2015年02月28日
2011年3月11日
あの日、私は一つ年下の同僚を一人失った。
彼は有給休暇中で、海岸沿いをドライブしていて津波の犠牲になった。
少し前に納車された私のZに試乗させる事を約束していた。
避難先から戻って彼が消息不明である事を知り、有志で海岸を捜索した。
犠牲になった方々の遺体の大半が既に自衛隊・警察・消防、それに地元民によって
収容されていたのは承知していたが その中に彼の名は無く、車や携帯といった手掛かりを
求めての行動だった。
しかし、所詮素人集団である私達には見つける事が出来ず、結局彼は1か月半後に
警察によって車と共に発見された、・・・港の海底に沈んでいた。
そこは、試乗の約束をした時に彼が話した休日のドライブルートの終着点だった。
身元確認に付き添った同僚から、ご両親のご厚意で火葬前に面会出来ると電話があった。
『酷い状態だけど、一目見れば本人だって判るよ。すぐ火葬しちゃうっていうからさ・・・。』
警察の安置室に向かった。
彼の地元からご両親が駆け付け、先にご両親が面会し、次に私達がご両親と共に面会した。
彼の表情はとても悲しげで、痛みに耐えたのであろう食いしばった口で無念を訴えていた。
状態がどうこうより その表情が堪えた、その日は泣き明かした。
一昨年の冬、彼の墓参りにZで行ってきた。
仏さんは線香の香りで供物を頂くのだという。
約束をそういう形で果たすのは不本意だが、胸につかえていたものが取れた。
多分、信仰とは亡くなった者の為よりも、残された者達が気持ちを整理する為のものなのだろう。
典型的日本人である無宗教な私だが、信仰する人の気持ちが少し理解出来た。
ただ、こんな経験は彼を最後にしたい。
震災から4年経とうとしている。
小さな余震は尚も毎日の様に続いており、日本全体で見れば震災の影響と思われる火山活動の
活発化が各地で見られる。
災害死に綺麗な死など無い、あるのは死者・遺族の無念と後悔だけだ。
未曽有の災害と言われた東日本大震災だが、地震の時間だけなら約3分程度の出来事である。
長い人生の内のたった数分の災害に見舞われた際、後悔しない判断を。
切に願う。
Posted at 2015/03/01 00:26:53 | |
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