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ムッシュほちゃん。のブログ一覧

2006年12月30日 イイね!

絶対に忘れてはいけない!

enjoy Korea より

【第一大邦丸事件 】


第一大邦丸事件を知らない人や、記憶があいまいになっている人のために、事件の概要をここで再確認しておく。

 1952年2月4日、福岡県北湊町の大邦漁業株式会社所属の漁船、第一大邦丸と第二大邦丸(それぞれ乗組員22名)は、済州島に近い公海上に設定された284農林漁区で操業していた。

午前7時ごろ、韓国漁船第一昌運号・第二昌運号が接近してきて友好的な態度をよそおい、「魚はとれますか?」などと日本語で話し掛けてきた。 韓国漁船は大邦丸からいったん離れ、操業をはじめたという。

ところが、この漁船には武装した韓国の憲兵を含む7~8人が潜んでおり、漁船に偽装した武装船だった。

第一大邦丸が網揚げ作業をはじめたとき、およそ30mの距離から無警告で、韓国漁船に潜んでいた憲兵が自動小銃で日本漁船を攻撃しはじめた。

不意をつかれた日本漁船は攻撃を回避しようと船を走らせたが、韓国武装船のしつような追跡と銃撃を受け、このときに第一大邦丸の漁労長・瀬戸重次郎さん(当時34歳)の後頭部に銃弾が命中、意識不明の重体となった。

これによって二隻の日本漁船は、韓国武装船に拉致された。

日本漁船は済州島・翰林に連行、金目のものは韓国警察に略奪された。

日本人漁師たちは韓国警察に、頭部に重傷を負った瀬戸さんのすみやかな治療を懇願したが、韓国側は瀬戸さんを一人の”開業医”に預けただけだった。

そこは病室はおろか治療に必要な設備が何一つないところで、日本人漁師たちは、医療設備が整った韓国軍の病院で瀬戸さんが治療を受けられるようにしてくれと抗議したが、何度も拒否された。

それでも食い下がって何とか入院の承諾を得たが、瀬戸さんは放置されたままだった。

日本人漁師たちは、瀬戸さんの生命維持のためリンゲル注射をしてくれるよう頼んだが、韓国人医師に「リンゲルは高価だから」と冷たく言われ拒否された。

日本人漁師たちが、自分たちの所持品を売って現金を払うという約束をして、ようやく瀬戸さんは注射をうってもらえた。

ところが韓国側の約束はウソだった。

「救急車よ早くきてくれ」という日本人漁師たちの願いも空しく、瀬戸さんはそれから2日間も放置されたままだった。瀬戸さんは2月6日23時ごろ亡くなった。

すぐに解剖が行われ、瀬戸さんの死因は韓国憲兵の発射した銃弾が頭部に命中したことであることが判明した。

日本人漁師たちは、韓国側に瀬戸さんの葬儀を願い出たが無視され、漁師たちが数少ない私物をお金にかえて薪を買い、それで火葬が行われた。

一方、後に残された日本人漁師たちは、韓国側に拉致され”取り調べ”を受けている最中、全く食事を与えられないという虐待を受けた。

これは明確な国際条約違反である。

そこで漁師たちは、韓国側の略奪を免れ漁船に備蓄してあった食料を分け合って、命をつないでいた。

また取り調べにおいても、脅迫によって無理やり「自分たちは韓国領海を侵犯しました」という内容の調書へ署名させられた。

日本政府は抗議したが、韓国の李承晩政権は「大邦丸はわが国の領海と”李承晩ライン”を侵犯した」と言い張った。

ところが海図など取り調べ調書がデタラメであったことが判明、在日米軍のグリッチ少将が事件解決に乗り出し李承晩大統領と会見、李承晩は韓国憲兵隊が日本漁船を公海上で拉致したことについて遺憾の意を表明した。

これによって日本人漁民と漁船の返還が決定され、2月15日に済州島を出発、アメリカ軍のフリゲート艦に付き添われてようやく帰国した。

日本人漁師たちは韓国を出航するとき、ずうずうしくも韓国側から「日本に帰っても韓国の悪口を言わないでくれ」と言われたという。

これが第一大邦丸事件である。

1965年までに、韓国側によって射殺された日本人漁師は瀬戸さんを含め44人、拉致被害者は3929人、拿捕された漁船は328隻に及ぶ。

 第一大邦丸事件は「日本人は悪いやつに決まっているのだから、どんなひどいことをやってもかまわない」という人種・民族差別に基づく、韓国側による日本人へのヘイトクライムそのものと言って良い。

漁船にみせかけた武装船で日本漁船に近づき、至近距離からいきなり銃撃するという韓国側の卑劣さ、重傷を負った瀬戸さんをあえて治療せず放置、そのために亡くなったにもかかわらず葬儀も拒否し、残された抑留者に一切食事を与えない、という韓国側の鬼畜ぶりがこれほどハッキリと表れた事件もないだろう。

韓国側は、この事件を「遺憾」だけで済ませた。

私は韓国側から「遺憾は謝罪の言葉ではない。だから日本の指導者や”日王”はこれまで韓国に一度も謝罪したことは無い」というお決まりのセリフを、耳にタコが出来るぐらい聞かされたが、自分たちだけは「遺憾で許される」というわけだ。

「韓国人は許されるが、日本人は同じことが許されない」 この人種差別に根ざしたダブルスタンダードが日韓外交摩擦の本質である。

 そして現在に至るまで、日本海における韓国側が原因のトラブルは後を絶たない。

いつも痛い目をみるのは、韓国の水上警察や漁船に苦しめられ、ことなかれ主義に陥った日本政府・外務省からも見捨てられてきた、日本の漁師たちである。

新聞記事をスクラップしておかなかったので正確な日付がわからないが、対馬の養殖アワビが韓国漁船にごっそり盗まれたことがあったし、

日本近海の漁場で韓国漁船の目に余る密漁を日本の漁師が訴えても、政府・外務省は無視を決め込み、漁師が交代で自警団を組織したこともあった。

ところがある日、密漁していた韓国漁船を発見した自警団の日本漁船が、逃走した韓国漁船を追跡、韓国漁船は漁網の塊を日本漁船の直前に投棄し、日本漁船がそれに乗り上げて転覆、日本人漁師の方が亡くなるという痛ましい事件もあったと記憶している。

たまに民放で”海上保安庁24時”のような番組が放映されるが、そこに映し出された韓国漁民はキ○ガイ同然だ。

日本の巡視艇に追跡されると、巡視艇に向かって包丁を投げつける密漁韓国人漁師。

”非武装・専守防衛”のために丸腰で韓国漁船に飛び移っていく海上保安官。

それでも逃走に成功した韓国漁船は、日本に水産物を輸出してカネをもうける。あるいは釜山などの魚市場で日本人観光客に魚介類を売りつける。

これが現実だ。

 日本人は第一大邦丸事件を絶対に忘れてはいけない。

あたたかい血のかよった日本人なら、瀬戸さんが亡くなった済州島、いやすべての韓国へ旅行して遊んでうかれるなんてことは出来ないはずだ。

韓国は、日韓基本条約を結んだにもかかわらず条約を無視、ことあるごとに”過去”を蒸し返して教育問題に介入し、日本人に謝罪と賠償を要求してくるわけだが、それだったら日本側も第一大邦丸事件を永久に言いつづけ、韓国の歴史教科書に掲載して、韓国の子供が真剣に反省するよう要求すべきではないだろうか。



第一大邦丸事件-ウィキペディア(Wikipedia) ←リンク
第015回国会 水産・法務・外務委員会連合審査会 第1号

問題点
・民間船に対する無警告攻撃行為
・当初より明確な軍事行為目的を持っていた。・・外務委員会連合審査会によると、韓国船2隻には乗組員  各12名のほか、憲兵1、特務隊員1、情報隊員1、警邏4、5名が分乗していた。
・拿捕後の取調べ時の虐待的取り扱い・・食料を与えない、過剰な人口密度等、ジュネーブ条約違反の疑いは払拭できない。
関連情報URL : http://www.enjoykorea.jp/
Posted at 2007/04/29 19:40:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 韓国史 | 日記
2006年12月28日 イイね!

テロ国家

enjoy Korea より

韓国の多くの人々は知らないようですが、竹島問題で韓国政府が行ったこと紹介します。

韓国政府は竹島の領有を一方的に宣言すると同時に
武装した船に日本の漁船を攻撃させました。

警告もされずに銃撃された日本の漁船では1人が死亡し43人が負傷しました。
その後も韓国政府は武装した船で日本の漁船を襲い続け、4000人の日本人を誘拐しました。

韓国政府は誘拐した4000人の日本人を解放する条件として、殺人や強盗やRAPEの罪で日本の刑務所に入れられていた500人の韓国人犯罪者を釈放し在日韓国人として日本に住ませるように要求しました。

日本政府は4000人の日本人の命を助けるために韓国政府の要求に従いましたが、韓国政府はその後も人質として数人の日本人を18年間も解放しませんでした。
この時に釈放された韓国人犯罪者の多くが暴力団や右翼団体に入り、現在の韓国系暴力団や韓国系右翼団体の基礎を作りました。
そのため韓国のTV番組などに韓国系右翼団体のメンバーが日本の右翼団体と紹介されて出演することもあります。

このように韓国政府は中東で韓国人を誘拐して殺したテロリストのアルカイダと同じことをしたのです。

だから韓国政府はテロリスト国家だと非難されることを恐れて、国際司法裁判所に出てくることもできずに逃げ回っています。..
関連情報URL : http://www.enjoykorea.jp/
Posted at 2007/04/29 19:37:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 韓国史 | 日記
2006年12月28日 イイね!

滅亡の帝国、日本の朝鮮半島支配

滅亡の帝国、日本の朝鮮半島支配enjoy Korea より

クリスティン・リー氏の著作

「滅亡の帝国-日本の朝鮮半島支配」は、
欧米の研究書の間で話題を呼んだ。

クリスティン・リー氏の経歴
アメリカ・ポートランド州立大学教授。
1960年生まれ・梨花女子大卒業後
アメリカに留学、ラトガ-ス大学で博士号取得。
教育学を専攻後、教育哲学に転向した。

現代思想が専門。ポストモダ二ズムや日韓の女性法などについて、
多数の論文を書いている。


「搾取と抑圧の下、ひたすら犠牲を強いられた暗黒の36年」という植民地史観が、今なお韓国では根強い。
それどころか、決して疑義を差し挟んではならない、絶対の真実にすらなっている。
だが、日本の植民地経営は世界史的にみてどうだったのか。

コロニアリズムというキーワードをもとに、理論的、実践的にこの問題に取り組んだのが、
在米の韓国人女性研究者、クリスティン・リー氏である。


リー氏はイデオロギーに振り回され、学問的方法論に依らないこれまでの研究を厳しく
批判する。

(翻訳/重村智計・拓殖大学教授)



私は、アメリカの大学院で指導教授たちに言われた次の言葉を、今なお忘れることが出来ません。


「日本の植民地は、その後いずれも経済発展したではないか。そんな結論の出ている問題を今更どうして研究するのか?」
米国の名門ラトガース大学のダン・ローデン教授は、私が博士論文の主題
について日本が朝鮮半島を植民地支配した時代の教育と女性問題について
研究したいとの計画を説明すると、このように反問しました。

「文明のシステムを、日本の植民地主義は朝鮮半島に導入したのではないか。
スペインやアメリカ、イギリスは日本のように本国と同じような教育システムを、
植民地に導入しようとはしなかった。
当時の朝鮮半島の人々は、文明のシステムを独自の力で導入するのに失敗した。日本の植民地主義を経ずに、あれほど早く文明の世界システムに入れただろうか?」



私は、この発言に怒りが込み上げ懸命に反論しようとしたが、頭の中が真っ白になり感情だけが高ぶったのを覚えています。

そんな論文を書いたら、韓国に戻れなくなる!との不安が一瞬心をよぎりました。

論文の相談をした別の経済学専攻の教授は「植民地化された国家の中で韓国と台湾ほどに発展した国家はない。アメリカやイキリスの植民地で、台湾や韓国ほど発展した国があるか?」とまで言うのでした。


私の不満そうな表情を見たローデン教授は、次のようにも問いかけました。


「日本の植民地支配を非難する韓国人の留学生の一人が、自分の父親が
東京帝国大学出身であると自慢げに話した。
これは、暗黙のうちに日本が導入した文明のシステムを評価していることになる。
本来なら、東京帝大を卒業した父親を非難すべきではないか?」



こう言われてみると、確かに東京大学はもとより、京都大学、早稲田大学、慶応大学を卒業したことを誇りにする韓国人は少なくないのです。

当然韓国の側に立ってくれると思った第三者のアメリカ人学者の発言は、ショックでした。

こうして私は1997年に『The Doomed Empire:Japan in ColonialKorea』
(滅亡の帝国:日本の朝鮮半島支配)を、英国で出版しました。


日本の植民地支配下での女性と教育問題を、学問的に整理し、感情論でなく客観的に
理解する素材を提供したいと考えたからです。
当初の意図とは異なり、指導教授の理諭と主張が盛り込まれました。


この本は、韓国で出版するのは、まず不可能でしょう。

また、日本で出版しても誤解を受け、韓国では「親日派」と非難されかねません。

韓国で生活できなくなるかもしれません。それをあえて覚悟したのは、近代史をめぐる
日韓の対立を解消し、友好な関係を築くのに微力ながら貢献したいと考えたからです。

政治や経済などの他の分野はともかく、女性解放と女性教育の面では、日本の
コロニアリズムは朝鮮半島への近代化の導入に決定的な役割を果たしました。
その一方で、韓国の教育が日本の戦前型の教育から、今も抜け出せないで
いるのも否定できない現実です。



関連情報URL : http://www.enjoykorea.jp
Posted at 2007/04/29 19:35:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 韓国史 | 日記
2006年12月27日 イイね!

☆未來妄想・タイムマシン☆

☆未來妄想・タイムマシン☆注)2chに投稿された名無しさんの文章をもとに制作しています。


その1
 韓国の天才的科学者、金博士は世界ではじめてのタイムマシンを発明した。
金博士は、世界で一番優秀な民族であるウリナラが未だ先進国になりきれないのは、日帝36年の支配があったからだと考え、タイムマシンで併合前の時代に飛び、併合を阻止して21世紀に戻ってきた。
 併合をしなかった韓国は、21世紀ではどんな発展をしているのかと期待し、早速、その目で見るために金博士は外出したのだが、そこには未開の韓国人を指導する多くの日本人の姿があるだけだった。

 歴史書を読むと、日本との併合は回避されたが、その後ロシアに占領され、ソ連崩壊の1990年までの長い植民地支配されていた。最近ようやく独立して国家建設がはじまったばかりであった。
 ロシア大使館の前では「ロシアは80年にわたる植民地支配に対して謝罪と賠償をしる!」との横断幕を掲げたデモが行なわれていた。

その2

 世界ではじめてのタイムマシンを発明した韓国の天才的科学者、金博士は、未だ先進国になれない韓国の現状を憂慮し、日帝との併合とロシアによる植民地支配の両方を阻止するために、日露戦争で日本が勝たない様して、ロシアを疲弊させればいいと考え、日露戦争の時代へとタイムマシンを飛ばした。
 日露戦争での日本の勝利を阻止し、21世紀に戻ってきた。金博士は韓国が21世紀でどんなに発展をしているのかと期待し外出したのだが、そこには欧米人が韓国人奴隷を使役する世界が広がっていた。

 歴史書を読むと、日露戦争で日本はロシアと引き分け、日本列島という辺境の地で「有色人種も人間である」「民族毎に自存自立の国家を持つべきだ」という主張を100年間に亘り発信し続ける「カルト国家」として紹介されていた。
 イギリス、アメリカ、フランス、オランダなどの国々は、アジア・アフリカの植民地を生産拠点として保有し続けており、欧米諸国の国民は総ての苦役から解放され、無税・無労働国家を実現していた。歴史書には「新たな千年王国」のスタートを実現したと賞賛されていた。

 苦役は総て有色人種奴隷が行ない、白色人種の夢の千年王国が実現したのである。ちなみに、韓国人奴隷は他のアジア人奴隷よりも安価で取引されていた。
時々ファビョるので、ロボトミー費用が掛かることもあり、取引値段は割安となっていた。

その3

 世界ではじめてのタイムマシンを発明した韓国の天才的科学者、金博士は、未だ先進国になれない韓国の現状を憂慮し2回タイムマシンを飛ばした結果、日露戦争での日本の勝利が「有色人種も白色人種も人間である」という考え方が常識となる世界を作ったことを理解した。
しかし、チョパーリを差別視しなければ売国奴とされるウリナラ文化では、そんなことを言えば親日家と差別されるので、金博士は、日清戦争で清が勝ち、清がロシアを破れば、有色人種国家が存在できる世界となると考え、日清戦争の時代へとタイムマシンを飛ばした。

日清戦争での日本の勝利を阻止し21世紀に戻ってきた金博士は、韓国が21世紀ではどんなに発展をしているのかと期待し外出したのだが、そこには欧米人が韓国人奴隷を使役する世界が広がっていた。

 歴史書を読むと、日清戦争で日本は清と引き分け、日本列島という辺境の地で「有色人種も人間である」「民族毎に自存自立の国家を持つべきだ」という主張を100年間に亘り発信し続ける唯一の非白人独立カルト国家として紹介されていた。
 清は、名前だけが残っていたが、租界と称する欧米の領土ばかりとなり、清の支配が及ぶ領土は北京とその周辺の半径20Kmだけとなっていた。
 イギリス、アメリカ、フランス、オランダなどの国々が清の租界やアジア・アフリカの植民地を生産拠点として保有し続けており、これらの国の国民は総ての苦役から解放され、無税・無労働国家を実現していた。

その4

 世界ではじめてのタイムマシンを発明した韓国の天才的科学者、金博士は、その後もいろいろな時代にタイムマシンを飛ばした。秀吉による侵略を阻止し発展したウリナラが韓露戦争に勝利して有色人種独立国家をつくるとか、元冠の時代に行き日本を高句麗の支配下に置く案とか、様々なことを試したが、ことごとく失敗し、ほとんどの場合は奴隷国でしかなく、現在の韓国以上の国は一切出現しなかった。
 金博士は、日帝36年が植民地支配ではなく、日本による「併合=自国化」「自国発展努力」であったことを認識したが、どうしても感情的に受け入れられなかった。
 しかし、金博士は天才的科学者であった。ファビョンすることなく冷静に事実だけで考えた金博士は、戦後の反日教育という刷込みが自分の感情の原因であることに気がついた。
タイムマシンを李承晩時代へと飛ばし、事実に基づかない歴史教育や捏造による虚偽教育を阻止した。韓国人にすれば辛いだろうが、李朝時代の後進性と日本による発展努力という事実を教える様にした。
 21世紀に戻ってきた金博士が、恐る恐る外出したところ、反日ではない韓国はタイムマシンで飛ぶ前とあまり変化がない様だった。看板はケバケバしく、下品なポンチャックの騒音はそのままであった。

 ガッカリして歴史書を読むと、韓国の今日の発展は併合時代に萌芽し、朝鮮戦争以降は、日本の経済援助、技術援助によるものが大であったと記載されていた。
 落胆し歴史書を閉じ、近くにあった新聞に目を落とすと、そこには「来年、京城でG9開催」との活字があった。韓国はG9のメンバーになっていたのだった。
 日本と韓国はアメリカとカナダの様な関係となり、相乗効果により一人当りGNPは3万ドルを超えていた。タイムマシン前の9千ドルの3倍以上であった。
 驚き深く観察すると、ほとんどの韓国人が日本語を駆使し、英語と共に日本語案内が掲示されていた。日本語の音楽が流れ、日本のアニメやマンガなどのサブカルチャーも多く見られ、日本的価値観を具備する様になり、利己的態度はなくなっていた。

その5

 アジア版カナダとなった韓国で暮らす決意をした金博士だったが、最近、テレビを見ていると、どうも不愉快になる自分に気がついた。
世界に冠たるG9国家となった韓国があり、不満は解消されたはずが何故かフラストレーションが溜まるのである。
 天才的科学者である金博士は冷静に自己分析をした結果、G9メンバーとなった韓国の国民は「世界一優秀な民族」だとか「日本の起源は韓国にある」という様な大言壮語をすることがなく、ましてや反日デモをすることもなくなった。そういうお祭りがないことが金博士のイライラの原因であった。
 金博士自身は反日教育を擦り込まれており「三つ子の反日魂百まで」という状態のまま、新世界へと移住してきていたのだった。

 いまや、反日捏造教育を受けた唯一の人間は金博士であった。
博士は、あれ以来、起動していなかったタイムマシンのスイッチに手をかけるのであった・・

 
Posted at 2007/04/26 19:48:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 韓国史 | 日記
2006年12月04日 イイね!

旧日本陸軍の朝鮮兵に対する注意書き

このブログはまさやんさんのコピぺです。

一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。

一、絶対に頭、体をを叩いてはいけない。怨みを持って復讐する気質があり、脱走の原因となる。

一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。

一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。



朝鮮軍司令部1904~1945 古野直也著 国書刊行会より抜粋

http://konn.seesaa.net/image/book_akasen.jpg

http://news-kyokutou.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/up/source/up0004.jpg



唐辛子中毒で、ピンチになると哀号、哀号泣き喚くクセに、捕虜、住民等の自分より弱い立場にいる人間に対しては虐待を繰り返すのが当時の朝鮮兵の習性だったようである。朝鮮人の日本兵は、その残虐性ゆえに、一般の日本兵と異なり、占領地の住民達に忌み嫌われ、非常に恐れられていたという記録が複数残っている。




■ 路上に脱糞することなかれ




「商家などは一定の便所がないので、屋内に鉄筒あるいは木器をおいて放尿し、 それを自家の門前路上に棄てるので通りがかりの警官は打水かと信ずるという具合である。」 これは1911年6月8日付の「毎日新報」の社説の一部であるが、「路上に脱糞するなかれ」は 日韓併合後の一大社会運動であったが、この悪習はなかなか直らなかった。



(朝鮮軍司令部1904~1945 古野直也著 P25) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4336031940/ref=cm_aya_asin.title/249-0156006-1591512?%5Fencoding=UTF8


日本の者が朝鮮に入り、朝鮮人家の間に雑居し、または朝鮮内地を旅行して朝鮮人の家に泊まると、一番に困るのは家の不潔であるのと、一種の臭気を吐き気を催すほどであるうえに、南京虫がやって来るので、実に快く眠ることができないからである。また小便壷はたいてい室の中に置いてあって、大人でも小児でも、客の前であろうが、誰が居っても構わず、、ジャ~と小便する、またその小便器を口の側に持って寄せて唾を吐き込む、彼らは久しい慣習で、別になんとも思わぬらしいが、日本人の目から見ればいかにも見苦しい、たまったものではない。これが田舎になると一層ヒドいのはいうまでもないが、しかし田舎のみではない、京城でも割合に不潔でないのは大路位のみで、少し折れて小路に入ると、その臭気は鼻をおおっていなくては通れない程で、塵や芥が道の上に散り乱れており、家々の便所から大小便は勝手に流れ出でつつある、そこらあたりを朝鮮の小児らは平気でガヤガヤと戯れ遊んでいる。





最近朝鮮事情 荒川五郎著  明治39年(1906年) 清水書店

当時の朝鮮には、嘗糞といって、人間の大便を舐めてその人の健康状態を当てるという、とんでもない娯楽があった程で(後に総督府によって禁止された)、日本人や世界の人々から見ればとんでもない民族、とんでもない国という現実は今も昔も変わっていない。歴史上、美しい朝鮮半島というものは存在しないし、あるとすれば、日韓併合後の朝鮮が該当するだけであろう。日本の朝鮮系メディア(NHKを含む)は過去の朝鮮美化に必死だが、マスコミに入り込んだ朝鮮人達が、捏造韓流ドラマやインチキ教育番組を使って歴史を捏造する有様は、本当に見苦しい限りである。

Posted at 2007/05/07 13:21:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 韓国史 | 日記

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