人にはあまり思い出したくない過去があり、それを黒歴史と呼ぶ様ですが、自分の黒歴史は高校を卒業して一時期電気の仕事ではなくて、美祢市の石灰石加工工場で石灰石の粉にまみれて働いていた事でしょうか?
でも生活するための給料を頂いた大事な仕事ですが、当時は石灰にまみれた灰色の人生が、後にセメントコーティングというヒット商品の根源になる技術を習得したので、バラ色の人生と言っていいかも知れません。
この写真は美祢市の桜山から石灰石の加工工場が3社写っている場所で、自分が通っていた高校は高い煙突が2本並んでいる後ろの方にあります。
自分は美祢市に住んでいた時は不遇の人生と思う事が多く、その頃は思い出したくない事があるのですが、最近自分がある黒歴史があった事を思い出しました。
それは宇部店で仕事をしていて、今自分の前工程と後工程を行ってくれている女性が、これまで何人もやって来たコイルの水平出しがきちんと出来て、何故かこれまできちんと出来た人がおらず、全て後から自分が手を入れないとお客様に出せず、これなら給料を払ってやってもらう意味は無い!と、つくづく閉口していました。
それが現在の女性社員はきちんと出来ていて、昨年防府市に三味線奏者の上妻宏光さんが来られた時に、「今までの社員で最も正確な仕事が出来る人です。」と紹介しました。
上妻さんは「なぜ正確な仕事が出来るのですが?」と質問されて、そこで「小学生の時から個人のピアノの先生に付いてもらって、ピアノのレッスンをしていました。」という答えが返って来て、自分は「それ履歴書に書いてなかったよ。」と、ダチョウ倶楽部のギャグの『聞いてないよ!』の状態でした。
その話はそれで終わっていたのですが、最近以前いた社員が手を付けたコイルの手直しを行っていて、貧乏ゆすりが辞められない社員が過去にいて、それをやめさせようとするとパワハラになるらしく、貧乏ゆすりをしながら手を付けた製品が全てダメで、2年間手を付けて良品がゼロで、それでも最近は金属価格が高騰しているので、それらを販売出来る様にれ直しをしている毎日でした。
そして、仕事中に「君は姿勢がいいね。やはり良い仕事は良い姿勢でないと出来ないね。」と言ったら、「自分は小学生の時から空手を習っていましたから。」という答えが返ってきました。
これで2回目の聞いてないよです!
やはり小学生の時から空手を習っていると、姿勢は良くなるし、落ち着きが出るし、確かに過去に働いていた社員とは違っていて、ピアノの精細さと空手で身に付いた姿勢の良さで、これまでに社員が出せなかった正確さが出せた事に納得しました。
そこで思い出したのが、自分も美祢市で学生時代に少林寺拳法を習っていて、これまでその事をブログで書いた事は一度もなくて、それは自分にとって黒歴史みたいな部分があるから触れて来ませんでした。
自分が少林寺拳法を習おうと思った理由は単純で、ブルース・リーの映画の影響を受けたからで、運良く美祢市に道場がありました。
少林寺拳法は空手に合気道の要素を混ぜた様な格闘技で、投げ技の様な事もして、正確に言えばブルス・リーのは少林拳でまた微妙に違っていました。
自分が入門した時は高校生が先輩1人しかおらず、2つ上の先輩が卒業して美祢市を離れてからは学生は自分だけになりました。
その頃に小学生の高学年になると子供を少林寺拳法の道場に入れる親が多く、社会人の先輩が試合のために練習している中で、自分は小学生に型を教えるという、高校生の自分にとっては『とてもカッコ悪くて人には言えない!』と恥ずかしく思っていました。
ただ最初は言う事を聞かない小学生も段々落ち着きが出て来て、礼儀正しさやピタッと型の姿勢が整うなどの変化が見えて来ました。
過去から今まで小学生のお世話をしていたという事は黒歴史で、恥ずかしいと思っていたのですが、ひょっとしたら自分が教えていた小学生が、将来その事でプラスになっていて、優れた人材になるコツをつかんでいたとすればそれはそれで誇れる事で、まあブルス・リーにあこがれて入門したという不埒な考えの高校生からしたら恥ずかしい話でしたが、流派も道場も違っていますが、何か正確な仕事を行う良い姿勢を保つという意味では、知らないうちに身に付いていて、恥ずかしいと思っていた自分の方が恥ずかしいかったと、忘れたかった高校生の時の出来事を思い出しました。
Posted at 2022/08/29 17:35:21 |
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