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2011年06月17日 イイね!

原点に戻って 湘南にフィアット850を訪ねる

原点に戻って 湘南にフィアット850を訪ねる







迷った時には、原点に戻る。
フィアット850の先生を訪ねて、水曜日は小田原まで
新幹線に乗り込んだ。

私の10才上の、この恩師との出合いは、横浜時代の
ニューイヤーミーティングまで戻る。

まだネットも遥か以前、結婚してようやく長男が出来た頃、
つらい震災の思い出も微塵になく、家族揃って
ニューイヤーミーティングのYOKOHAMA、
浮かれた気分で旧正月の中華街、春節祭という
憧れのシーンへ一家で乗り込んだ。

新横浜まで新幹線に。 
まだ「ひかり」が停車する列車はわずかだったし
1時間に1本の博多直通の「ひかり」は二階建ての
食堂車を連結していたので、私たちは好んでこの
列車に乗った。

株価のピークは過ぎたとはいえ、まだ高額な商品は
飛ぶように売れ、中間層の「中流」と呼ばれた
サラリーマン、商工自営層の表情も明るかった。


昨日は、行きは久々に「ひかり」運用の300系に
乗り、あの安定性の悪い乗り心地、300キロ加速時の
ガキーンという衝撃音を思い出した。

新幹線に「のぞみ」の300系が登場するのは90年代
後半だし、引退した500系も出ていない。
それを思うとなんと時代の目まぐるしいことを感じる。

さて、浜松で「こだま」の300系に乗り換え、静岡、三島
を過ぎ、熱海に停まると漸く次が下車駅の小田原だ。

駅までは迎えに行きますと、山側の駅前に出て行くと
しばらくして赤いアルファロメオ145が到着した。


コンパクトなボディのハッチバックに乗り込み
「久しぶりです」と挨拶する。
走り出した瞬間、ツインスパーク2リッターの咆哮に
いいなあとアルファモードのスィッチが入る。

「これで何年前の車でしょう?」  「大体13年前でしょうか」
90年代後半か。
思い出に浸る間も無く、緑の中を赤いアルファは疾走する。
山間部を抜けた所にある、恩人の家にやがて着く。
今年の1月終わりに訪問して以来、2度目の再訪。

今日の目的は、写真に掲げた1970年式のフィアット850
スパイダーの確認だ。
中平でない、紛れも無く新車時から日本にいるフィアットの
1台であり、初代オーナーは存じている方の父親で故人だそうだ。

手頃なレストアベース、どう仕上げるか。取りあえずこのままで
乗り出すか、それは次期オーナーの心先づもり次第。

私も10年前から知っている個体であるが、最後の検査切れから
4年が経っていた。その間、仮ナンバーを取り走らせたことが
数度。
やはり常時走らせてやりたい車だが、現時点でこのスパイダーの
他に白いスポルトクーペ。これがメインのジムカーナマシン、
それにアバルトもここには居る。

初代ほどでないが、優美なスポルトスパイダー、
クーペに乗り出した25年前にその存在を知り、姉妹を
つがいで持てたらと、「いつかの」夢がここにある。

まだ私にその資格があるのか、考えが漠としている。


家の中に入り、談笑する。
同じ車が好きだからと、20年に渡る交誼、
家族の肖像、お互いの人生の光や陰、そしてこれから。

車好きの人生なんて、これが東欧のある田舎町でも、
イタリアのどこかでも、海を渡ったアメリカの外れでも
きっとどっかで同じような人たちが、口からつばを飛ばしながら
あれがいいこれがいいと、同じ時間に話をしているに違いない。

その一瞬に、震災が起こったり、たとえ原発がメルトダウンして
泣きたくなるようなことが、あったとしても。
なんだかそんなもみくちゃの日々の日記の裏に、
微笑む車がちょこっとあればいいかな。

少年の頃から車が好きで、本職にもレーサーにもならなかったけど
趣味は人を活かすことに通じる。
あの人の言うことなら、あの人の考え方なら、
そうやってここまで歩んできた。

関東の師匠さんからこちらのシーンの現状を聞いた。
西の今について、いろんな話をお土産に下げて出かけていった。
その充実した数時間があれば、新幹線の代金は惜しくもない。

では、と5時37分の「こだま」に乗ることにして、
再びアルファの助手席に乗り込む。
「区間有料に入りましょう」
ETCが無機質な声で理解したかのように応答する。

アルファサウンドが緑のシークエンスの中を切り裂く。
ヒューン、ブロロンとヒール&トゥを駆使しながら、
年上の方が私の横でドライビングテクニックの手本のような
妙技をみせてくれている。

この日があるから、この時間のために、きょうまで
長い道程を歩んできたのかもしれない。

関東は薄曇り。梅雨の午後のウエンズデー。
田植えも終わった極東の島国の風景の中、
きょうも僕らはイタリア車を、
走らせている。


Posted at 2011/06/17 03:52:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年06月15日 イイね!

迷い

迷い









昨日も重い気分になりかかった。
人にはいろんな心の叫びがある。
若い頃なら乱暴な応対でも何ともないことが
歳をとってくると、すごく引き摺るようになる。
それは記憶と言う因子がついているからだと思う。

楽しい記憶は案外忘れ、そうでないことはずっとずっと
後々まで言われるようになる。

昔、時代劇の主人公 例えば藤田まことの中村主水
などがいつも奥さんにぐちぐち言われるのは
端で見ていると笑えるのであるが、やはり本人は大変で
あったろう。

うちの場合はあんなのではないが、やはり
普段口をきく機会も少ないのであるが、この10年
楽しいことなど言われたことがない。
テレビを見て笑っている姿は見るが私に対して
笑ったこともない。

楽しいことは共有できないと言われる。
それが老夫婦というものであろうか。
感情的にお互いならないようにしているのだが
滅多に口をきく事の無いこともないのだが
昨日の電話もしんどいことばかりの内容であった。

社会や世間にはもっと苦労している人がいるが
プライベートというのは無縁だ。
またこれを読んで頓珍漢な意見が、簡単な解決法など
出されてきても困る。
そういうコメントはいただいても返答できない。

じゃあ一体この文はなに?と言うことだが
私の出来る唯一の解決でもないが自己撞着かもしれない。

まあしかし、健康と大金持ちと幸せのカードをたくさん
持ってれば、こんな風にならないのかね。
そんなことはないと思うのだが、合わないと言われれば
あっさり諦めた方が良いのかもしれないけど、私はできない
だろうと思う。

時が経てばでもない。問題でないことを問題にしているのかも
しれない。
そんなことかもしれない。


Posted at 2011/06/15 08:24:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2011年06月13日 イイね!

海を見にいった日曜日

海を見にいった日曜日2011年6月の高雄には、京都市内に生息する
1955年式のDKW、ゾンデルクラッセ。900ccの2スト3気筒の4座カブリオレ、カルマン製ボディと言う、
国宝のような貴重な車がオーナーと共に来臨された。

会場が判らなくて、有料道路の他の駐車場で、休憩中の
所を発見したのは、この私であった。



そのとき私は、昔からの存じている方の、ランチアフルヴィア
ザガート1600のハンドルを握るという、この上も無い幸運に酔いしれて
恍惚として運転していたのであるが、別の駐車場に停まっていた
小豆色の旧い車に目が止まった。

ん、ヘブミューラー?、ワーゲン? いや違う。ディーケーだ!

そこで近くにフルヴィアザガートを停めて、挨拶をさせていただき
この車とのご対面になった。
アウディの前身、アウトウニオンの4つのワッカの一つがDKWで
あり、その中で、戦後の2スト3気筒車の傑作の一つがこの車だろうと
拙い知識で書いておく。

高雄は京都ゆえ、珍しい車が来られるが、これほど珍しい車も
いないのでは。
私もいろんな車を見てきたが、やはり1200年の都は底知れない。

初フルヴィアの感想も、非常に良かった。
FFの癖も、ハンドルの重さも、全く苦にならずに、運転でき、
RRのフィアット850クーペと、非常に好対照だが、
エンジンフィールの違いも、これがFFランチアだ、と納得した。

車の振り回し方は全く違うが、良いなあと思う。
狭角V4の噴け上がりと回転の下がり方、OHV903のフィアット
のエンジンが庶民のバイオリンかギターなら、ちょっといい
セロを弾くような感じである。
イタリア車は楽器だなあと思った。

大変結構な一日で、会場の最後の4台まで残っていた私は
憑き物が取れたようにパワーが戻ってきた。

周山街道に出ると、南丹や市内に戻らずに、一気に小浜まで走ろうと
いう気力が湧いてきた。
眠さ怠さもあまりなかったので、これなら850と一体になって
若狭小浜まで、18里、70余キロの道を駆けることに決めた。

エンジンOH後の馴らし運転も重ね、調子は良い。途中杉坂を回り
栗尾峠、広河原を抜けて、旧名田庄村の刈田彦神社で参拝した。
その前に土御門ゆかりの地付近の名田庄の道の駅で遅い昼餉をとる。

このところの自分の体調と気力に、ヒントになったのは一冊の本、
細野晴臣の「アンビエント・ドライバー」という近著である。
音楽家の本であるが、難しいことを判りやすく書いてある。
何となく何が足りないか、どうしたら精神力が戻って来るのか、読んでいる
うちに、思い出してきた。

楽しい日、楽しいドライブは、少しハイにさせてくれる。
疲れを飛ばしているうちに、少々のことで怒ったり感情を募らせたり
するより、許すことの方が上品なのでないかと思い始めた。





福井県下は、雨であった。小浜市の海の果てまで一気に走って
何のことは無い6月の雨の日の海を眺める。
しばらく海の側にいた後に、小浜市内を抜けて、旧い町並みに
辿り着いた。

ここでまたしばらく時を過ごす。
お宮やお寺の中でゆっくりしていると、尖った感情が少しずつ遠くなる。
旧い墓や伝説のある磐座を見ていると、いろんなことが甦る。
小浜の町で一番の発見は、モリアオガエルの卵であった。

古刹の、大きな水盤の上の木にあぶくのような卵が産みつけられて
いたのである。
ここから多くのオタマジャクシが生まれて、下の水に落ちて育ち
蛙になっていくのである。それを何年も何年も。何千何万年も繰り返し
ここにあるのである。

私は輪廻のおしえがそこにあるように思えた。


Posted at 2011/06/13 07:15:41 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2011年06月11日 イイね!

子供と遊ぶ

子供と遊ぶ









ニヒルなロンリーウルフのような文章ばかり書いているが
意外や私は子供好きだ。
いや、自分自身が子供のように、自分を取り繕わずに
生きているから、子供たちも警戒しない。



子育てと自動車趣味、特に旧車なんぞ乗っているお父さん
たちへ。
両立は可能か、それとも分別した方が良いのか、きょうは
それについて書く。

私は96年の8月から、毎年最終の日曜日に滋賀県の
びわ湖バレイの駐車場で、個人的なオフ会を開いている。

ここは子供らにとっても、夏休みの最後の思い出を作るのに
最適な涼しい場所で、今は無きオンボロのゴンドラで山頂に
上がって午後をのんびり過ごすのが、楽しみであった。

お見せしている写真は、みな2002年のアルバムから。
最初の1枚には私の子供3人と、このサイトにコメントを
よく寄せていただく紺の豚さんの長男が入っている。

右の二人の男の子はは大学生になった。女の子二人は
もうすぐ、18才と14才になる。





いっぽうこちらは、その年で閉園になった京都の伏見桃山城で
開かれていたクラシックカーフェスティバルに、娘二人連れて
参加した時の写真である。

こういった会場が子供に取り魅力のあるイベントは本当に助かる。

私はサラリーマンであったし、妻と二人で働いた余力で旧車趣味を
維持してきた。妻も子育てから離れられる休みの時間が必要だ
からだ。




子供3人を育て、生活を維持し、車の趣味も楽しむ。
結婚なんて偶然の結果だし、子供が3人いるのも結果論で
楽しいものである。セオリーもマニュアルも、最初から無かったが
人間、よほど無知無学でなければ何とかなるものである。

だけど贅沢も言えない。自分の身の丈にあった生活と趣味を
維持していれば、あとは不幸を避けられる。



平凡な生活の中に、非凡な車に乗り、凡庸だが、味のある
ライフを送ることは、可能なのである。

大変だなーっと思う前に、まずやってみる。
そりゃもちろん、こんなふうにカッコ付けて偉そうなこと言える
お父さんではない。
子供たちも大きくなり始めると「もうダマされないぞ」と
日曜日にそわそわ出かけるお父さんには、やがて一緒に
行かない日が来る。



その日までは、つかの間の「パノラマ遊園地」の夢を
見るのもいいのでは、ないだろうか。




私もやがて「老後」の日を迎えるようになる。

その頃には、一つ一つのシーンを、苦い珈琲を
噛み締めるように、思い出していることであろう。



子供にほじくられた愛車のサビの穴を、そっと、
思い出しながら、記憶のピースで、埋めていくのだろう。
Posted at 2011/06/11 06:55:24 | コメント(4) | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2011年06月10日 イイね!

外国へ行きたい

こんなふうに、自動車のことをブログに記事を書いて、
多少の喜びも感じるのであるが「コップの中の嵐」というように
非常にドメスティック(内国的な)印象は否めない。

私の自動車観を一変させたのは、かつてホームページに
書いたのだが、1993年あたりの初の海外出張で
タイのバンコクと、プーケットに行ったことである。



大学時代の80年代は既に海外旅行が流行ったのであるが、
私は流行に乗せられて消費経済の掌で踊らさせられることが
死ぬほど嫌いで、アルバイトは殆どしなかった。

親の仕送りが最初4万円で、1万円の下宿代を払えば
あくせくバイトしなくても、どうにか生きられたのである。
そのうちに仕送りが6万円になったので、空いていた下宿を
二部屋1万5000円で借り、月45000円もあれば裕福な生活
が送れたのである。

駄目っぷりはその頃からで、よほど手先の器用さを頼まれて
梅小路の鉄道レイアウトの補修など、「あなたしかできない」と
声をかけられた以外は働かなかった。

尊大と思われようと必要がないことはしない。
貴重なモラトリアムの大学4年間を、何でバイトにあけくれる
必要があろうか。その時間下宿で寝転んで本を読み、
役に立たない議論を延々毎晩、朝が来るまで繰り返していた。

そんな訳で、海外旅行も「国内でさえ全部回っていないのに」と
言い、結婚したときも新婚旅行をキャンセルした。
このくらいへそ曲がりで、変な人間であったが、とうとう仕事で
外国に行くことが命じられた。

嫌だ嫌だ嫌だと思いながら、伊丹からタイ航空に乗り、夜の
バンコクに着いてまだ、ああいやだ、接待旅行なんて、と
思って夜目にバスの窓を凝らしていたら、あっ、フィアット
アルジェンタ(132)が!、あ、131もいっぱい居る!!と
現金なもので、あちこちに走り回る少し古いフィアットや
プジョーを、本物の外国で見て、舞い上がってしまった。



海外旅行の面白さは、そういう風に街角のホンモノの外車を
見ることにある。
タイでは特に華僑(中国人商人)の生活ぶりに興味を持った。
彼らの現地人とは違った自国文化を引き摺りつつ、現地で
生きて行く上での、工夫とある種のプライド、そしてやや良い
車に乗っていることが面白いと思った。

特に獅子のエンブレムが縁起が良いのかプジョー504や
505に乗っているのは、華僑でないかと推察した。



それからいくつかの国々へ仕事へ行き、また香港やマカオ、
2004年には初のヨーロッパ旅行としてパリ〜イスタンブールを
敢行した。

よく思うのであるが、
論語に、学びて思わざれば即ち罔し(くらし)とある。

この20数年ほどの間に、日本のマニアの自動車知識は格段に
発達した。その昔、「ランチア・フルヴィア・ザガートが」と言っても
回りの誰もが知らなかったし、今では「ファッセル・ヴェガについて」
と言おうと、ブログにコメントがつくのである。ただしである、それは
あくまで、ネット、雑誌で得た知識だけではあるまいか。

日本は下り坂の局面にあるが依然金持ちである。
しかしその中で、日本の国内だけで知ったことを、あたかも
何でも知っているような、日本人が多過ぎないか。

私はそこに今の日本の危うさを感じる。


僕らの若い頃はジャズ好きは本場に一度は行きたいと思い
米国へ片道切符で修行に行ったり、何かしら夢を追い掛けた。
温々とした日本の国内で「俺はこれだけ知ってるぞ」的な
外国車通(ホントは半可通)が罷り通っているのが我慢ならない。

今の自分は人生後半なので、惜しくもない命であるが
そろそろまた外国に行き、普段の生活に使われている車を見て
いろいろと考えていきたい。
それが自動車好きの、使命ではないであろうか。
Posted at 2011/06/10 02:25:23 | コメント(2) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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