私が小学生の頃、縄文時代は、男どもは狩りや漁をし、女は木の実を拾い、貝を採るような狩猟生活をしていたと習いました。約12000年前頃から始まる、日本の縄文時代は、まだ研究段階で、(石器捏造問題により、歴史学者に対する信頼性が損なわれて以来、多少信用ならない点もありますが、)その頃の人々がどういった生活をしていたかは、まだ推測の域を出ません。青森県三内丸山遺跡は、4000~6000年前の縄文時代の大規模定住集落の遺跡で、今までの縄文文化の定説が覆される発見となりました。
生きていく上で、必要なものだった道具は、生命がかかっている分だけ、無駄のない美しい形をしております。これぞ、機能美というものでしょう。
古代人が使った石器などは、博物館か教科書でしか見たことがないという人がほとんどだと思われます。
私の田舎は、昔から畑から土器が出土したりするような所で、小学生の頃、級友の間で石器探しが流行したことがありました。
格好いい鏃(やじり)なんかを持っていたりいると、級友から「すげ〜っ!」といった羨望の的となったものです。
石器を見つけるには、見つかるかどうかの運もあるのですが、地面を這いつくばって探す努力が必要なので、形の良い石器を見つけた者は、それなりに尊敬されたものです。
ガキの世界の話ですよ。。
小学生が遺跡の発掘なんぞ出来るわけもなく、どこを探せば石器が拾えるのかは、口コミで知るわけなのですが、お宝が出て来るところは、半ば秘密の場所でもあるわけです。
言わば、子供社会のシマですな。
ここで、交友関係と上下関係がモノを言うわけです。
子どもの世界にも、喧嘩が強いか弱いか、また、勉強ができるか出来ないかなどによって、微妙な上下関係と派閥が存在しておりまして、そういった組織を使って情報収集をするわけですw。
私が、土器、石器を探していたのは、家から自転車で40分ほど離れたところにある荒れた麦畑で、麦と麦の間を探すと無数にある石ころに混じって、土器の欠片や石器が見つかるのです。
無傷のものは、めったに見つかるものではありませんが、毎日毎日、麦畑にかよって、服を真っ黒にして探したものです。
母親には、「もう、あることがわかったから、いいでしょっ(` 'メ)」と何度も怒られましたが、古代人が作った物は、なぜか、私には非常に魅力的なものでした。
大和時代、飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代も大正も経て、何百年何千年もの間、誰にも拾われなかった奇跡、それを作った縄文人に思いを馳せ、、歴史のロマンを感じたものでした。(笑)
かくして、古代人が作り、使用したと思われる石器は、数千年の時を経て、小生意気なガキが所有することになったのです。
この石器が作られてから経過した年月に比べれば、私が持っている数十年という年月は、ごくごく短いものです。
(私なんかが、持っていてよいものなんだろうか?)
それを考えると、所有者というよりは、次の人に引き継ぐまでの、一時預かり人という方が正しいような気がします。
私が今まで乗ったクルマのほとんどは、すでにスクラップになったりして、もはやこの世の中に存在せず、みんカラの愛車紹介は「遺影」ばかりが並んでおります。
それに対し、縄文時代の石器は今尚実在し、小さいながらも歴史の重みを感じさせます。
そして現在でも、使おうとすれば使えるのです^^;
百年も持たないモノらに囲まれて生活している中、数千年前のわれわれの祖先が作ったこの石器を手に取ると、非常に感慨深いものがあります。彼らが生きていた証であり、古代日本人が作った言わば、「Made in Japan」の元祖、すなはち、日本の「ものづくりの原点」なのです。
石器を作った古代日本人の子孫は今、GT-RやLEXUSなどを造っていますが、残念ながら、数千年後に残るようなものではありません。
これらの石器は私にとっては、お金では買えない宝物ですが、興味のない人にとってはただの石ころと同じでしょう。そう考えると、物の価値とは計り知れないものです。
石匙(いしさじ)は、携帯ナイフのようなもので、凹んだところに紐を結んでいたものと思われます。
動物の肉や魚をさばく時、植物の繊維を切ったりするのに使われたようです。
縦長の石匙は、縄文早期(約1万年前〜6000年前)のもので、横長のものは、それより少し時代が下がると言われています。
石鏃(せきぞく)は鏃(やじり)であり、日本の縄文期のものは厚みのない三角形をしています。
私が拾ったものは、まさにその特徴を持っており、縄文期の石鏃ということになります。
Posted at 2013/04/05 13:33:29 | |
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