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clevelar@のブログ一覧

2013年04月05日 イイね!

元祖 Made in Japan

元祖 Made in Japan私が小学生の頃、縄文時代は、男どもは狩りや漁をし、女は木の実を拾い、貝を採るような狩猟生活をしていたと習いました。約12000年前頃から始まる、日本の縄文時代は、まだ研究段階で、(石器捏造問題により、歴史学者に対する信頼性が損なわれて以来、多少信用ならない点もありますが、)その頃の人々がどういった生活をしていたかは、まだ推測の域を出ません。青森県三内丸山遺跡は、4000~6000年前の縄文時代の大規模定住集落の遺跡で、今までの縄文文化の定説が覆される発見となりました。

生きていく上で、必要なものだった道具は、生命がかかっている分だけ、無駄のない美しい形をしております。これぞ、機能美というものでしょう。

古代人が使った石器などは、博物館か教科書でしか見たことがないという人がほとんどだと思われます。
私の田舎は、昔から畑から土器が出土したりするような所で、小学生の頃、級友の間で石器探しが流行したことがありました。

格好いい鏃(やじり)なんかを持っていたりいると、級友から「すげ〜っ!」といった羨望の的となったものです。
石器を見つけるには、見つかるかどうかの運もあるのですが、地面を這いつくばって探す努力が必要なので、形の良い石器を見つけた者は、それなりに尊敬されたものです。 
ガキの世界の話ですよ。。

小学生が遺跡の発掘なんぞ出来るわけもなく、どこを探せば石器が拾えるのかは、口コミで知るわけなのですが、お宝が出て来るところは、半ば秘密の場所でもあるわけです。
言わば、子供社会のシマですな。
ここで、交友関係と上下関係がモノを言うわけです。
子どもの世界にも、喧嘩が強いか弱いか、また、勉強ができるか出来ないかなどによって、微妙な上下関係と派閥が存在しておりまして、そういった組織を使って情報収集をするわけですw。
私が、土器、石器を探していたのは、家から自転車で40分ほど離れたところにある荒れた麦畑で、麦と麦の間を探すと無数にある石ころに混じって、土器の欠片や石器が見つかるのです。

無傷のものは、めったに見つかるものではありませんが、毎日毎日、麦畑にかよって、服を真っ黒にして探したものです。
母親には、「もう、あることがわかったから、いいでしょっ(` 'メ)」と何度も怒られましたが、古代人が作った物は、なぜか、私には非常に魅力的なものでした。
大和時代、飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代も大正も経て、何百年何千年もの間、誰にも拾われなかった奇跡、それを作った縄文人に思いを馳せ、、歴史のロマンを感じたものでした。(笑)

かくして、古代人が作り、使用したと思われる石器は、数千年の時を経て、小生意気なガキが所有することになったのです。
この石器が作られてから経過した年月に比べれば、私が持っている数十年という年月は、ごくごく短いものです。
(私なんかが、持っていてよいものなんだろうか?)
それを考えると、所有者というよりは、次の人に引き継ぐまでの、一時預かり人という方が正しいような気がします。

私が今まで乗ったクルマのほとんどは、すでにスクラップになったりして、もはやこの世の中に存在せず、みんカラの愛車紹介は「遺影」ばかりが並んでおります。
それに対し、縄文時代の石器は今尚実在し、小さいながらも歴史の重みを感じさせます。
そして現在でも、使おうとすれば使えるのです^^;

百年も持たないモノらに囲まれて生活している中、数千年前のわれわれの祖先が作ったこの石器を手に取ると、非常に感慨深いものがあります。彼らが生きていた証であり、古代日本人が作った言わば、「Made in Japan」の元祖、すなはち、日本の「ものづくりの原点」なのです。

石器を作った古代日本人の子孫は今、GT-RやLEXUSなどを造っていますが、残念ながら、数千年後に残るようなものではありません。
 
これらの石器は私にとっては、お金では買えない宝物ですが、興味のない人にとってはただの石ころと同じでしょう。そう考えると、物の価値とは計り知れないものです。



石匙(いしさじ)は、携帯ナイフのようなもので、凹んだところに紐を結んでいたものと思われます。
動物の肉や魚をさばく時、植物の繊維を切ったりするのに使われたようです。
縦長の石匙は、縄文早期(約1万年前〜6000年前)のもので、横長のものは、それより少し時代が下がると言われています。


石鏃(せきぞく)は鏃(やじり)であり、日本の縄文期のものは厚みのない三角形をしています。
私が拾ったものは、まさにその特徴を持っており、縄文期の石鏃ということになります。

Posted at 2013/04/05 13:33:29 | コメント(3) | トラックバック(0) | 趣味 | 日記
2013年03月26日 イイね!

レタッチは写真にとって芸術か邪道か。

レタッチは写真にとって芸術か邪道か。超写実主義の絵画は、写真とどこが異なるのか?という疑問を持つ人もいると思います。
絵画には、装飾芸術になる以前から、その目的に「記録」というものがあったはずです。
太古の壁画などは、呪術的な要素を含んでいたとしても、記録画としての要因もあるのです。
絵画のお陰で、我々ははるか昔のことを、知ることが出来るといっても良いでしょう。
写真が発明されてから、記録としての絵画の役割は薄れてしまいました。
現実を映し出す、写真の力に絵画は到底及びません。

しかし、現実とは何か?
修正できる写真は、果たして現実と言えるのか?

デジタル写真のレタッチは、芸術として写真を考えた場合、許される行為なのかどうなのか、素人の私には今ひとつ分かりません。
レタッチを、一つの芸術としても良いような気もいたします。
Photoshopを使っての、レタッチを試みてみました。


↑元原画、左にはビニールのゴミ、右上には車があります。

↑スタンプツールでゴシゴシ消している最中(^^ゞ

↑右上の車も消してしまえ。 これはちょっと、難しい^^;

↑何とか誤魔化しました。傍目には、まず分かりません。

↑明るさ、色合いなどをお好みに。輪郭をはっきりと。

↑単焦点っぽく、背景を少しぼやかしてプロっぽい写真に^^;

↑あら素敵!clevelar@的感性の写真の出来上がり\(^o^)/

写真に、何処まで手を加えることが許されるか?という問題は、写真屋さんでホクロを消す程度の修正写真以外、デジタルカメラが出現するまでは、あまりなかった問題だと思います。
普通のしょぼいコンデジしか持っていない私が、撮影もすべてお任せモードで撮ると、最初のようなモノしか撮れません。
レタッチ職人の手にかかれば、かなりの修正が出来るのですが、これは邪道なんだろうか?

桜とC63の写真(レタッチあり)をフォトギャラリーに載せました。
Posted at 2013/03/26 00:15:14 | コメント(6) | トラックバック(0) | 趣味 | 日記
2013年03月21日 イイね!

人が車を愛する理由

人が車を愛する理由車に関連した心理機制のclevelar@的解説と解釈。

赤ん坊を見せられて、「可愛いでしょう!?」と言われても、正直者の私は返答に困ることがあります。
どう見ても、お世辞にも可愛いという感情が湧かない。親にしてみれば、目の中に入れても痛くない子供でも、他人の私にとっては、ただのうるさい生き物でしか無いのです。
赤ん坊を車に置き換えても、これと同じようなことが言えるのです。

自分の車をもっと格好良くしたい。他人と違う車に乗りたい。自分の車が一番よく思える。クルマに乗ると人が変わる。
車というものは、購入以前または購入後も内的、外的条件で色々な心理的葛藤が起こる、めんどくせー乗り物であります。

また、クルマは、こつこつ改善させる過程、またはその結果が楽しいという、不満足な点が趣味になってしまう面も持ち合わせています。
しかし、欲求が複雑多岐になると、欲求間の矛盾が多くなり、目標が高すぎると、外的環境要因がそれを許さなくなり満足が得られなくなります。

欲求不満が起きた場合、心理機制が働き心の平常を保つようになります。それは、意識的にも、または無意識的慢性的にも、人間の行動様式に影響を及ぼします。

心理機制には、いくつかの種類がありますが、車の不満足な点に関しては、主に合理化(rationalization)の心理機制が働いております。
合理化とは、欲求不満を理屈づけて正当化することによって、かりそめの満足を得ることです。やせ我慢、屁理屈、自己満足などもこれに当たります。

いろいろな車に試乗したけれど、自分の車が一番良い(不満な点もあるけど、すべて許せる範囲)と思えるのも、合理化の心理機制が働いて、妥協しているわけです。
それは、一瞬の間に決着することもあれば、しばらくの間、モヤモヤした感じで悩むこともあります。
他の車と、自分の車の違いを、一つ一つ検討して優劣をつけ、心のなかで整理していき、総合的に自分の車が優っていると思えた場合は問題はありません。

しかし、どうしても他の車のほうが、良く思えてしまった場合(浮気心)、自分の車に乗るたびに、劣等感に苛まれてしまいます。
それを完全に解決する手段は、良いと思う車に乗り換える以外にありません。しかも、それで内的葛藤を克服できたとしても、新しい車を購入するにあたっては、価格の問題などの外的環境条件で、再び葛藤がおこります。

私は、クルマ ≒ 人のようなものと考えます。
これは、車に限ったことではありませんが、行動を共にするモノに対し、人はその物的対象物を擬人化する事は普通に見られます。

車との付き合いは、お見合い結婚した後に、愛を育むようなものでしょう。
日々、新しい発見をして、小さな欠点には目をつぶり、改善するべきところは改善し、理想的な関係を築こうと努力する。

ただ、クルマは機械ですから、決して車の方から歩み寄ってくれることはありません。
一方的に車のオーナーは、不都合の数々を甘受する。
結婚と違い、購入前に試乗することは可能だし、売却することにも、何ら社会的制約があるわけでもないので、人を相手にするより、はるかに恋愛の自由度が高く、相手に対して一方的に強い立場に居られるはずです。

しかし、一度惚れた弱みなのか、自分の車を盲目的に愛してしまうオーナーが非常に多いと思われます。
駆け抜ける悦びを味わうことで、すべてのことが許せてしまう。吹け上がるエンジンの音に、エクスタシーを感じる。自分の車の何処が気に入っているのかを聞かれることは、自分の恋人の何処が好きなのかを聞かれることと同じようなもので、人それぞれ理由は千差万別でありましょう。

旧車のオーナーさんの中には、マゾか?とも思える程に、壊れ続ける車を愛している方もいます。
無償の愛もあれば、見返りを求める愛もある。

人は車に、多種多様なものを求めます。
格好良い=外見重視
性能が良い=機能重視
乗り心地が良い=快感重視
音がいい=官能的、感覚重視
メーカーが好き=家柄重視 
安い=経済性重視
高い=社会的、経済的ヒエラルキー重視
珍しい=趣味性重視

1台で、自分の要求を全て満たしてくれる車は、まずありません。
足りないものを補うには、目的別に2号さん3号さんを囲うしかないのです。
当然なことですが、維持費がかかるのは、人の場合と同じです。

まあ、細かい事なんかどうでもよく、眺めているだけでもいい、ぶんぶん乗り回すと尚良いという車に巡り合えた場合、それが車と人間の蜜月関係なのだと思います。

人が車を愛する理由は、「好きだから」の一言に凝縮されてしまうのかもしれません。
従って、こんなブログを長々と書くこと自体、野暮なことなのかな?と思ってみたりもします。
Posted at 2013/03/21 21:39:29 | コメント(3) | トラックバック(0) | 論説 | クルマ
2013年03月13日 イイね!

「桜」定点記録。

「桜」定点記録。毎年この季節、桜前線を追いかけて、ドライブをする方もいると思います。
平成23年3月11日の東日本大震災により、歌舞音曲の類が自粛され、上野公園の桜まつりも中止されました。
4月3日の人出は例年よりも少なく、宴会をしているグループが、ほとんど見られなかったのを思い出します。
それから約1年間、上野公園での定点記録です。


(1)平成23年4月3日↑ 震災で桜まつりは中止。

(2)平成23年4月17日↑ 

(3)平成23年5月29日↑ 

(4)平成23年6月5日↑ 

(5)平成23年6月19日↑

(6)平成23年7月24日↑

(7)平成23年8月28日↑ 

(8)平成23年9月11日↑ 

(9)平成23年11月3日↑

(10)平成23年11月27日↑ 

(11)平成23年12月11日↑ 

(12)平成23年12月28日↑ 

(13)平成24年1月8日↑

(14)平成24年1月22日↑

(15)平成24年2月12日↑

(16)平成24年2月19日↑

(17)平成24年4月8日↑ 桜まつり。

(18)平成24年4月29日↑ 新緑が美しい。

古来、日本人は、桜の花に惹かれてきました。
その美しさ、儚さ、潔さ故でしょうか。。
その訳を、梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書き残しています。
上野戦争では、彰義隊266人が戦死し、官軍はその屍体を弔うことを禁じたため、数日間山内に放置されていたということです。
(上野の山は、江戸時代からの桜の名所で、現在は約1200本の桜の木があります。)

今年も、あと2週間もすれば、上野の山には、桜が咲き始めます。

私事で恐縮ですが、Alpina D5 Turboが、いよいよ3月28日に入庫、4月中に納車出来るとの連絡がありました。
私の相棒は、桜と共にやってくるようです。
Posted at 2013/03/13 01:05:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | 出来事 | 日記
2013年03月08日 イイね!

clevelar@的 絵画論と美意識。

「多趣味」と人に言われることもありますが、私にすれば、何一つ深く掘り下げたものはなく、皆、中途半端で残念なレベルにあると思っています(´・ω・`)。
飽きっぽいわけではなく、どちらかと言えばしつこい性格で、一度やり始めると、のめり込むタイプです。しかし、色々手を出しすぎて時間がなく、物理的に一流レベルには到達できないのであります。(言い訳^^;)
なんでも知りたい、何でも出来るようになりたい。
言わば、欲張りな性格なのです。

自分が手を出した学問、スポーツ、趣味の類には、どの分野にもそれで飯を食っているような人々がおり、才能という壁もありますが、並大抵の努力では、到達し得ないプロの領域が存在します。
私は、なんとかモノになった分野に於いて、細々と生計を立てているわけでありますが、自分の専門分野でも、化け物のようなレベルの人達がおり、当然のことながら生存競争は存在します。

さて、本題です。
絵画の世界は昔から、パトロンを持たないと生きていくのが困難な世界であります。
絵を売るだけで生活できる画家が、果してどれだけ居るでしょうか?
良い絵というものに、何の基準もない世界で、自分の画風を貫いたがゆえ、貧困の中で一生を終えた画家も数多おります。
絵とは、その人が三次元の対象を捉えて、または、思い描く抽象的な風景または想像物を、二次元世界に具象化したものであります。

絵に、「上手い下手は存在しない」というのが私の持論です。
当然のことながら、人が100人いれば、100通りの美意識が存在します。

上手く描けたと、本人が納得すれば、それがその人の美意識であり、芸術なのであり、上手い絵なのであります。
美意識とは、他人の評価は一切関係ない、個人の感性の問題です。
構図がどうちゃら、バルールがなんちゃらなど、絵画理論など糞食らえっていう、自由な意識であるべきなのです。
上手い下手ではなく、出来栄えに自己満足出来るか否かなので、当然、進化はあり得るが進歩、または上達という概念自体、はなから存在しないものだと思っております。
すなはち、
描いた本人が納得できなければ、他の人が、いかにその絵を上手いと思っても、それは下手な絵なのであります。
これは、個人の持つ美意識に差があることから生じる問題であり、好みの違いと同じものでしょう。
一流の芸術家は、不本意な作品を世に出すことはありません。
ただし、芸術家の手を離れてからの作品の価値は、手に入れた人の価値観または、世間での一般的な評価に左右されてしまいます。
子供の絵は、稚拙であるというのは、大人の勝手な判断であり、子供にすれば、それが自分の表現の全てであり、上手い下手の概念がありません。これ、すなはち原始的ナルシシズムともいえるものが、芸術の本質だと思います。


小学校6年生の時の水彩画ですが、現在の美意識と何ら変わりがありません。


初めて描いた、スケッチ。横浜港。
マジックで描くので、修正は効かない一発勝負デス。


太秦。構図は最高。歪んでる^^;
子供のぬりえと酷評されました(´・ω・`)


尾瀬沼と燧ヶ岳。10号F油彩
誰か〜買ってくださいw


加仁湯。10号F油彩
3時間で描き上げたため、油絵スケッチと評されました。


港。最後に描いた油絵。私としては大作デス。30号F

私が過去に描いた絵の一部ですが、客観的に見て、構図の歪み表現の稚拙さも多数あります。
しかし、どの絵も私が持っている美意識で描き上げたものなので、「下手ですが・・」などと、わざとらしく謙遜する気はなく、どれも結構上手く描けたと自己満足しているものたちであります^^;。
それを、更に他人に褒めてもらえると、美意識を共有できた事になり、嬉しく感じるのは言うまでもありません。

私の美意識は、子供の頃から変わってはおりません。
変わらないということが、一般的なのかどうなのか不明ですが、将来的にも変わらないだろうと思われます。

もう20年以上前に、絵を描くことをやめてしまいましたが、それは、続けていっても、自己満足できる絵が描けるか否かだけで、向上する喜びを実感し難い趣味だったからです。

超写実のブログ記事に、イイね!をつけて頂きましたが、大半の方が「モデルの女性がイイね!」なのではないかと、、当然私も、美意識を共有させて頂きました^^;
Posted at 2013/03/08 20:07:52 | コメント(4) | トラックバック(0) | 論説 | 日記

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