回危険と思った。

台風地震がもたらした停電は、「電源消失」の恐ろしさそのものである。

原発自身が、自分で誘爆する危険回路だった訳だ。


ここは、自動車に関するブログなので、今後の行方は非常に気にかかる。

しかしアナログレコードの良さのように、化石燃料式の自動車は、
完全に無くならないと考えるべきなのではないだろうか。

ヨーロッパの一部の「進んだ国」の考えている全廃は、
電気の消失した事故の場合を想定していない、
ちょっと勘違いではないかと、
私は考えをまた、方向転換しかけている、最近である。




Posted at 2018/10/14 09:39:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2018年09月20日 イイね!

北摂の秋

北摂の秋今日はまた雨になった。
このところ、台風が来てから雨が多い。
今年の夏は大変暑かったので、一転反動が来たかのようである。

私は今、過去を整理する時期に来ていると思う一方で、
もう過去のことは綺麗に忘れて、残りの人生を気楽に生きられたら良いのにと
考える方が楽である。

自動車は、まだ乗れている。といって、自動車に乗ることは、大昔のように
楽しくて仕様が無いと言った気分では乗れないし、世の中も昔のようでは無い。




そんな私は、今平成最後の秋に、50歳台最後の年を送っている。
生まれは1959年だから、60年代が一ケタの子供。
70年代が多感な10代。
80年代は、私にも青春と言えるような年代だった。

昭和が終わり、90年代と平成が来ると、家庭と云うものを持った。
3人の子供を30歳台に作り、車も常時3台くらい乗っていた。
40代になった2000年代から、心身の衰えを感じて、車から離れ出す。


齢をとられても、置き場所があり、定年後にいじろうと思って集め過ぎて
リサイクル法の登場で、えらいめに遭った年輩者も、実際に知っている。

自動車の趣味が、手放しで楽しめなくなった、2000年代は、環境負荷と
石油の将来の枯渇など、様々なことが言われ始めた。


2009年、50歳になった私は思い切って、27年勤めた会社を退社する。

2010年からは一人暮らしになった。在家から出家になったのである。



2010年に、新天地で一人で自活を始めた頃は、月並みだが様々な夢があった。

その頃から、このサイトで日記を書き始めているから、今読めば恥ずかしいような
若い気持ちで綴っている。

しかし2010年代の時代は、すぐに大きな転機がやって来る。2011年の東日本を
襲った大震災である。

その時のインターネットの中では何が起こったかは覚えている。
たくさんの怒りと悲しみと、特に福島の原発が事故を起こして、世の中の信じられる
価値観が、大きく揺らぎ始めて、それは懐疑的とか、本来の生き方に対する
問い掛け以上に、不信と、欺瞞と、諦めや、被害に遭った人びとに対する気兼ね、
要は、素直に喜びや、それ以上の有頂天といったものに、共感が持てなくなった。


社会に属して生きることは、かなりの苦痛を伴うことであることを、誰もが現実に
思うようになったのである。


こうしてその後の社会は、ヘイトスピーチがあったり、右と左の思想が補完でなく
単なる対立や、底の浅い表層情報で、やや煽動されたりと、大混乱した。

自動車の趣味なんて、日本では大した発達もなく、価値情報レベルの評価と
値打ち云々で、それ以上暮らしに溶け込んだものにならなかった。

私はそんな2010年代をどう生きたのか。
親の介護と、姉の死と、母を見送ったあとは、別居していた妻と離婚した。

子供たちも大きくなり家を出て、文字通りの天涯孤独になった。
また資産も殆ど着きて、暮らして行くのが精いっぱいの人生である。

しかし休んだり、働いたりを繰り返しながら、何とか50代の最後の秋まで
漕ぎ着けた。それは恥ずかしいような人生であると、一部では感じるが、
犯罪や詐欺もせずに生きて来れて、正直よかったなと思う瞬間もある。




そんな私は、残り時間の短いことを感じるこの秋に、まだ仕事をしている。
来年で平成から新しい元号が始まり、私は60歳になる。

今年から、新しい仕事も始まり、今連載を書いて見ないかと言う声が掛かった。
17、8の頃から物書きになりたいと思っていたが、ようやく59歳でスタートかもしれない。

これに関しては複雑な思いもあるが、早くピークの来た人は、後年や晩年の
落差に落ち込み、はかなんだりすることが多い。
私も自分をそんなタイプだと恐れていた。
この年だから、不発でも良いし、自分を最後に奮い立たせて、老兵が出陣して
討ち死にしても、それはそんなに悲惨な話でもないだろうと思う。

本当に50代の9年間を振り返れば、着地点はなかった。けれど面白い人生を
思い切り走らせてもらえて、あまり悲観的にさえならなければ、来年からは
もしかしたら、作家に近づけると言う、目標を貰ったところなのである。






Posted at 2018/09/20 16:56:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2018年07月03日 イイね!

自動車好きの居場所

自動車好きの居場所関西舞子サンデーに、月初の日曜日に行って見た。

その前に、居場所ということについて考えてみようと思う。

最近、仕事で、居場所やコミュニティーの問題によく関わる。




私が現実にいまやっている仕事を列挙すると、

マンション掃除がひとつ。

おばあちゃんの認知症が進まないように遊んであげる仕事がひとつ、

ものを書いたり雑誌の記事取材が、たまに入る。前回の投稿がそれ。

夜学の起業型の勉強会の司会とまとめ役、月に一度の大きなイベントの記録、

そんなことを複数入れながら、まだ生活費に足りないが、工面しながら生きている。



社会の問題で、人間の関係が希薄になったというより、現実が変わり
繫がりの問題が、いろんなところに出てきた。

2010年頃から、孤独死や、帰属する組織の無くなってしまった人びとへの
現実的な対処を、公務員役所では、社会テーマとして、扱うことに限界があり、
民間にも、営利目的の会社だけでなく、NPOやいろんな組織の必要性が生まれ、
実際には高齢化社会の進行で、介護や老人のケアと言った様々なニーズができ、
目の前の社会は、20世紀の憶えている時代と、大きく変わるようになった。


で、クルマ社会も、売るだけや、普通の人が維持する程度の「お世話」を
メーカー関係と民間のカーショップが、やっているだけでは、「先が見えて」
きたように思える。

クルマ好きは、コアな存在となり、一般クルマ社会の全体の中で、ミックスされた
ジュースのような状態であったところから、沈殿分離が進み、上澄みと、
下に沈殿した部分に分かれて来た。

これが自動車好き問題だと思う。

みんカラなどに漂流する、クルマ好き難民が集まってきているが、
実際、ここだけが「居場所」なのか、すごく悩んでいると思う。



そんなことを、ジャーナリスティックに、誰も考えて来なかったのではないか。
雑誌はあまり見なくなったが、体裁はずっと変わって無いように思われる。


関西舞子サンデーの噂は、前から聞いていたが、実際に足を運んだのは
初めてである。今年で3年目になるらしい。

私は、10年前までは、“盛りがついた”ように各種の自動車イベントに
休みがある度に行っていた。子供や妻と同居していたのに、それに関わらずと
言って良い。

今は子供がいなくなり、妻とは離れてしまって、老後前の哀歓を感じることもある。

自動車のミニイベントが出没し始めたのが、2000年前後だから、イベントの季節は
一巡したのではないか。

隆盛を誇ったJCCAのニューイヤーミーティングも、今は客が離れて、今後の役割が
懸念されている。来ている関係者は往年の有名雑誌の卒業者では、
新しい時代感覚に乏しいだろう。

関西在住が長い私だが、可能な範囲で、御殿場や、富士SW、鈴鹿、また九州の
故郷から行けるイベントにまで、出没していたのは、今思うと懐かしい。


その頃の私にとり、珍しいクルマに乗ってそういう所に、「突然」現れることが、
ちょっとした得意な生き甲斐だったのかもしれない。
今思えば、
であるが、過ぎた日々のことは、振り返っても戻って来ない。


それから10数年が経ち、今の私は孤独な方になったが、クルマイベントに
日参することは、なんとなく、足が遠ざかってしまった。

大きな高いイベントにまで、友達を誘った私が、この現実では申し訳ないと
前までは思っていたが、私自身の心境や、環境が変わり過ぎたこともある。



クルマが売れない、若者のクルマ離れ、といった問題の一方で、
実際にクルマに乗り、好きな人にとり、よそ事でないのは、クルマ社会の縮小だ。

だから、今回のタイトルは非常に意味を持つのだろうと思う。


関西舞子サンデーは、朝から夕方手前までやってくれている。

京都の高雄の旧車ミーティングは、どちらかというと敷居が高い。
その上、有料であり、有料道路での開催だから、二重に料金がかかる。
高速で往復することに、負担を感じないレベルの収入の人も減ったのではないか。

場所が風光明媚な嵐山奥地の山あいだから、その見物代と思えば納得できるが、
それは「京都商法」のありがたみで、関西で頻繁に通っている人は、イベントが
終わると、風光を眺めることもなく帰って行く。

クルマ好きの脳なんて、そんなものだろう。
一方関西舞子は、西神の球場近くのただの駐車場である。

ただ、高雄のように冬の初めでも朝集合、午前中解散のようなことはない。

私は朝起きるが、ゆっくり朝食は食べたい。洗濯と掃除もしてから出て行きたい。

クルマ好きは、ファナティック、ややクレイジーといった「80年代感覚」はやや薄れて、
今は多様性の時代だから、他の趣味や、生活時間もある。
それで、クルマ好きが一部での「顔」くらいなのが、いまの時代ではないか。

私は昼前に、「まだ行けるなら」の気分で、暑い陽射しの下を、
ノーエアコン、ノーパワーアシストのクルマで出発した。

行きだけは、それでも高速を使った。
初参加なので、会場を見つけるのに迷ったり、少しの戸惑いもあった。
だが、何となく緩い雰囲気に、ゆっくりと溶け込もうと、のんびりすることに努めた。





朝一組は帰ってしまい、私は誰とも知り合いに会わなかった。
後で判ったことだが、SNS時代のキンチョウを避けることは大きい。

ユルい空気の中で感心したのは、ケータリングが来ていて、まともな食に
ありつけることである。
これも高雄は、無理に近いし、ホスピタリティは私はけっこう気にする。

NYMのお台場はケータリングが不便なところに停められて、高い上によくない。
場外のコンビニも使いにくい。

また関西舞子は、貧給の人に向けたのか、本部でカップ麺を売っていた。
これは良いことだろうと思う。

私はコーラのボトルと、パニーニを求めて、腹もすかさず夕方まで、のんびり
過ごすことが出来た。高架下に停めれば、夏の気候でも、なんとか過ごせた。

普段ノーエアコンで生活していることも、大きいのだろう。



今回のテーマと、日曜日のことと、直接関係があるのか、断定はできない。

しかしクルマ好きの居場所とは。

それも居場所つくりから始まったような、舞子サンデーには、
従来型の発想のイベントにも、考慮の余地を与えるのではないか。

今後は、ドライブショップや、喫茶カフェ等に、サードウェーブ系が出来るのか
トヨタ辺りがやりそうだが、ぎこちない気もする。

結局、クルマ好きが、新しい提案型イベントや、スポットをどれだけつくれるかに
生き残りの道があるように思われる。


フランスのレトロモービルの展示なんかを、写真で見ていると、
1960年代の自動車のあるシーンの再現とか、実に芸が細かい。

今はカフェ流行りの一方、1950年代から70年代の「純喫茶」詣でのブームも
起きている。

私はこのあたりに、旧いクルマ好きの生息できる場所の、可能性が高いと思う。

「あのコルトを狙え」のブログを知っている人は、これも判るであろう。

ビオトープは湿原などの環境再現で貴重な生物が生き残れる環境合成の
発想なのだが、こういうのも、実はクラシックカー大国、イギリスの文化なのである。


私は、サンクチュアリまで行かなくとも、旧車やクルマ好きが自然と集まれる
場所の必要性や、空間が、街の端にひとつくらいあった方が良いと思う。

それがこれからの時代のクルマ好きが、「共生」できる環境つくりではないか、
そのぐらいの推進に、いろんな力が集まって、「優しい目」をして生きていたいと思う。



Posted at 2018/07/03 07:38:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2018年06月27日 イイね!

7月を前に

7月を前に関西限定発売のあまから手帖という雑誌に
私が愛車を使ってルポした記事が載りました。

ちょっと趣向の変わった「里のあじ」といった切り口で
スローな味を求めてスローなクルマで行って来ましたという
タッチにしています。
先週末から書店に並んでいます。
ご拝読いただけましたら、幸甚に存じます。
よろしくお願いいたします。

kotaro

https://www.amakaratecho.jp/saishin/
Posted at 2018/06/27 16:57:02 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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